ソース調べたら

仙塩合併
しかし、1966年(昭和41年)1月の仙台市長選挙で、仙台市以外の7市町村の首長がそろって、現職の仙台市長島野武の対立候補者を支持するという出来事があった[17]。
合併協議は中断した

合併破綻の直接的な原因は多賀城町の離脱だが、『仙台市史』は7市町村長の島野不支持の事例に見られる政治的な軋轢も仙塩合併頓挫の理由の一端として挙げている[18][21]。


つまり、島野が嫌われてたのが原因じゃん。
どんだけ嫌われてるんだよ。
これでは民主主義で言う潰されたではなく潰したほうじゃん。

戦前の1940年に仙台市から宮城郡塩竈町(当時)にかけての地域を工業地帯として開発する「仙塩地方開発総合計画」の立案者の金森誠之は和歌山出身だよ
嘘はいかんよ嘘は。
サヨクの仙台人が発展の足をひっぱてるのが証明されましたね