iut語なるものがどんな文法則を持ってどんな推論則なのか知らんけど、現代数学である限り通常の数学の保存拡大、すなわちその“通常とは異なる文法と推論則”による証明が与えられれば、それを通常の数学の証明に変換できる事が保証されてる範囲内で行わなければ数学的には意味がない
例えば数学科の一回生で"well-defined性"を習うけど、well-definedの規則を守って新しい概念を導入してできる理論は素の理論の保存拡大である事が補償されてるので、数学者は必要に応じて議論を円滑にするためにどんどん理論を“保存拡大”させていく事で理論の展開をスムーズにできる
もちろん保存拡大性さえ保証されてるなら一回生で習うこの方法に依らないオリジナルな記述法を利用するのはもちろん構わない
その事に意義を唱える人間はおらんやろ
問題はその“iut語”による証明がホントに現代数学の保存拡大になってるのか、その"iut語"で書かれた証明を通常の数学の言葉での議論に落とし込むための“手順”が明示されてるのか
それがちゃんとなされてるなら問題ないけどな
されてないんやろな