自動車を乗り回すだけの人は、エンジンの構造、動力伝達系、制御システム、
などを知る必要は無い。如何に自動車を操縦するか、その操縦法や操縦による
自動車の動作についてだけ判れば良い。

そういう観点からすると、現在の普通に流通している数学書は、
内部に拘りすぎていて、数学者になる人のためあるいは、かなり数学の中身に
関わりを必要とすると考える人の為の本ばかりだ。
構築された理論や定理を単に知ってあるいは使って、何か数学自身じゃない
ことをしようとする人向けには、まったく違う書き方をされた書物が
あるべきではなかろうか? つまり理論の筋道の解説と、そこで必要となる
定理の前提と結果を並べたような本で、もしも証明が必要ならXXXをみよとか
あるいはWebでURLをアクセスすると読めるみたいな。
とくに、通常の数学書のように、目的・目標や動機を一切語らずに
いきなり用語と定義が持ち出されて、命題(定理や補題)を
論理を繫いでいって、これこれの結果が得られるといって示す。
しかしその定理や補題も何のために持ち出したのかが読者には不明。
それがどんどんと続いて、本の終わりまでそれで進む。
結局何をしようとしているのか、何のためにやっているのか、
そういう真の動機や目的を隠して、ひたすら厳密であることだけを目指して、
演じている。そうして既に出来あがっているスタイル・流儀、型を守る
一種の古典芸能(能や歌舞伎のような) の演目のような性格を帯びて
いるのが今の数学書だろう。数学者が数学者養成の為に書く本なら
それでもいいだろうが、それ以外の分野や大衆向けには、違うアプローチが
あって良いと思うのだ。オーケストラの音楽を聴くほとんどの人は
使われている楽器のほとんどを演奏などできないし、譜面すら読めないのが
普通だろう。日常会話を獲得した小学生は文法を知らずに喋り、聞き、理解して
いる。もちろん文法的には正しくない発話を平気でしているが、概ねよしだ。
一言たりとも間違いがあってはならないといったとたんに、喋る行為は
思いとどまられてしまい、会話は死ぬね。