>>93
>これがどういうことかわかるか?w

ミスター維新こと、おサルか(^^
それにどんな数学的意味があるのか?
さっぱり分からない
かつ、証明ができないだろうなw

そもそもが
江戸が いつから江戸が知らないが
徳川が、秀吉の命で、浜松から、関東(いまの江戸)に国替えになった
要するに、そもそも、浜松から行った人が基本でしょ

その上で、家康は、江戸の町を発展させるために、関西を含む全国各地から、人を移住させた
(例:新しい漁法が関西から佃島に移住してきた漁師を中心に盛んになっていった(下記))
もちろん、自分の意思で江戸へ移住した人も多数だろう
そして、明治維新で江戸から東京になり、さらに多くの人が、東京に移住した

親子五代というと、30年間隔として、概算150〜120年だろうか
いま2020年だから、1900年前後に東京に住み始めた?
その前は、どこに居たんだ? おいww(^^;

(参考)
https://urayasu.weebly.com/280062343312398275082149012392390802230312398208773033035211.html
浦安の歴史と風土の再発見 ★2016.10.27発行★ 「人情たっぷり浦安ことば」  〜浦安の方言とその世界〜
https://urayasu.weebly.com/12295122882774325144210691239228023.html
ふるさと浦安文化つうしん
浦安歴史探訪
 第2回    江戸前と海
(抜粋)
 浦安に人が住みついたのは、今から850年をさかのぼる鎌倉時代の初めといわれているが、その頃は 海辺で塩を焼いたり、魚や貝を獲ったりの,原始的でのんびりした生活をしていたらしい。 
浦安に限らないが、江戸時代より前の関東の漁業は、比較的幼稚な漁法で行われており、貝とりも漁船を使わない「岡っ掘り」であった。

本格的に発達するのは天正18年(1590)の徳川家康の江戸入府以来のことだといわれている。
家康の積極的な都市建設で、江戸の人口は急増し、蛋白源である魚類の需要も増大したことにより、新しい漁法が関西から佃島に移住してきた漁師を中心に盛んになっていった。

佃島(中央区)は、隅田川の河口にあって、江戸時代には佃島の先は房州まで海であった。

つづく