中高生の頃には偉いと思っていた数学者
旺文社の講座の時間になり
大学祝典序曲が始まると
いつもラジオのスイッチを切っていた 30年ほど前に塾のバイトしながら旺文社のラジオ講座で再受験目指し
マジ頑張ってた。寺田先生はベクトルの講義されてたね。 講義イントロで世間話されるんだけど、寺田先生が持病があって入院されたとき
担当医が著作にお世話になりましたと挨拶してくれたと楽しそうにお話しされて
いた。病気をおしてラジオに出てる感じ。体は強くなかったのかも あるいは代数をおやりの方は、寺田先生のガロア理論や線形代数などの書籍をお手に取られたかもしれません。
先生がご出身の東北大学にて28歳のときに証明された「代数的整数論における単項化定理」は
先生の金字塔の一つでしょう。
これを持って昭和生まれの初の理学博士号をお取りになったそうです。 秋山仁...学中ンときの数学の専攻が,その人に似ていた。 >>数学の専攻が
小一時間頭捻ってやっと意味がわかった 吉岡修一郎
数学ウラ話が楽しく読めたが
本業が医師であることを後で知った。
東進の講師で同姓同名の人がいる。 この人はHeinrich WeberとWilhelm Weberを
取り違えて書いていた。
こんな本は絶対に残らない。 足りないところがあっても
その時点で最高の出来だと認められれば
残っていく ヒサトミコレハル
久富惟晴:『高校大パニック』のセンコー役〈†〉 >>100, 102
そうくるか、ならば
森外三郎
林鶴一
刈谷他人次郎
竹内端三
近藤征太郎 森毅...高校ンときの現国のセンコーが,その人に似ていた。 守屋 美賀雄(もりや みかお、1906年3月 - 1982年10月18日)は、日本の数学者。高木貞治門下の一人。
専攻は整数論。1949年から始まったイールズ声明
1949年占領軍総司令部民間情報部最高教育顧問官イールズが全国の大学をまわって、
講演の中で共産主義者を大学から追放すべきだと主張していた)では、
1949年5月15日に北海道大学でイールズの講演に対し、カトリック信者として真っ向から反対している。 今でも偉いと思ってるが高木貞治。
本巣の富有柿センターの二階に高木貞治記念館がある。
5歳で漢詩を書いた掛け軸がある。絵もとびきり上手い。
解析概論、初等整数論、代数的整数論は今でもベストセラー専門書。 解析概論は微積分や関数論を読本、講義形式で書いてる。
文章が格調高い。他に類書がない。
高木貞治の講義を聴講している様。 梶原譲二
「複素関数論」の中身が多変数関数論であることに驚いた
複素関数論 POD版
数学ライブラリー 2
梶原壌二/著