>>787
>『梶原景季が戦いの間に矢を全部使い切ってしまった後、梅の枝を折って箙(矢筒)に入れた』という平家物語の逸話にちなんで、箙多様体と名付けました」

(参考)
https://kotobank.jp/word/%E7%AE%99%E3%81%AE%E6%A2%85-446109
箙の梅(読み)えびらのうめ
精選版 日本国語大辞典「箙の梅」の解説
① 寿永三年(一一八四)の春、源平両軍の生田の森の合戦に、梶原源太景季(一説にはその父景時とも)が、梅の枝を箙にさして戦い、功名をあげたという故事。神戸市の生田神社の境内にその遺跡がある。えびらうめ。
※浄瑠璃・彦山権現誓助剣(1786)九「梶原源太景季は、平家の陣に切入って、誉を揚げし箙(エビラ)の梅」
デジタル大辞泉「箙の梅」の解説
えびら‐の‐うめ【×箙の梅】
1 寿永3年(1184)の源平生田の森の合戦で、梶原景季かじわらかげすえが梅の枝を箙に差して戦った故事。神戸の生田神社に遺跡があり、能や浄瑠璃の題材となった。

https://blog.goo.ne.jp/mitsue172/e/15091856e71b31c9af0aece862c3e3eb
平家物語・義経伝説の史跡を巡る
箙の梅 梶原景時・景季父子(生田神社)
兵庫県 / 2013-09-23
JR三ノ宮駅から西へ、生田前筋のアーチを北に抜けると生田神社があります。
境内には、梶原源太景季(かげすえ)が梅の枝を箙(矢を入れて背中に負う箱)に
挿して奮戦したという「えびらの梅」や平敦盛の遺児が父の墓を訪ねる際に
休息したという「敦盛の萩」など源平ゆかりの史跡があります。
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/e2/ccadec9668fa6d85bdc9a54acd51f767.jpg
景時の嫡男源太景季は、敵に囲まれ一時は討死したかと思われるほど
深入りして奮戦していました。
景季が箙に梅の枝を挿しているのを見た平家の公達は、略