>>181
つづき

アーカイブで検索したところ,原文には到達しませんでしたが(また到達できるのかどうか知りませんが),No34-321はauthor: Dukas, HelenでDate: 05/17/1939とありました。やはり,デュカスです。そこで先の本(『アインシュタイン―創造と反骨の人』)をもう少していねいに調べたところ,次の文章がありました(224頁):

彼〔アインシュタイン―引用者挿入〕の言うには,ベートーベンは自分の音楽を創造したが,モーツァルトの音楽は,宇宙に昔から存在してこの巨匠により発見されるのを待っていたように思われるほど,純粋だというのであった。また別の機会に,アインシュタインは原子戦争がもたらす荒廃を考えながら,そうなれば人々にはもはやモーツァルトは聞こえなくなるだろうと言った。一見これは奇妙に筋ちがいのことばのようにみえるが,文明の破滅を,これ以上深く言いあらわすことがほかにできるであろうか?

これが問題の言葉のもととなった文章と思われます。『モーツァルト頌』の編者は,どこかでこれを読んだ記憶から,「死とはモーツァルトを聞けなくなることだ」という言葉を作文したのでしょう。だから出典が明示できないのです。注意すべきは,この文章で問題になっているのは,「原子戦争がもたらす荒廃」や「文明の破滅」であって「死」ではないことです。確かに「荒廃」や「破滅」は「死」とは結びつきやすいものですが,当然両者の区別は必要です。

また,もしこのアインシュタインの発言がNHKの本(『アインシュタイン・ロマン1』)で引用されたアーカイブNo34-321と関係があるとすれば,その日付(「05/17/1939」)はウラン235の核分裂が発見され,またそこで発生する中性子の数から,核連鎖反応が可能であることが明らかになった時期と一致します。これは興味深い事実です。

以上の事情で私は,「死とはモーツァルトを聞けなくなることだ」などという言葉がアインシュタインのものとしてもてはやされているのは,無責任なモーツァルト評論家のいる日本だけであろうと考えています。

つづく