高めの直球に合わせて流し打った低く、鋭い打球が右翼手の手前で弾む。
22年目でたどり着いた2000安打目。
打球の行方を食い入るように見詰めながら走った田中幸雄は、一塁塁上で
感慨深げな表情を浮かべた。
快挙達成後に試合は一時中断。選手会長の金子誠、OBの西崎幸広、
岩本勉両氏らから花束を贈られた。かつての本拠地だった東京ドームのファン
から惜しみない拍手が送られると、田中幸雄は目を潤ませて喜びに浸った。
2003年にヒルマン監督が就任したのを機に、レギュラーの座が危うく
なった。04年は残り99本として臨んだが、代打起用が続き35試合の出場で、
わずか20安打。「何で出してくれないんだ」。スタッフらにいら立ちを
ぶつけることもあったという。
球団からは、他球団に移籍しての記録達成も打診された。
しかし、当時の球団幹部は「本人が日本ハムで達成したいと言ってくれた。
お互い我慢の日々だった」と振り返った。
球団は、生え抜き選手の快記録に対し、お祝い金1000万円を贈ることを
決定し、田中幸雄の背番号「6」を永久欠番にする方向で調整に入った。
大社啓二オーナーは「球団の勲章です」と、39歳5カ月で最高の輝きを
放った田中幸雄をたたえた。

http://www.sponichi.co.jp/baseball/flash/KFullFlash20070517064.html