【野村】ヤクルト黄金時代の思い出を語るスレ【古田】
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ヤクルト球団5回の日本一のうち実に4度の日本一が1993年から2001年の間に集中していた・・・
そんな時代の事を振り返るスレ。 1990年に古田、西村の「1年生バッテリー」が作れたときいいドラフトだったなと思った。 >>21
入団当初はドラフト順どおりに1位の岡林、2位の小坂の評価が上だった。
パラグアイの入団当初の勢いが落ちてきて、
入れ替わるように台頭してきたんだよな。
小坂は置いといて、これもいいドラフトだった。 ノムは広沢の事大好きだったな。ヤクルトでも阪神でも可愛がってた。 マラソン病ばばあ高橋尚子と瀬古をスポーツから追放しよう 92、93年が連覇でそれ以降は決まって隔年Bクラス、しかも4位ってのは
良くも悪くも古田の影響と言えるのではないか。
94年は冒頭から右手指骨折。ただ悪いのは完全治癒まで待たずに復帰させたやり方。
あと少し待てずに、8割方でやるから、ついズルズルと中途半端な働きで終わってしまった。
翌95年は日本一になりながら、96年は又4位 ケガではないが「古田不調」の年だった。
その不調の原因は、野村監督がやたら古田を弄り回した事にもある。
前年の日本シリーズでイチローをも翻弄して名を高めた古田に対しての、言いたくもないがこの人物特有の「嫉妬心」
自分の名声をも超えられそうな・・シーズン前から難癖付け始めた、、ロッカーが汚いからレギュラー剥奪だの、、ネット普及した今の時代ならどうなっていたかと思うような。
そんなストレスからか 古田も痛風が発病したり、、それが又格好の攻撃材料にもなって、、「贅沢病や」とか
とに角、96年は古田ご難の年で4位、そして約束の如くに
翌97年は西武を倒して又日本一に。東尾ライオンズは敵ではなかったな。
常に外人助っ人が4番を張るヤクルトだが、何かがあれば代わりに4番を打ったのがいつも古田だったのも事実。シーズン、シリーズ共にキャッチャー4番で日本一になり、
MVPを獲ったのも2シーズンはあったような、、
本当に見かけによらずに? 強靭な体力と精神力、勿論技術も向上心も持ち合わせた男だった・・・・(過去形?)
タレント集団では有ったが古田の穴だけはどうしても埋まらなかったらな。
離脱、不調の時は全くチームが乗っていけない。
その点、古田離脱期間が短期間とはいえ有った2001年の小野は頑張った方か? ノムとゾヌの計5回の優勝の全てに貢献した選手って何人いたっけ?
自分が分かる範囲では石井一と古田と池山と高津と土橋の5人ぐらいだが 石井一は92、93には殆ど貢献できてないけどな。
92年は高津は先発なのか中継ぎなのかどっちつかずで5勝、土橋は外野の控え。
2001では池山は低打率の代打要員だから全部に貢献したかと言えば微妙だけども。 >>30
小野は、頑張りをもっと評価されてもよかったと思う。
引退時の最後の打席がホームランだったんだって。
神様からの褒美かもしれない・・・ >>30
野口も後継になりえる存在だったとは思う。
出番も限られていたし、公に行ったのは、本人にとっては正解だったとは思うが。 95以降の日本シリーズは古田が居るだけでなんか勝てそうだった。 >>18
野村ヤクルトは長嶋巨人が張り合えないほど強い。
長嶋巨人は野村ヤクルトが張り合えないほど強い。
この二つの事実が存在する。
だからこの二チームでの優勝争いが実現しなかった。 >37
「矛盾」の語源エピソードみたいだな。
個人的には荒井ポカリ事件が忘れられない。 日シリで勝たな意味ない。
星野仙一に聞かせてやりたい一言だ。 日本シリーズは92年・93年の対西武戦以降は全て第5戦(全て4勝1敗)迄で決まってしましたからね。
やっぱり野村と古田って最強タッグだったのかな?
その後野村は阪神、楽天では結果が出せず古田は監督では成功しなかった。
大杉、若松、松岡、安田、杉浦、八重樫、角、尾花、梶間…。こんな顔ぶれの方がヤクルトっぽいね。 吾輩の興味は、
92年東京が90年読売と入れ替われば優勝するのか?
90年読売が92年東京と入れ替われば優勝するのか?
の二点である。 日本一になれなかったけど92年が一番好きだな。
新戦力の台頭とベテランの渋い活躍とが一体となったチームだった。 >>41
阪神はともかく楽天は結果出てる方だと思う。
野村監督もヤクルトを離れて7年目だし、これだけ名将って言われ続けるんだから今年あたりは結果を出さなきゃね!
楽天も下位球団の恩恵?でドラフト有利が何年も続いて、戦力も随分よくなってきてる。興隆期を過ぎて谷間的時期にあるソフバン、ロッテ・・ 時の推移だろう。
当時の岩隈が必死の抵抗で楽天入団を望み、実現させたのも今花が咲き実となってる。
たった2年、しかも中途半端な立場で、戦力の不均衡には球団も不協力だったようだし、古田の場合は成功も失敗も語れる段階にないと思う
あえて言うならあの時、兼任の要請を受けた事がーーー周囲やファンの多くが望んだ事で、それに応えたいと思ったのも古田の性格からして当然の流れでもあったがーー
失敗だったと言う事か、、これで一番傷を負ったのは古田だったな。不世出の名捕手として無傷で引退させてやりたかった。
実際に今のプロ野球界を見回しても、監督がいいから勝ててるチームなんて思い当たる?
一人の監督を定点観測してりゃぁよく分かるよな! 結局は戦力とその時の他球団の様子・・たった6球団での順位なんて相対性成果の縮図みたいなものだ。
鈴木平はもうちょっと長い目で見て欲しかったと思う今日この頃。 >>52
長い目では見られなかったかもしれないが、見た目で評価はされてたぞ やっぱり池山だよ。
クソみたいな三振しまくって「ああ・・・今日は調子悪いな」と思ってたら9回に突然HR打って唖然。 古田が昔ノムさんに怒られてキャッチャークビになって、外野守らされてたって本当ですか?
いつごろですか? 古田は一度も試合で外野を守ったことはないだろ。
94年に怪我をして、リハビリを兼ねて外野の練習をしてたことはあったけど。 >>22
今の楽天の嶋と田中みたいだな。
どっちも大選手へのステップを踏んでるし。 やっと野村ヤクルトのスレがたったか。なぜ今までなかったんだ >>56
何が言いたいんだ?・
この年は甲子園で優勝を決めたシーズン、 レフトスタンドで決死の覚悟で応援してくれてるヤクルトファンに
野村監督が、勝ち試合の終盤一イニングだけ「古田 レフトでファンに応えて来い!」って一度だけ古田に外野を守らせたそうだ・・
確か、TV番組「深いイイ話し」で古田自身が言ってたぞ!
あの頃はファンでも、TVでは絶対に巨人相手の試合しか見れなかったから全然知らなかった。
「帰れコール」を浴びながら優勝を決めた年だ。
このスレはもっと伸びていいはずだがヤクルトが半角でスレタイ検索にひっかからないため伸び悩んでいる 【は】横浜大洋ホエールズ→ベイpart2【☆】
118 :神様仏様名無し様:2009/05/22(金) 09:38:42 ID:lu19411V
と、いうかちょっと前に入れ替えたばっかだし。スカウトも代わったようで、ここ最近のドラフトはいいのが入ってきてる。
大洋時代はクジ運が死ぬ程悪かった。そこがヤクルトとの最大の差。
ヤクルトフロントには「黄金の左腕」って言われた人がいた。
122 :神様仏様名無し様:2009/05/22(金) 22:04:52 ID:NySRELUt
>>118
相馬球団社長ね>ヤクルト「黄金の左腕」
ヤクルトが90年代躍進したのはノムや古田・岡林・広沢・池山・高津らの功績もあるが、
相馬球団社長のクジ運も大きい。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1240235067/118-122 ttp://page8.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/h131270586 92〜93年のスタメンが一番好きだ。
1 飯田
2 城か荒井
3 古田
4 広沢
5 ハウエル
6 池山
7 秦や橋上
8 苫篠や土橋や桜井
(93年はハドラー)
9 投手
けど、ほんとに92の胴上げの時に甲子園のレフトスタンドで
応援してた奴は凄いと思う。 山部と石井は出たての頃は、とんでもないノーコンだったな
まあ球は速かったけど
土橋は典型的な便利屋かと思ったらレギュラー取るまでになった
ヤクルト優勝した時、他球団の監督コメントで三村さんが「土橋にいいところで打たれた」ってコメしてた 野村監督って全然名監督じゃないよな?
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1218032355/709
709 名前:神様仏様名無し様[] 投稿日:2009/06/29(月) 21:51:30 ID:CkCisr/c
92年・93年の日シリは面白かったな
ただし両チームの監督は何もしてない
ほとんどホームラン競争
ヤクルト・・・池山・ハウエル・広沢・古田
西武・・・秋山・清原・デストラーデ・石毛
史上稀に見る不人気球団同士の低レベルなシリーズだった
数日前のノムの言葉「巨人はすごいな。ホームランバッターばっかり。監督いらないな。」
ノムシン目覚ませ〜
↑
余裕のある御方がいらしたら、この書き込みに対する感想をお聞かせいただけたら幸いです。 おお、こんなスレがあったんだ
ホント最高だったよ
秦や荒井のタイムリーでライトスタンドでビニール傘あげてたのが昨日のようだ
今はノムについて鷲ファンだけど
最近は辛いよ、池山まで無能扱い
来年からはまた難民になりそうなんで
また神宮のライトスタンドにもどろうかなあと考えてる東京人でした ノムは名監督と言うよりも、野球の奥深さをよく知る野球人という印象。
野球の話しをさせたら面白いし、何より分かりやすい。
この辺りがノムの魅力。
板違いスマソ 90年代も巨人戦や阪神戦の時に限っては、レフトスタンドからお客さんが
埋まっていったとか? 野村は古田が居なければリーグ優勝4回、日本一3回は達成出来なかっただろうね。
一方の古田も野村が居なければ、あれほどの成績は残せなかっただろう。
爺さん、あちこちで嫌われてるなw
まあ、あれじゃ若い人がウザがるのは当然だろうよ。
ただし、昨今の失態と過去の業績とをまぜこぜにしない方がいい。
叩くなら、阪神〜楽天の晩年期を徹底的に突くのがお勧めだろう。
ちなみに、俺はヤクルト一筋数十年だが、正直あの爺さんには感謝しきれぬ思いがある。
それだけに、これ以上晩節を汚さずに、そろそろ引っ込んでもらいたいんだよね。
俺のようなオールドファン(10年前までは支持、今は呆れ返り)も結構いると思うから
どうかノムシン能無しとか一括りにしないでちょうだいね。 だからこの二人は最強コンビなんだ。
黒澤明と三船敏郎みたなもんだ
(違うかw) ファンからアンチになるのが、一番、タチ悪いんだよなあ。 1994年の日本シリーズで野村・仰木がゲスト解説、板東が進行役で生放送やってて、放送中に野村がキレた事件があったらしいんだが、誰か観てた(聞いてた?)人いる?自分は観てない。
板東が著書で言うには、顛末はこうだったそうだ。
放送局社員が、渋る野村に頭を下げて口説き落として解説に招く
↓
野村、解説中に「なあ仰木ぃウチに選手くれーや。伊藤アツノリいらんやろ?」などとしつこく仰木に絡む
↓
中継で裏方がバタバタ忙しくしてる最中の野村のしつこいボヤキに放送局社員(野村を口説き落としたのと同一人物!)がキレて「おい!誰か、あのグジャグジャ言ってる奴を黙らせろ!」と失言
↓
もちろん本来ならそんな声は野村の耳には届かないが、板東が身に付けていたマイクとスピーカーがセットになった器具(裏方の声が板東には聞こえるようになっている)を一瞬はずしたため、野村に例の怒号が聞かれてしまう
↓
野村「何やと!?誰が俺に頼んで連れてきた!?」
↓
板東が野村をなだめるが、そんな板東に視聴者は「うるさいうるさい」と言う >>伊藤アツノリいらんやろ?
なんという慧眼・・・さすが野村 アンチ・ヤクルトの徹底ぶり(立場によってコロコロ評価変えるのが特徴)
西村龍次評 ヤクルト在籍時「別にすごいボールがあるわけじゃない。なんで打てないのか
不思議な投手ですね。古田のリードでもってるのでしょう。」
〜近鉄にトレード決まる「ヤクルトはいったい何を考えてるのでしょう!あれほどの大投手をトレードに
出すなんて!しかも交換相手は吉井というロートルです!野村は今年が最後の年だということで
ヤクルトをめちゃくちゃにするつもりなんでしょうか?!」
藤井評「あんな投手、大学3年秋に調子が悪かったから他球団が引いただけですよ!自由枠の投手ではありませんよ!
別にスピードがあるわけでもない・・・」
日本ハムにトレード決まる 「あれほどの大投手を出すとはヤクルトは何を考えてるのでしょう!ヤクルトのエースですよ?!
対する日本ハムの3人の若手の年俸は藤井、1人分にも満ません!このトレード、ヤクルトの大失敗ですよ!」
ラミレス評 「巨人のMKコンビ(松井、清原)と比較してヤクルトの4番は本塁打の少ないラミレスです。パワーの違いはあきらかです!
空中戦ならヤクルト(ラミレス&岩村)は巨人に勝てるわけがありません! 」
〜巨人移籍決まる「ついに巨人にやってきた『最強外人』 人気もスゴいヤツ。まさに『最強』」 >>77
>野村は古田が居なければリーグ優勝4回、日本一3回は達成出来なかっただろうね。
これは云えてる。 結局、古田がMVP級の働きをした年だけの優勝・日本一
つまり、ダメでなくても「そこそこの働き」では何とBクラスだ。
本当に采配から何から名監督なら、これ程までに「古田と連動」するのはおかしい!
別に采配が悪かったとかではなく、極言すれば、古田がいたから成し得た事(他球団ではオール最下位・少しBクラス)
>一方の古田も野村が居なければ、あれほどの成績は残せなかっただろう。
これはそうは思わない。
もともと 古田は発想力、洞察力に長けているから 別に野村でなくても、名捕手 好打者にはなれたと思われる。
現に、捕手としての技術面では野村の指導による部分など少なく、むしろその手法は「異端児」とまで云われている。
勿論、打撃面では
期待もしていなかったし、指導もしたことは無いと野村本人も言ってる。二年目でいきなり首位打者で相当監督からして驚きだったようだ。
同じ相手と繰り返し戦うリーグ戦という環境が、古田の記憶力や駆け引きには格好な舞台になったようだ。
ま、日本シリーズはまた別の意味で強かったが(交流戦も無かった時代)・・ >>86
そいつは2chに何年も居座ってる、盲目的古田信者の爺さんだから、適当にスルー
反論すると逆ギレして延々粘着されるぞ 関根さんのWikiは鵜呑みにしない方がいいよ。
池山隆寛・広沢克己・栗山英樹・荒井幸雄・内藤尚行・伊東昭光・荒木大輔・秦真司・苫篠賢治
飯田哲也・土橋勝征らを起用し、次の野村克也監督時代までのレギュラー選手として育てあげた。
↑
こう書かれている。
しかし、広沢・伊東・荒木(全てドラフト1位)は前任者の土橋時代から重用されていた。
そして、飯田と土橋の起用は、実際には野村時代から。
残る池山・栗山・荒井・内藤・秦・苫篠についてはご存じの通り。
野村ヤクルトの主力となったのは池山と秦のみ、しかも秦の活躍は野村による外野コンバートの賜物。
と言うことで、野村を非難する際には関根さんの遺産を強調しすぎない方がいい。 関根さん時代の後、高野・伊東・荒木が逝っちゃった状態で野村さんにバトンタッチしたわけだし
考えようによっては、負の遺産を負わされたと言えないこともないしな。 なつかしいな〜 このころはまだ不人気じゃなっかたよ 92〜93年あたりはヤクルトも新興人気チームって感じだったな。
何か都会的なチームカラーだったし。
95年あたりからアンチが増えて来た感じ(その年のシリーズの相手がイチロー擁するオリックスだったし) 池山、広沢、古田、伊藤智あたりが全盛のころは
本当に活気のあるよいチームだったな
その分モテルせいで芸能人の女との噂も絶えなかった
あの頃が二度と戻らない? >>94
今は選手が女子アナと・・・が多いな。立地条件がいいわこのチームは。
城石とかあのレベルでありえねえw
大橋アナの旦那が城石、だな。 >>93
一番は野村一家が前面に出始めたからじゃないの?
二度目の日本一のころから露出が増えだした
カツノリとサチヨで引いた奴は思った以上に多いよ ノムが監督として評価がイマイチなのは
サチヨを黙らせられないから
92〜93あたりが人気絶頂でそれ以降飽きられた感じ。
この頃も巨人や阪神の人気もそれなりにあったからね。
92〜97までセはヤクルトと巨人で優勝し合ってた時代だった。 飯田
稲葉
辻
オマリー
古田
池山
ミューレン
土橋
ブロス 90年代のヤクルトの黄金時代に貢献したのが、ノムと古田とか上で言われてるけど
この2人に匹敵するくらい重要な人物が長嶋監督だと思う。
長嶋だったからセリーグのバランスが取れてた。あの巨大戦力を操るのが
原だったら無理だった。
いや、原が名監督って意味じゃなく、まともな監督だったら無理だったの意味w 初優勝〜野村黄金時代〜池山、古田引退まで
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2100009
これ曲もいいんだが、俺なんか青春そのもので涙なく見れないんだが・・
本スレでも張ったが、こっちも 少し小ネタになるが・・・。
ヤクルトの帽子のマークは今の「Ys」タイプよりも、昔の白一色の「YS」タイプの方が好きだったな。
変わったのは94年頃だったっけ?
ビジターユニの「Yakult」ロゴが少し丸くなったり、袖のライン(ホームは赤、ビジターは青白青)が
なくなったり・・・。結構微妙にマイナーチェンジしてるんだよな。 アウェー用のプロテクターが黄色っぽくなったのもこの頃だよね しかし他球団オタの本音の部分はどうなんだろうねえ?不思議だよ。矛盾な部分が多くて本音がみえない。
「ヤクルト、オリックスの不人気球団!」と書き込みながら一方では「野村、古田、荒木
栗山、尾花、宮本らが監督としてほしい!」とヤクルトOBに異様に固執してる現実。楽天などは「華のある人物を監督に!」の
方針でヤクルトOBに声をかけまくり、また断られ続けている・・・・(古田に2回断られ荒木、栗山、果ては現役の宮本まで・・・・)
楽天マニアも「次期監督がヤクルト古田なら納得するが広島ブラウンなんて納得できない!」と書き込みをみた。広島OBの達川や三村も同様の反応だったろう。
分析するとテレビ番組露出や女子アナ交際など東京の球団独特の華を内心感じていながら悔しさから認めたくはないのではないかな?
ノムもこのころのヤクルトのようなチームをもう一度作りたかったんだろうな
楽天の糞フロントめw >>112
可能性はあった・・・
少し小粒になるけれど可能性は感じた
まあ、1リーグにしたいんだろ・・・ 中継ぎ左右各一人、抑えをもう一人強力な選手を補強しとけば、今年でも日本一が十分狙えたんだけどな
他球団にも同じことは言えるんだが
それでも楽天は他球団から比較すればかなりトータルコストは安いからな、おしかったよ 黄金時代なんてタイトルを付けると、いかにも凄い戦力を有したみたいにニワカの野村アンチの子が勘違いするかもね
実際、とんでもない勘違い坊やがいるし・・・ >>12
> 各年のチーム最多勝
>
> 1991年(3位)
> 西村龍次 15勝8敗
>
> 1992年(優勝)
> 岡林洋一 15勝10敗
>
> 1994年(4位)
> 岡林洋一 11勝5敗
>
> 1995年(優勝)
> 山部太 16勝7敗
>
> 2001年(優勝)
> 藤井秀悟 14勝8敗
四国出身としては四国人が多くてビックリ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています