1985年の阪神タイガースを語るスレ
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日記によるとバースは88年、ヤクルトのコーチをしていた安藤を頼って移籍できないかと考えていたようだな
巨人に入れないだろうかと通訳に相談した事も書いてあった >>769
オーナーの立場からすれば当然の発言だよ。
阪神電鉄というのは人々の安全を確保するのが企業としての使命なんだから。
そこの関連会社の選手が交通違反とかもってのほか。
しかも掛布は表に出なかっただけで何度も無謀な運転の常習者だったんだから。
当時「オーナーが酷い、野球選手を何だと思ってる」と噛みついてたのは珍オタのスポーツライター玉木某だけだ。 久万は掛布のトレードの噂に対して「欠陥商品である掛布をトレードに出しては相手球団に失礼」と発言
掛布は「十分反省して心機一転頑張ろうと思っていた矢先にどうしてマスコミにあんな事を言うのか。
マスコミを介さず直接言って欲しい」と言っていたらしい。 >>771
保険の件含めバースの扱いにも問題あったわね
安藤だろうが吉田だろうが村山だろうがとにかくフロントがあの通りだから
フロント変えられる人間でも入れない限り変わらない
…大嫌いな星野をホメるつもりはなかったのだが
欠陥商品発言はどっちもどっちだしな 藤田は改革しようとしてあっちこっちから反発され1年でクビになってしまった この年はロッテが2位だったんだな。
あの小川も新人で20試合以上登板している
88年は204奪三振でトップ オーナーの発言もアレだが、それに対し
「野球で見返したるわ」 となれなかった時点で、選手としては終わりだったんだろうね 掛布は、2度目の40ホームランや100打点でタイトル取れなかった時点で、心は折れたみたい。ただ結果的には、中日斎藤学が与えたデッドボールが全て
あれでボール恐怖症に陥り選手生命はたたれた。掛布ってフルイニングの記録があっただけに、守備固めなどの変わりがいなかった。
結局それが未だに解決してはいない。 >>779
何言ってんの?(特に最後の一行)
「それが」って何が? 「解決」って何の問題の話?
あちこちのスレで思い込みで
デタラメ書いては突っ込まれ
デタラメ書いては突っ込まれ
それでも懲りずにお前まだ居たのか 阪神電鉄は震災での被害額は5百億円以上だったという話もあるらしい
その金銭面での影響も大きかったと思う 広島の前田が死球骨折で元の戻らず引退したけど 掛布は1ヶ月たらずで復帰
立場上しょうがなかったかもしれないがいくらなんでも早すぎだわ 689にも書いてあるけど真弓によると61年の掛布について
5月27日の試合で三塁ゴロが途中で大きくバウンドして、復帰したばかりの掛布の肩を直撃した
当りどころが悪かったため、それからしばらく、掛布はバットも振れなければ、
ボールも投げられない状態で、再び長期欠場を余儀なくされた。
その結果、この年はわずか67試合にしか出場できず、ホームランも9本にとどまった
とのことだった ttp://sankei.jp.msn.com/west/west_sports/news/120105/wsp12010511010001-n4.htm
掛布は59年も骨折を隠して出場していたようだ そういえばバースも85年は足に自打球当てて、骨折したままプレーしてたよね
精神論がまかり通る時代だったとはいえ、昔の選手はスゴイ >>783
広岡「掛布はミットの中にも手袋を分厚く被せる。だからボールに対する神経が全くなくなってしまう。あれではボールを取るのも遅れてしまう」
肩を脱臼というが。もし素手でミットを持ってたら。肩脱臼はなかった。
掛布って努力で確かにのし上がった。
しかしトップを掴んだ後の掛布は何か変わった。
それが骨折などの不運を生んだ。 自打球で骨折して「神のお告げ」という言葉を残し引退、帰国した助っ人もおりましたな。 >>786
>51 神様仏様名無し様 sage 2015/03/28(土) 10:19:45.55 ID:OCC99SYK
>84年と91年は似てる
>中盤に打線爆発で中日が独走するが
>9月に広島に抜かれてしまう
>一つは明確な抑え不在
>もう一つは、打力だけで勝ち上がる不安定さが理由の気はする。
>
>52 神様仏様名無し様 sage 2015/03/28(土) 12:49:10.77 ID:MjQTu1me
>>>51
>84年 牛島和彦 50試合 3勝6敗29S 防2.74
>
>バカかこいつ
自分勝手に描いたストーリーに一人酔いしれ、いっつもろくに確認もせずに書いてるな。
日付が変わって別IDになっても文体と論調でバレバレ。
「何か変わった」って何のことだよ。
それが「不運を生んだ」って。
吉村の怪我もこいつの中では慢心が呼んだ不幸みたいなことにするんだろうな。 >>788
同感
この大バカ野郎にはこのスレでも>>780で一度指摘してるし、
他のスレでもデタラメオナニー作文しまくって方々から突っ込まれてる困った奴なんだよな
・とにかく史実がデタラメ
・的外れな講釈
・日本語が不自由、意味不明、稚拙、ワンパターン
懲りずに書き込むこいつマジでタヒんで欲しい
因みにこのバカ野郎の書き込みは
719 722 726 ね
あえてアンカー付けないから前後の書き込みと合わせて見て欲しいわ(呆) 六時半ごろにラジオをつけたら真弓か弘田が塁に出てて、掛布かバースが先制ホームラン打ってたような
記憶があるなあ。二人の応援歌、結構似てるし。 バースと掛布。
そりゃしっかり聞くと全然違うんだけどね 真弓ミッキーマウスよかった
稲葉ジャンプみたいに興行用にとってつけた感じじゃなかったし
プープープー放り込め放り込掛布 みたいな適当な感じじゃなかった
イチローや新庄がするよ この応援歌は >>793>>794
ごめんなさいちょっと意味わかんない スタンドのファンが自然に体が動き出すほどノリノリになれる応援歌、て意味かな?
たしかにリズムに合わせて右に左に動きまわる真弓ミッキーは、妙に楽しかった ラジオ
「初球投げました。打ったー大きい。入ったホームラン」
真弓1番のイメージは大体こうだった。真弓ホームラン
真弓2ベース→弘田バント→バースホームラン 1番 真弓がホームラン
2番 弘田が塁に出て
3番 バースがホームラン
4番 掛布もホームラン
いいぞ頑張れタイガース 吠えろタイガース この年、自分がまだガキだったからよく覚えてないのもあるけど、平田の打撃だけが印象に残ってない
木戸は意外性の一発てイメージだけど
弘田の右打ちのような職人技的な特徴とかあったのかな この年の平田は確か休日デーゲームのヤクルト戦で満塁ホームラン打ってたよ
まあ、「守備の人」だろうね
打撃は犠打が上手いのと長打もないわけではない、ぐらいで
多分そのせいで、87年に4年連続ゴールデングラブ獲ったけど、
翌年からは和田さんにレギュラーとられる 平田はチームの最下位にショックをうけて、自分レベルの選手がいつまでもレギュラーでは阪神に未来は無いと、後輩・和田の潜在能力に期待して、和田の課題だった守備を自ら指導し、潔くポジションを譲ったみたいな話をコラム記事かラジオで聴いた覚えがあるんですが…
ご存知の方いらっしゃいます? かっこいいけど、清原の、『桑田を投げ飛ばして「お前は巨人にいけ!」』レベルのお話っぽいような... そうですよね…
当時はなんというフォアザチームの精神に溢れた人格者、と感動したものですが。
冷静に考えれば生活かけてるプロが自らポジション手放すはずがない
でも和田政権での平田の重用ぶりを見てると、あの時の恩返しなんだろうかと勝手に思ってみたり 平田は明大・島岡監督のお気に入りで、ショートに真弓がいる阪神への入団には反対して
入団交渉には四苦八苦したらしい。島岡は平田について「あいつは人間も出来てるし選手の手本だ。
ワシはあの子だけは叱った事が無い。それ位しっかりしていて、野球もよう知っとる」と言ったようだ ≫804
そんな話あったんですか?
村山政権になって一方的にレギュラーを外されたんじゃなかったっけ?ただ、平田氏自身は他のベテラン連中と違って腐らずに取り組んでいただけだったと思います。
自分は88年の開幕のスタメンを見てびっくりしました(リアルタイム)。センターは北村、ショートは平田、レフトは大野、中野、渡真利の争いでシーズンを戦っていくと思ってました。
長文、スレチスマソ。 まあいくら守備が上手いとはいえ、.260 7本 あたりの野手の平田が
ポジション譲るもないと思うけどな
若手で打率が期待できる和田豊や、長打が狙える八木がいたら、
レギュラー外されて守備固めに廻るのは普通のことでは 藤田元司が監督のチームなら、Gグラブでバントの達人の平田を守備の要としてチームを作るだろう
間違っても腰高で内野失格の烙印を押されることになる八木をショートに据えたりしない
平田は人格者というかフォア・ザ・タイガースの人間
松永の「砂場発言」も
松永「グラウンドがやわらかい」
阪神園芸「平田さんの指示ですから」
松永「控えの人の言う事聞いてどうすんの(呆)」 オマリー野田が残っていれば
97,98の横浜、2002,2003阪神みたいな2年越しのVやねんも可能だった
85優勝からまだ7年だったのに
当時は異様なまでの焦燥感があったと思う
今なんか平気で10年近く遠ざかってるのに誰も気付いてないw 仲田さえ93年94年しっかりしてくれれば優勝は無理でもそこそこいったと思う >>741
初戦、第2戦はバースのホームランだけだったし、バースがいなかったら西武の4タテで終わってたかもね
阪神打線が勢い付いたのは第5戦からだったし 「♪バース、かっとばせバーーース」
「♪かーっせ、かっとばせバーーース」
どっちなん?
甲子園ライトスタンドだとあまりにも大声援過ぎてどっちでも浮かなかったから前者で声を枯らしてたけど。 >>812
俺は
「♪いーーっぱつ かっとばせバーーース」と歌ってたぞ
多分間違いだったなw 「♪バース、かっとばせバーーース」
が正解だった気がするが
「ソーレかっとばせバース」
が歌いやすくて好き いよいよ4月17日(金)に大阪阪神百貨店で神が降臨なされるなサボりでみてくる 六甲おろしの立川清登もこの年の年末、タイガースの日本一を見届けるようにして亡くなったんだよな 社長も飛行機事故で亡くなってるしね
プレー以外でもいろいろとドラマチックな一年だった 懐かしいw
中継と番組の同時進行だったから、あまり野球とか興味なさそうなミュージシャンたちが、モニターで試合観てたのが印象に残ってる >>823
弘田じゃないだろうから北村か吉竹のこと?
かといって2番に平田や木戸を置くのも変だろ あれだけみんながポカスカ打ちまくったのに、同じような立場だった北村、吉竹は波に乗れずにどっちもレギュラーとれなかったね
85年の数少ない誤算のひとつだと思う >>825
前年に弘田、この年に長崎を獲得+真弓外野固定もしてるのだから、
レギュラー取れないのが誤算ではないような
北村と吉竹にはもう一皮むけてほしかったけどね 2番に弱打者置くのはこの時代は当たり前だったんだな >>823
クリーンアップなら謎だが2番は自己犠牲進塁打出来ればOK
この場合は単に優先順位の問題
@バース掛布岡田を当然クリーンアップに
Aクラッチヒッターの佐野を6番、真弓を1番に
この時点で2・7・8・9番が空き
B木戸は捕手だから2番は無い、平田もバント上手いが脚は遅い
Cんで平田より守備の負担が無い弘田北村吉竹を二番に
ということなんだが、本来なら移籍のベテラン弘田よりも
守備で受賞した北村がレギュラー定着していた筈だったが
いかんせん小技が苦手で弘田にレギュラーを奪われてしまった
最近で言えば英智や赤松タイプか 真弓は85年から完全に外野固定になったんだな
スタメンデータベース見ると86年にちょっとサードやってるが 後にキャッチャーがケガとかで全滅しかけたときにも、急遽真弓を捕手コンバートする案が出てたよね、さすがに実現はしなかったけど
85年もそつなく外野こなしたし、ここまでの万能選手は過去にもなかなか居ないのでは >>828の打順観がオカルトで、それでいて当時はセオリーだったという話 96年の鳥越みたいなもんか
彼も体格の割に全然打球が遠くに飛ばなかった 松井のいた頃のヤンキースだと
1番ジーター
2番AROD
3番シェフィールド
4番松井
日本でもこういう打線は2000年ファイターズ小笠原2番あたりから出てきたが、
今でも定着してない >>834
2000年以前の日本でその方向性を模索した例だと、三原監督の流線型打線の思想
を具体化した1番・仰木→高倉、2番・豊田、3番・中西、4番・大下……と並ぶ西鉄水爆打線がある。
大下が晩年に指し掛かり衰え出した時期だった事もあって、機能したと言えるのは1954〜1955と1957の計3年間だったけど。 真弓、バース、掛布、岡田が凄まじいがそれ以外はそう大したことがない打線。 佐野が凄かったんだよ。
残ったランナーを大体掃除してた >>838,839
タイトル制定初の勝利打点王だったよな。
運の要素に多分に左右される欠陥タイトル(例・併殺崩れの勝ち越し点の後、
勝利を決定付ける走者一掃のタイムリーが出た場合、走者一掃のタイムリー
を放った打者では無く、その前の併殺崩れの打者に勝利打点が付く)だった為に
廃止と相成ったが、後ろが貧弱な打者(優勝時は平田、木戸辺り)が並ぶ佐野の
場合は文句無しの勝利打点と言えたと思う。 佐野の85年は、後楽園での代打逆転満塁ホームランが一番印象に残ってるなー
翌日だかのスポニチに、佐野が打った瞬間の写真のバットをエレキギターに差し変えて「間違いさがし」とかふざけたコーナーがあったから余計印象に残ったw 平田は、打線構成を考え、ひ弱な下位打線にしたくないと、軸足をためて打つ打法を研究した。だから確率は低かったが当たったら飛んだ。4月はバースや掛布より、平田や木戸が打った
平田は4月だけなら首位打者だった >>826
北村は、運動能力はずば抜けてたが
なんか全体的に荒削りでムラが多かった
吉竹は、確実性はあったが非力すぎた
田尾や金森の獲得も理由はある 吉田監督の仕掛け
・岡田をレギュラー固定セカンド抜擢
・ショートだった真弓をライトにコンバート
・ショートに平田、キャッチャーに木戸を抜擢
安藤時代って、層は厚かったが、全てにムラがありすぎた
バースや岡田にも外野をさせたし 同点の7回裏一死満塁、1点差の9回裏二死満塁と作ったような場面で
いずれも掛布が凡退したヤクルト戦が印象に残る 841
たぶんそれ逆転打ではなくて、
5点差を追い上げる満塁弾
逆転は真弓だったような 勝利打点とリリーフの勝利ってとても似ている。
セーブ、ホールドがタイトルで勝利打点が欠陥扱いされるのはほんとおかしい。競争率が高いだけマシだろ。
リリーフのタイトルってそれぞれ最高でも6人で競われる。 例えば初回一死三塁から3番打者の内野ゴロで先制した後
4番が3打席連続本塁打で9打点挙げて10−0で勝ったとしても
勝利打点は3番打者に記録されるという不条理はあるが、
長い目でみれば勝利打点はそれなりの打者が記録してるのがわかるはずなのに。 佐野と言えば85年の5月20日ぐらい 阪神伊藤 巨人槙原 6回終了5−0から7回表バース安打掛布四球岡田四球 ノーアウト満塁山川北村凡打
2アウトから佐野がカーブをレフトスタンドにホームラン続く引間四球で投手、定岡に交代 真弓がレフトへ逆転ホームラン 後は山本が抑えて100勝100セーブ
ちなみに2日後の広島戦を7−0から13−8の歴史に残る大逆転勝利 佐野の満塁ホームランはテレビでみた
まだ阪神ファンは、数えるほどしかいなかった
広島の7点差逆転はラジオで聞いた。
掛布と真弓と岡田がホームランを打ち、バースの逆転満塁ホームランは本当に熱くなった
ただ地味ながら
その後岡田もホームラン打ったんだよな
あと、3回以降中継ぎが全く点を取られなかった >>843ー845
他人が書いた話をよく堂々とパクって書けるよな
いつもの妄想捏造書くよりはマシか >>852
その大逆転勝利のときは
弘田がバントの構えからホームランを放った職人技も忘れることができない 今の時代だと真弓マーチはディ○ニーからチェック入れられて使えなくなる? 一発屋とは言わないが、この年の岡田は狂い咲きに近い。この年以外での3割は1回(それも3割0分0厘)、30本塁打、100打点は無し。中途半端な中距離打者の代表格。 坂東英二によれば岡田はバッティングが巧すぎ、
ボール球でもヒットに出来る選手だそうで、
その為ボール球に手を出して自滅するとか言ってた。 この年の岡田といえば
・河埜落球時の全力疾走
・日シリ死球で死んだフリ→盗塁 岡田なら死んだふりしなくても盗塁はノーマークだっただろ 岡田は江夏との共著では200本以上打った中で2ストライク後のホームランは自分が一番多いと書いてる
石山建一氏との対談でも似たようなこと(2ストライク後のホームラン率は王より上)を言ってるけど、ホントかな? >>862
王は初球ホームランが圧倒的。
その次が3ボール2ストライクのフルカウントで
その次が3ボール1ストライクだったはず
王はとにかくピッチャーがストライクを欲しがるカウントで
ホームランを稼いでいる。 岡田は、晩年の2年以外は2ケタホームランだった。
92年に急激に衰えた 岡田って、晩年のオリックスを合わせた4年以外は2ケタホームランだったんだな。そう考えたら、一発屋とは言い難い 岡田は一年だけ確変シーズンがあった山崎裕之、田中幸雄みたいなもんだろ。 バース、掛布が去った後4番打った時期もあったけど、正直見劣りしたなぁ
守備は結局引退までずっとたらい回しで印象に残らなかった
一発屋ではないと思うけど、並のレギュラー選手て感じかな 岡田は日本一の年の数字が独り歩きしてる部分があり、過大評価されているような気がする。 セカンドで20HRコンスタントに打てるのは、並ではないでしょ
それに85年だけ突出してるのは言うまでもないけど、
ほとんどのレギュラー選手は、
キャリアハイ一年だけで見ても、この年の岡田に遠く及ばないのだし 確かに、二塁手で20本塁打は稀有の存在だった。この時代は篠塚、高木豊、正田、辻、大石と、
二塁手に良い選手が多かった。長打では勝っていたが、打率、守備力、走塁となると、岡田は落ちる。 それ以上に当時は遊撃手で20本塁打をマークしていたヨシヒコ、石毛、宇野もいたし
一応二塁も守っていた落合に比べると岡田の平年なんてイマイチな印象だったな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています