純粋・応用数学
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クレレ誌 クレレ誌はアカデミーの紀要ではない最初の主要な数学学術誌の一つである(Neuenschwander 1994, p. 1533)。ニールス・アーベル、ゲオルク・カントール、ゴットホルト・アイゼンシュタインらの研究を含む著名な論文を掲載してきた。 現代の純粋・応用数学を目指して >>112 カットを除去するのは、証明の効率とか見やすさとは無関係 ざっくりいえば、 「カットのない証明ばかりなら理論は無矛盾」だから 「どんな証明もカットなしにできる」と云えれば 理論が無矛盾だといえる ただし肝心のカット除去の手続きは元の理論の枠内でできない (ペアノ算術のカット除去がε0の超限帰納法を必要とするのは有名だが より弱い算術でもカット除去に必要な順序数の超限帰納法は その理論で許される帰納法の範囲を超えている) https://en.wikipedia.org/wiki/Ordinal_analysis 証明論は証明の方法を研究する理論ではない 唐突で恐縮だが 「巨大数論」ってM.C.Escherの作品みたいなものだと思う 双曲的タイリングも研究目的で考え出されたものだが 見た目が美しいから美術作品になった 巨大数(というか構成的順序数)も本来無矛盾性証明の目的で 考え出されたものがそれ自身の面白さから興味をもたれた 今後、純粋数学の成果が、こういう形で一般人の興味を 引くことがあれば、それはそれでいいことだと思う >>116-117 どうも コメントありがとう(^^ メモ https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66298 週刊現代 20190805 東大・京大・早慶では「中国人留学生」が圧倒的に優秀という現実 教育現場が実感する「日本の衰退」 数学五輪は世界1位 「ここ4〜5年、東大にいる中国人留学生が全体的に優秀になっている印象があります。かつては優秀な子もいれば、そうでない子もいて、玉石混交の状態でした。 ところが、最近は日本人の学生はもっと頑張らないと厳しいと思えるほど、優秀な中国人留学生が増えています」 そう語るのは、東京大学先端科学技術研究センター教授・西成活裕氏だ。 大国・中国の存在感は政治、経済の世界以外でも増す一方だ。7月11日からイギリスで開催された国際数学五輪でも、中国チームはアメリカとともに1位に輝き、日本は13位に沈んだ。そんな国力の衰えを最も実感しているのが、教育現場なのだ。 いま、中国人留学生が東大、京大、慶應、早稲田などの名門校に多数在籍している。そして、その多くが日本人が太刀打ちできないほど、優秀な成績を収めている。 現在、東大には約2400人の中国人留学生がいる('19年5月時点)。中国の高校を卒業した後、留学生試験を受けて学部から入る、あるいは中国国内の大学を卒業後に日本人と同じ院試を受けて、大学院から入学するなど、パターンは様々だ。 つづく >>119 つづき 西成氏が話す。 「日本人学生とはハングリーさが違います。私の講義後、質問にやってくるのは、きまって中国人留学生。彼らは自分が理解できなかった部分や疑問に感じたところを、その場で明らかにしたいという考えを持っているように感じる。 反対に日本人学生はなかなか質問に来ない。『まあ、いいや』と済ませてしまう人が多い傾向にあると思います」 東大には学業、社会活動などで優れた成績を収めた学生を表彰する「総長賞」という制度がある。 これまで何人もの中国人留学生が受賞しており、直近では'17年度に薬学系研究科の博士課程に在籍する中国人留学生が「自然免疫受容体Toll様受容体7の構造生物学的研究」というテーマで総長賞を受賞している。 「私が会った中国人留学生で印象的だったのは、中国の大学を出て、研究員として東大にやってきた青年です。彼は何かに興味を持ち、研究を始めると、必ずどこかで区切りをつけ、論文という形にまとめるんです。 日本人学生の場合、研究を始めても、行き詰まったり、面白みがないと、すぐに諦めてしまう。必死さが違うんです。 通常、研究者は年齢と同じ本数の論文を書かなければならないとされています。たとえば、40歳であれば40本といった具合です。 しかし、彼は30代ですでに100本近くの論文を書いていました。いま彼は中国の大学に戻っていますが、30代の若さですでに教授になっています」(西成氏) (引用終り) 以上 >>121 コメントありがとう >といっても最終的にはアフリカが勝つんですが ああ、そうかも(^^ >>121 そういう反論「しか」しない、そういう反論で「済ます」、 という日本人がいかに多いかという話だと私はとらえました。 >>123 コメントありがとう なるほどね(^^; 圏論の大家 William Lawvere 氏の古典的名著 集合論を圏論で書けるぞという話です。 (参考) http://www.tac.mta.ca/tac/index.html Theory and Applications of Categories http://www.tac.mta.ca/tac/reprints/ Reprints in Theory and Applications of Categories http://www.tac.mta.ca/tac/reprints/articles/11/tr11.pdf An elementary theory of the category of sets (long version) with commentary F. William Lawvere 1964 緒言 The elementary theory presented in this paper is intended to accomplish two purposes. First, the theory characterizes the category of sets and mappings as an abstract category in the sense that any model for the axioms which satisfies the additional (non-elementary) axiom of completeness (in the usual sense of category theory) can be proved to be equivalent to S. Second, the theory provides a foundation for mathematics which is quite different from the usual set theories in the sense that much of number theory, elementary analysis, and algebra can apparently be developed within it even though no relation with the usual properties of ∈ can be defined. 有限単純群の分類 https://www.ams.org/journals/bull/2006-43-01/S0273-0979-05-01071-2/ Authors: Michael Aschbacher and Stephen D. Smith Title: The classification of quasithin groups I, II Additional book information: Vol. 111, Mathematical Surveys and Monographs, vols. 111--112, American Mathematical Society, Providence, RI, 2004, 1221 pp. https://www.ams.org/journals/bull/2006-43-01/S0273-0979-05-01071-2/S0273-0979-05-01071-2.pdf BULLETIN (New Series) OF THE AMERICAN MATHEMATICAL SOCIETY Volume 43, Number 1, Pages 115?121 S 0273-0979(05)01071-2 Article electronically published on July 5, 2005 The classification of quasithin groups I, II, by Michael Aschbacher and Stephen D. Smith, Mathematical Surveys and Monographs, vols. 111?112, American Mathematical Society, Providence, RI, 2004, 1221 pp., US$228.00, ISBN 0-8218-3410-X (Vol. 111), 0-8218-3411-8 (Vol. 112) In 1983, Danny Gorenstein announced the completion of the Classification of the Finite Simple Groups. This announcement was somewhat premature. The Classification of the Finite Simple Groups was at last completed with the publication in 2004 of the two monographs under review here. These volumes, classifying the quasithin finite simple groups of even characteristic, are a major milestone in the history of finite group theory. It is appropriate that the great classification endeavor, whose beginning may reasonably be dated to the publication of the monumental Odd Order Paper [FT] of Feit and Thompson in 1963, ends with the publication of a work whose size dwarfs even that massive work. googleのビューで一部読める(^^; https://books.google.co.jp/books?id=Ex-ZAwAAQBAJ& ;pg=PA85&lpg=PA85&dq=Classification+of+finite+simple+groups+quasithin+Mason&source=bl&ots=OnFoDJh82g&sig=ACfU3U2qFDKa5bJQZ9ioLAvekYqch5C6nQ&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwjY8buR37rpAhWQA4gKHW4cATgQ6AEwCXoECDUQAQ#v=onepage&q=Classification%20of%20finite%20simple%20groups%20quasithin%20Mason&f=false The Classification of Finite Simple Groups: Groups of Characteristic 2 Type 2011 著者: Michael Aschbacher、 Richard Lyons 、 Stephen D. Smith 、 Ronald Solomon スレ主よ、最近見かけないと思ったら、ここにいたのか(笑 ところで僕のスレに質問少年、サル石、なりぷっ、酔狂というアホ軍団がいて、 ε-δ論法のε、δは、任意だから、どんな巨大な数でもいい、 という珍説を延々と主張しているのだ(笑 たとえばy=x^2という関数の、x→2のときのyの極限を論じる際に、 εは任意だから、ε=1000000と取ってもいい、と主張している(笑 で、僕が、取ってもかまわないが、そんな巨大なεを取っても意味がないし、 そんな巨大なεを取るバカはいない、と説得しても絶対に納得しない(笑 そういうわけで、ヒマがあるなら僕のスレを覗いて、 このアホどもに、そんなεを取るバカはいないと説明してやってくれ(笑 ◆e.a0E5TtKEはε−δを全く理解できずに落ちこぼれたから無理だろう >>128 哀れな素人さん、どうも お久しぶりです >ε-δ論法のε、δは、任意だから、どんな巨大な数でもいい、 >という珍説を延々と主張しているのだ(笑 それは、数学の視野が狭いですね そもそも、”ε、δは、任意だから、どんな小さな数でもいい”ですよ ε、δで、大きい数を考える意義は、全くありませんねw(^^; >>130 スレ主よ、今お前のレスを僕のスレにコピペした(笑 これでアホ軍団どもも少しは納得するだろう(笑 これからも応援よろしく頼む(笑 なにしろ真性のバカが集まっているから(笑 文学馬鹿と工学馬鹿がお互いにトンチンカンなこといってつるんでるなw >>130 安達さんは、εは任意だけど、微小な範囲の任意でならない、と言っています 大きいεを考える必要はない、ではなく、考えてはいけない、と言っているのです その証拠に、y=xのときx→0のときy→0となることを示せ、と言われて 任意の正なるεにたいしてある正数δが存在して、0<|x|<δ→|y|<ε と答えたとしても、安達さんは満足しません 安達さん「バカか(笑)xとyとしてどういう範囲のものを考えてるのかを考えないと意味がないのである(笑)」 というわけです xとyが微小である、という条件がつかない限り、安達さんは、 >任意の正なるεにたいしてある正数δが存在して、0<|x|<δ→|y|<ε という通常のεδの方法論は間違っていると思っているわけです {0<ε<10000}∈{0<ε<1} 数学には巨大なεを「考えてはならない理由」も「考えない方がいい理由」も無い。 「考えてはならない理由」や「考えない方がいい理由」は数学的理由ではなく数学外理工学的理由である。 むしろ巨大なεを考える事によりεの大小による評価理工学が生まれる。 ε-δ論法=εrror-δistance論法=error-distance論法=誤差-距離論法 もしεが小さくなければならないか小さい方がいい理由があったとしたら それは物理学的化学的生物学的工学的経済的理由でεが大きく取れないだけであり 純粋数学的な理由ではなく応用数学的な『精度要求』の話であり、 もし『精度要求』するならεは(ε>0)&(ε∈R)だけではなく (0<ε≦10)&(ε∈R)と書かれる(此処に『≦10』は安達老人が考える微小な数である)筈である。 >>130 >ε、δで、大きい数を考える意義は、全くありませんねw(^^; <補足> 1.関数には、自然に定義域と 値域と があって、それを外れる ε、δの大きい数を考える意義は、全くありません 2.あと、例えば、ある1点x0で不連続な関数があって、不連続なx0の近傍での連続を考える場合に、不連続な部分を含める意味もまた、無いのです 3.但し、適切な(特に”適切”の定義はしませんがw)範囲で、任意と書かれていることに対し 大きな数であっても、その値を取ることは 問題ありません(任意の範囲です) 以上 >>135 >2.あと、例えば、ある1点x0で不連続な関数があって、不連続なx0の近傍での連続を考える場合に、不連続な部分を含める意味もまた、無いのです すごいですね 安達さんと全く同じ間違え方してます もしかして、あなた安達さんなんですか? 不連続な部分を含める云々は、δですよ εではありません 任意にεを取ってきたとしても、δを上手く制限すれば、定義域も自然と必要なだけ狭めることができるのです 横から失礼するがこの話は f(x)=x^2 f:R->Rとした時のx=0での連続性について 単にδ= εとしたのではダメで δ=min{ε,1}と正確に書くべきだと主張しているのに過ぎないのではないないでしょうか >>136-139 うーん(^^ 1.例えば、y=1/x^2 という実関数を考えます 2.この関数は、x=0に極を持ち、x=0で不連続と考えられます(不連続なのは この1点のみです) 3.さてΔx>0で、Δxを小さくとってx=0の すぐ近くの点 x=0+Δxでの連続性を考えます この時、y=1/(Δx)^2です (Δx>0は 任意に小さく取れます。つまり、繰返しますが 不連続点はx=0のみです!) 4.ところで、y=1/(Δx)^2となるxは 2点有って、+1/Δxと-1/Δx とが考えられます! つまり、δだけで決めると、±√(1/δ)の2つの点の xが求まります 5.いま、証明したいことは、「点 x=0+Δxでの連続性」ですから x=0を含まないように 小さくεを取って、Δx>ε>0 の範囲内に収まるようにして ε-δ論法を適用すれば良いのです 6.しかし、上記4項と5項に 無頓着に 「δだけで決められる」とか考えて「 x=0 を含む」となると ε-δ論法が 正常に使えないことになるのです (ちゃんと、問題の点 x=0+Δxの近傍のみ で考えるべし! です ) >>140 ケアレスミス訂正 4.ところで、y=1/(Δx)^2となるxは 2点有って、+1/Δxと-1/Δx とが考えられます! ↓ 4.ところで、y=1/(Δx)^2となるxは 2点有って、+Δxと-Δx とが考えられます! だな(^^; >>140 εが小さいところだけ調べておけば、面倒な場合分け等が必要でなくなる時もあるってことですよね しかし、それはεが大きなところを考えていけないことを意味しません εが小さいところで調べておけば、自動的にεが大きいところでも調べたことになるのです ε=10のときδ=1と求めたならば、ε=10000000000のときのδもδ=1とすれば良いのです 安達さんはこれを否定します εは微小でなければならないから 安達さんは、あくまで、εを大きく取る必要はないと言っているのではなく、大きく取ってはいけないと言っているのですよ >>140-141 補足 下記の位相空間 "開集合を用いた定義 二つの位相空間 X, Y の間の写像 f: X → Y が連続であるとは、任意の開集合 F ⊆ Y に対しその逆像 f^{-1}(F)={x∈ X| f(x)∈ F} が X の開集合となるときに言う。" を用いる方が、すっきり言えるよ (参考) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E7%B6%9A%E5%86%99%E5%83%8F 連続写像 連続性は、空間の位相が同相(位相同型)であることの基礎となる概念であり、特に全単射な連続写像が同相写像であるための必要十分条件は、その逆写像もまた連続となることである。 連続でない写像あるいは函数は、不連続であると言う。 定義 位相空間の定義に複数の同値なものがあることに従って、連続写像の定義にも複数の、しかし互いに同値なものを考えることができる。 開集合を用いた定義 二つの位相空間 X, Y の間の写像 f: X → Y が連続であるとは、任意の開集合 F ⊆ Y に対しその逆像 f^{-1}(F)={x∈ X| f(x)∈ F} が X の開集合となるときに言う。従って、f は集合 X, Y の間の写像(であってそれらの位相の元の間の写像ではない)にも拘らず、f の連続性は用いられている X, Y それぞれの位相に依存する性質であることに注意すべきである。 つづく >>143 つづき 閉集合を用いた定義 (開集合の補集合としての)閉集合を用いても同値な定義が得られる。即ち、二つの位相空間 X, Y の間の写像 f: X → Y が連続であるとは、任意の閉集合 F ⊆ Y に対しその逆像 f^{-1}(F)={x∈ X| f(x)∈ F} が X の閉集合となるときに言う。 近傍系を用いた定義 近傍を用いて位相空間の一点における写像の連続性を定義することもできる。 位相空間 X 上で定義された写像 f: X → Y が一点 x において連続であるとは、像 f(x) の任意の近傍の f による逆像が再び x の近傍となること、即ち ∀ N∈ N_f(x): f^{-1}(N)∈ M_x が成立することを言う。 近傍系が上方集合(英語版)系であるという性質を用いれば、 ∀ N∈ N_f(x),∃ M∈ M_x: M⊆ f^{-1}(V) ∀ N∈ N_f(x),∃ M∈ M_x: f(M)⊆ N などのように言い換えることもできる。後者は逆像ではなく像を使った言い換えになっている。言葉で言えば、これはどんなに小さな近傍を選んでもそれに写される近傍が必ず見つけられることを言っているのである。 またこの定義は、基本近傍系あるいは特に開近傍のみを考えるものに単純化しても、実は同値になる。 ∀ V∈ T,f(x)∈ V,∃ U∈ T,x∈ U: U⊆ f^{-1}(V) ∀ V∈ T,f(x)∈ V,∃ U∈ T,x∈ U: f(U)⊆ V やはり後者は逆像の代わりに像を用いた言い換えである。これは、X, Y が距離空間のときには、任意の近傍を考える代わりに x および f(x) をそれぞれ中心とする開球体全体の成す近傍系を考えるというのと同じことであって、このとき、写像の連続性は距離空間の文脈における通常の ε-δ を用いた連続函数の定義と同じであることが確かめられる。 一方、一般の位相空間では近さや距離の概念を使わずに議論しなければならない。 とは言え、終域 Y がハウスドルフならば、f が一点 a において連続であるための必要十分条件を、x を a に限りなく近づけるときの f の極限が f(a) であること、と述べることができることには注意。 (引用終り) 以上 長文投下すれば私が黙ると思っているのですね 言葉をどう変えようが同じことです 任意の開集合F、からスタートしてますよねその定義でも だからFは任意で良いのです 小さなFを考えれば、それより大きいFでは自動的に成り立つので考える必要はない しかし、それは大きいFを考えてはいけないことを意味しない 安達さんはそこを捉え違えているのです >>142 の言う通り「大きい数を考える必要が無い」は「考えてはいけない」ではなく ε=1万 は ε>0 に含むし、安達老人は言う「10以下は暗黙の了解」と言うが 数学では全くそんな事なくキッチリ 0<ε≦10 又は ε と書かれるし 同時に「ε≦10でなければならない」だなんてのは「精度要求」であり 数学以外の理工学でやる話 要するに安達老人は純粋数学の内で語られる筈のε-δ論法に 「ε≦10」と謂う名の「精度要求」を「添加」して勝手に応用数学の話をしとる事になる。 此の場合「純粋数学と応用数学の境は無くなって来とる」言う話とは縁無い事。 両方とも純粋数学と応用数学を完全に棲み分ける距離を持って境を挟んどる故。 粋蕎さん、どうも お説の通りですよ ちなみに、哀れな素人さんとの議論は ユークリッド幾何の有名な第五公準ですよ 現代風に言えば、SSと望月かw(^^; どちらがどうかは、分かりませんがね(゜ロ゜; ID:woZIY97T これは質問少年(笑 何度も説明したのに、僕が何を言っているかさえ分っていないアホ(笑 >大きいεを考える必要はない、ではなく、考えてはいけない、と言っているのです だから「考えてはいけない」などと言ったことは一度もない(笑 あるなら挙げてみろバカ(笑 お前ほど国語力のないバカはいない(呆 >εが小さいところで調べておけば、自動的にεが大きいところでも調べたことになるのです だからそれは間違いだと何度も声明しただろバカ(笑 x=3で連続だからといってX=30で連続とは限らないのだ(笑 分るか? アホ少年(笑 >>144 (引用開始) 近傍系が上方集合(英語版)系であるという性質を用いれば、 ∀ N∈ N_f(x),∃ M∈ M_x: M⊆ f^{-1}(V) ∀ N∈ N_f(x),∃ M∈ M_x: f(M)⊆ N などのように言い換えることもできる。後者は逆像ではなく像を使った言い換えになっている。言葉で言えば、これはどんなに小さな近傍を選んでもそれに写される近傍が必ず見つけられることを言っているのである。 (引用終り) ここは、結構面白いかも(^^ 昔、「なんで逆像を使う?」と聞かれて、うまく説明できなかった 今見ると、順像を使う方式もあるのですね でも、逆像の方が良いみたいですが スレ主よ、質問少年はサル石以上にしつこいから、 今後も延々と粘着して来るぞ(笑 そして、アホだから、今後も延々と εは任意だから、どんな巨大な数でもいいです、 ε=1000000と取ってもいいです、 と主張し続けるだろう(笑 この少年はε-δ論法がどういうものか、まったく分っていないのである(笑 ちなみに粋蕎が僕が酔狂と名付けた男だ(笑 広島在住で、たしか40歳代とか書いていたように思う(笑 飲んだくれであることを自ら認めている(笑 なぜかは知らないが平日の昼間から投稿している(笑 ↓粋狂のおバカ発言(笑 √2や1/3は超現実数じゃ。 小数部分が0の整数を純整数という。 >>150 はいはい、安達さんは自分が言ってること理解できないのですねー 任意の正なるεを持ってきて、δ=εとする 0<|x|<δ→|x|<ε これがε=10000000000の時に成り立たないのは何故なんでしたっけ? もちろんサル石と、エモがなりぷっ様と呼んでいる男も、 質問少年や酔狂と同じで、 「εは任意だから、どんな巨大な数でもいい」 と考えているのである(笑 お前はこれからこれらアホ軍団に悩まされることなるぞ(笑 >>150 >x=3で連続だからといってX=30で連続とは限らないのだ(笑 はい、安達さんがそのような誤解をしているだろうということは百もお見通しなんですよw 安達さん、x=3での連続を今考えてるのになぜx=30での連続性の話が出てくるのですか? 意味不明なんですけどw εδは、ある点における連続性を調べるときに使うものなのですよ もちろん、一様連続とか安達さんには理解できない概念もありますが、今考えたいのは各点における連続性の話ですから 連続性と一様連続の違いなんて、安達さんには百年勉強したってわかるはずがないと思います 見ろ、アホの質問少年が出て来た(笑 >ε=10000000000の時に成り立たない 成り立たない、などと一度も書いたことはないのに、 この少年はアホだから、僕がそう主張していると思っているのだ(笑 とにかくアホすぎて付き合いきれない(笑 >>155 >>155 >「εは任意だから、どんな巨大な数でもいい」 > >と考えているのである(笑 てことは、安達さんはどんなに巨大な数でもいいというわけじゃないと思ってるってことじゃないですか >>150 >だから「考えてはいけない」などと言ったことは一度もない(笑 ほら、これ嘘ですよ >>152 哀れな素人さん、どうも ガロアスレのスレ主です(^^ >>145 ID:woZIY97T は、おサルでしょうねw(^^; >スレ主よ、質問少年はサル石以上にしつこいから、 >今後も延々と粘着して来るぞ(笑 ええ、おサルさん、相手してやりますよw でも、哀れな素人さんが、某スレに引き付けて頂いているので、助かっています 今後も、よろしくお願いいたします。m(_ _)m >>157 y=xのときはいいんでしたっけ? 任意の正数εに対して、δ=√εが存在して 0<|x|<δ→|x^2|<ε x→0のときx^2→0の証明です このときは、ε=100000000000でも良いんでしたっけ? >>156 >x=3での連続を今考えてるのになぜx=30での連続性の話が出てくるのですか? お前が >εが小さいところで調べておけば、自動的にεが大きいところでも調べたことになるのです と書いているからである(笑 バカか、お前は(笑 >>161 いや、だからεはyを制限するのだと何度言えばわかるんですかね xが制限を受けるのはδですよ ε=10000000000000でも、δ=0.00000000001とかにしておけば、考えるべきxは3-0.00000000001〜3+ 0.00000000001の超狭い範囲になりますよ >>159 違う(笑 ID:woZIY97T が質問少年だ(笑 ですます体の、中高生のような、女のような文章を書くからすぐ分る(笑 >>160 しつこいバカ ε=100000000000はいけないなどといつたことは一度もないのだアホ どんな巨大な数でもいいが、そんなのは不必要で無駄だと言っているのである(笑 何度言えば分るのか、お前は(アホすぎて付き合っていられない >>163 x=3では連続だけど、x=30で連続でない場合は、ε=1000000000の場合を考えてはいけないのですよね? ほら、嘘じゃないですか 安達さんは任意のε取れない場合があると言ってるんじゃないんですか? >>162 お前のアホさに真に呆れる(笑 εがyを制限するのではなく、δがxが制限するのでもなく、 その逆なのだアホ(笑 だからδ=0.00000000001と取るなら、 ε=100000000000と取る必要はないと言っているのだ白痴(笑 >>165 >だからδ=0.00000000001と取るなら、 >ε=100000000000と取る必要はないと言っているのだ白痴(笑 ∀ε ∃δ ∀δ ∃ε の違いがなーんにもわかってないですね そういえば、安達さんは ∀ε∀δ だと思ってるんでしたっけ? 前εもδも任意だみたいなこと言ってましたね >>164 どこまでアホなんだ、お前は(笑 >ε=1000000000の場合を考えてはいけない そんなことを僕がどこに書いた(笑 考えてもいいが、不必要で無駄だと言っているのだアホ(笑 まだ分らんのか(笑 お前の相手をすると一日が潰れてしまうからここまで(笑 アホとは付き合っていられない(笑 >>167 x=3で連続、x=30で不連続の時でも、ε=1000000000ととっても良いのですね? じゃ別にx=3で連続、x=30で不連続の例をあげる必要ないじゃないですか なにを言いたいんですか、この例で >>166 >∀ε ∃δ >∀δ ∃ε >の違いがなーんにもわかってないですね 確かに 初心者の典型的なつまづきですね ∀ε ∃δ の場合、δはεの関数、δ(ε) ∀δ ∃ε の場合、εはδの関数 ε(δ) ε−δ論文の場合、前者 つまり、点aについて、関数fの値域の範囲εを定めれば、 それに合わせて定義域の近傍の範囲δ(ε)が決まって |a−x’|<δ(ε)ならば |f(a)−f(x’)|<ε となるとき、関数fは点aで連続、と定義する ということ >>168 何度同じ質問をしているのだアホ(笑 お前が >εが小さいところで調べておけば、自動的にεが大きいところでも調べたことになるのです と書いているからだ(笑 x=3で連続、x=30で不連続の場合があるから、 >εが小さいところで調べておけば、自動的にεが大きいところでも調べたことになるのです ということにはならないのだアホ(笑 分るか?(笑 国語力ゼロのアホ(笑 >>143 補足 Q:連続写像の定義には,なぜ開集合の「逆像」をつかうのですか? 取りあえず貼る(^^ http://www12.plala.or.jp/echohta/top.html 位相空間・質問箱 大田春外 http://www12.plala.or.jp/echohta/top/QA/QA013.html 読者からの質問と回答 01121 ? 01130 大田春外 (抜粋) Y.Y.さんからの質問 #01129 連続写像の定義には,なぜ開集合の「逆像」をつかうのですか? 位相空間の間の連続写像の定義に「逆像」を用いるのはなぜでしょうか. 写像による位相構造の保存が連続性の意味であると思うのですが,そうだとしたら,開写像や閉写像の定義の方が,直感的には連続の定義として受け入れやすいと感じています. 大学の講義では,距離空間間の連続写像の定義から命題として, 「写像 f: X ---> Y が連続 <=> Y の任意の開集合 O に対し,f^{-1}(O) が X の開集合」 を導き,これを一般の位相空間における連続写像の定義とする流れをとっていました. 論理展開としては理解できますが,何となく受け入れ難さを感じています. よろしくお願いします. お答えします: 連続性が何を表現しているかということを考えてみるとよいのではないでしょうか. 一般に,写像 f: X ---> Y は,空間 X を空間 Y に変形するときの点の対応を表していると考えることが出来ます. このとき「 f が連続であるとは,この変形によって X が破れない(=切れない)」ことを表現しています。 このことは 『はじめよう位相空間』に詳しく説明しました. 一方,位相空間は,開集合が増加すると離散的な状態になり,開集合が減少すると密着的な状態になるという性質があります. したがって,写像 f: X ---> Y が連続になる(すなわち,X が破れない,離散的にならない)ためには,あくまで大ざっぱに言えばですが,f によって開集合が増えないことが必要です. つづく お前にもう一度質問しておく(笑 ε-δ論法で、関数y=x^2の、x→2のときの極限を論じる際に、 お前はどのようなx、yの範囲を考えているのか(笑 これに答えてみよ(笑 そうすればε=1000000と取ることがいかにばかげているか分る(笑 お前はこういうことを考えていないから、 ε=1000000と取ることのばかばかしさが分らないのだ(笑 [cos x]の件に関しては答えなくていい(笑 >>171 つづき 開集合の逆像による連続性の定義は,大ざっぱに言えば,Y の開集合が X の開集合になると言うことですので,f によって開集合が増えないことを表しています. このことは,集合 X に2つの位相構造 T_1 と T_2 を考え, 写像 f: (X, T_1) ---> (X, T_2) を恒等写像とすれば,一層はっきりすると思います.このとき,開集合の逆像による f の連続性の定義は,T_1 ⊇ T_2 であることと同値です. 以上が,連続性の定義に,開集合の「逆像」を用いる理由です. Y.Y.さんと同じ疑問を持つ人は他にもいると見えて,D. J. Vellman という人がトポロジーの講義をしていたら,聴講していた同僚の先生から「像によって写像の連続性を定義することを出来ないか」という質問を受けたと,数学の雑誌に書いています.彼は1つの答えを見つけましたが,そのことも 『はじめよう位相空間』の最後の章で触れておきました. http://www12.plala.or.jp/echohta/top/tpage01a.html はじめよう位相空間 大田春外著 日本評論社 本書は2000年3月まで『数学セミナー』誌に同じ表題で連載した原稿を加筆,修正したものです。本書の演習問題のいくつかは,その際の読者からの質問をもとにして作られています。読者からの有意義な質問と激励にあらためて感謝いたします。 https://researchmap.jp/read0010844 大田 春外 オオタ ハルト (Haruto Ohta) 以上 >>169 そんなことは誰だって分っている(笑 問題は、この質問少年その他のアホが、 εは任意だからどんな巨大な数でもいい、と考えていることなのだ(笑 たとえばε-δ論法で、関数y=x^2の、x→2のときの極限を論じる際に、 このバカどもは、εは任意だからε=1000000と取ってもいい、 と主張しているのだ(笑 だから、それがいかにアホなことかを教えてやろうと思って、 >>172 のような質問を出しているのである(笑 ところがこのバカどもは答えないのだ(笑 質問の意味が分らないらしい(笑 つまりεδ論法が根本的に分っていないということだ(笑 >>170 だから、それってεが小さいときはいいけど、大きくなったらダメってことじゃないですか x=3で連続でx=30で不連続なときは、εが巨大だとダメなんですよね? >>172 ようやくなに言いたいかわかりました だから、それも巨大なεを禁止する理由にはならないですよね εの値によって場合分けしとけばいいだけの話ですよ >>174 >εは任意だからどんな巨大な数でもいい なんか不都合なことある?ないよね? なんか「開集合の逆像が…」とかいってる人もいるけど 距離がなくなっただけのことで、いくらでも大きい開集合がとれる点で同じ なにがいいたいのか全然わからないな >>171 追加 こちらが分かり易いかも(^^ http://blog.livedoor.jp/ron1827-algebras/archives/cat_1275732.html 龍孫江の数学日誌 連結性、連続性及び位相について (抜粋) 連結性, 連続性および位相について (その5) 2018年08月09日 前回は「連続性」にまつわる 3 つの定義をおさらいし, 点列連続性の定義から, 写像の連続性を 限りなく近付く点同士の像はまた限りなく近付くような写像と意味づけました. この直観的な意味を知ったうえで, まずは ε-δ 論法の定義を見返しましょう. ε-δ 論法の主たる眼目は「点 x の δ 近傍の像が f(x) の ε 近傍に包まれるようにできる」ですから, これもまた「x に "近い" 点を f(x) に "近い" 点に写す」というイメージを定式化したものだと言えそうです. しかし, 単に「δ 近傍の像が ε 近傍に包まれる」だけで ε や δ に何の制約もない状況では, これは何がいいたいのか判りません。きわめて小さい正数 δ>0 をとっているのに, ε がなかなか小さくできないようであれば, 「x に "近い" 点を f(x) に "近い" 点に写す」という看板に偽りありということになります. そこで現れるのが, δ (と ε) に与えられた関係「いかなる (微少な) 正数 ε に対しても, 然るべき (微少な) 正数 δ によって云々」です. この文言によって, われわれが漠然と述べてきた標語「"近い" 点を "近い" 点に写す」において, 値域の "近さ" の関係こそが主であり, 定義域の "近さ" は値域のそれに従するものでしかないことが明らかにされるのです. まず ε によって, 値域における像 f(x) の "近さの基準" が設定されます. ここに包まれないものは「近くないと見なすぞ」というわけです. この近さの基準をふまえて x の "近さの基準" δ を設ければ, それは ε によって大きくも小さくもなるだろうけれど, 少なくとも像の "近く" δ 近傍の像は総て f(x) の "近く" に写っていると判ります. このように解き明かしていくと, いよいよ当初の疑問であった 連続性はなぜ逆像によって定義されるのか に手が掛かります. つづく >>177 つづき 例. 2 点集合 {x,y} に離散位相を定めたものを X, 密着位相を入れたものを Y とせよ. f:X→Y を底集合の恒等写像とすると, f は連続かつ全単射だが 逆写像 g*f-1 は連続でない, 特に f は同相ではない. 同じ集合に強弱の異なる位相を入れているのですから同相 (位相構造の同型) であるはずはなく, そもそもの集合の濃度も小さく, つまりは容易な例なのですが, この例こそは「連続/不連続とは何か」をもっとも端的な形で示しています. ほとんど明らかながら, 一通り証明しましょう. 密着空間からの写像 g はどうでしょうか. このとき, 定義域の 2 点で "とても近い" にも拘わらず, 写像で写してみると "近い" とは言いきれない組が存在しており, この写像が「近い点を近い点に写す」という標語に適するとは考えられません. では「近い点を近い点に写す」という標語を充たす写像を求めるにはどうすればよいのでしょう. この標語を精確に表現するならば, ある点の像 f(x) の近傍を考える場合に, x の (それなりの) 近傍がその近傍中に写されるような写像こそを連続写像と定めたいのです. このような写像を求めるには, ε-δ 論法の時と同様に, まず値域での関係, すなわち「2 点の像は "近い" のか」を最初に問わねばなりません. そのうえで, それらを引き戻すことで「定義域内では近いのに, 写すとそれほど近いとは言えない」ような点が存在するかを論じることができます. これを位相構造, すなわち開集合だけで表現しようとしたものが「開集合の逆像はまた開集合である」という連続の定義に他ならないのです. 最後までご覧いただきありがとうございました. 参考になりましたら, こちらもポチッと. (付録) 連結性, 連続性および位相について (その2) 2018年08月03日 この位相空間 X を R の素スペクトルといい, Spec R と表す. また, このように定義される位相をザリスキ位相という. (引用終り) 以上 >>178 (引用開始) 例. 2 点集合 {x,y} に離散位相を定めたものを X, 密着位相を入れたものを Y とせよ. f:X→Y を底集合の恒等写像とすると, f は連続かつ全単射だが 逆写像 g*f-1 は連続でない, 特に f は同相ではない. (引用終り) この例いいね ”点集合 {x,y} に離散位相を定めたものを X, 密着位相を入れたものを Y” なるほど 違う位相を入れたときに、逆像を使う方が扱い易いのか(^^; >>175 分らないアホだな(笑 大きくなったらダメとも、εが巨大だとダメとも言っていない(笑 巨大なεを禁止する、とも言っていない(笑 とにかく国語力が壊滅的にダメだ、お前は(笑 何でお前はそんなにアホなのか(笑 >>176 お前もか(笑 不都合なことがあるなどとは一言も言っていない(笑 不必要で無駄だと言っているのである(笑 何でy=x^2の、x→2のときの極限を論じる際に、 ε=1000000と取る必要があるのか(笑 昼はここまで(笑 >>180 εの値によって場合分けして、各場合ごとにδを選べば良いだけですよね 結局なにが言いたいのかさっぱりわかりません >>183 数学力がこのスレでびりっけつは断然コピペ工学部だろ。 >>167 >どこまでアホなんだ、お前は(笑 >>ε=1000000000の場合を考えてはいけない >そんなことを僕がどこに書いた(笑 >考えてもいいが、不必要で無駄だと言っているのだアホ(笑 では必要で無駄じゃないεの値を具体的に答えて下さい >>185 だからそれを教えてやろうと思って>>172 の質問を出しているのである(笑 答えは教えない(笑 自分で考えよ(笑 >>177 補足 (引用開始) まず ε によって, 値域における像 f(x) の "近さの基準" が設定されます. ここに包まれないものは「近くないと見なすぞ」というわけです. この近さの基準をふまえて x の "近さの基準" δ を設ければ, それは ε によって大きくも小さくもなるだろうけれど, 少なくとも像の "近く" δ 近傍の像は総て f(x) の "近く" に写っていると判ります. このように解き明かしていくと, いよいよ当初の疑問であった 連続性はなぜ逆像によって定義されるのか に手が掛かります. (引用終り) ”連続性はなぜ逆像によって定義されるのか”? さらに補足すれば <簡単に一変数実関数で考えると> 1.”連続”は、値域 像 f(x) つまり Y側の事情で決まっています 2.下記の「跳躍不連続性」の例で考えれば 3.「Y側で、開集合の部分を探す。その逆像が、X側で開集合になっていることを確認する」 それが、ごく自然な連続であることの確認手順であり、また、連続の定義になる! そう理解するのが、分り易いと思います!!(^^ (参考) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E9%80%A3%E7%B6%9A%E6%80%A7%E3%81%AE%E5%88%86%E9%A1%9E 不連続性の分類 (抜粋) 例 2: 跳躍不連続性 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e6/Discontinuity_jump.eps.png/220px-Discontinuity_jump.eps.png 点 x0 = 1 は跳躍不連続点である。 (引用終り) 以上 εδ論法とは、εとδをどんどん小さくするとどうなるか、 あるいは、εとδをいくらでも小さく取れる、という論法なのである(笑 だから小さく取らないと意味がないのである(笑 分るか?(笑 だからどんな動画や教科書でも小さなεδを取って説明しているはずだ(笑 任意だからどんな巨大な数でもいい、 などと言っているのはお前らのようなバカしかいないのだ(笑 今朝はここまで(笑 >>187 補足の補足 > 3.「Y側で、開集合の部分を探す。その逆像が、X側で開集合になっていることを確認する」 > それが、ごく自然な連続であることの確認手順であり、また、連続の定義になる! 一変数実関数の場合は 「Y側で、開集合の部分を探すと、必ず その逆像が X側で開集合になっています」 ですので、 「Y側で、開集合の部分を探す」だけで、関数の連続部分の調査が終了します このことからも、”連続性はなぜ逆像によって定義されるのか”は あきらかですね(^^; >>188 哀れな素人さん、どうも(^^ (引用開始) εδ論法とは、εとδをどんどん小さくするとどうなるか、 あるいは、εとδをいくらでも小さく取れる、という論法なのである(笑 だから小さく取らないと意味がないのである(笑 (引用終り) 同意です ”開集合”を考えると明かですね ”開集合”の範囲内に εが収まるように δを取らないと意味がない 大きい εや δを考える意味がない ”位相”の教養が不足していますね(^^; >>186 だから ∀ε>0 に対し 0<|x-2|<√(ε+4)-2 ⇒ |y-4|<ε だから lim[x→2]y=4 と答えてるだろがw おまえ字読めないの? さあ早く>>185 に答えろ また逃げる気か? >>190 すみません、開集合だとしても、任意の開集合を考えますよね? 小さい開集合も大きい開集合も定義では全て調べる必要があるのですよ しかし、小さい開集合だけ調べておけば、大きい開集合で成り立つのは明らかだということなのです >>192 >すみません、開集合だとしても、任意の開集合を考えますよね? >小さい開集合も大きい開集合も定義では全て調べる必要があるのですよ >しかし、小さい開集合だけ調べておけば、大きい開集合で成り立つのは明らかだということなのです どうも コメントありがとう ですが、話が数学なので、はっきり申し上げるが 「小さい開集合だけ調べておけば、大きい開集合で成り立つのは明らか」は不成立でしょうね 例えば、下記の「関数の連続性と一様連続性」ご参照 さて、ある開区間 I=(x1,x2) ∈ Xで、その区間内に(発散する)極 又は 跳躍不連続点(>>187 ) x0 (x1<x0<x2)があったとします なので、開区間 I 全体では、連続ではない! だから 二つの開区間(x1,x0) と (x0,x2) とに分けて、考えればいいけど(つまりは、δ、εは、ある限界以上は大きくできない) それで、 ”連続”なる 二つの開区間(x1,x0) と (x0,x2) に分けるといいけど 理論的には、「連続の定義」の中で、 「”連続”なる 二つの開区間(x1,x0) と (x0,x2) に分ければ」とか言うと それは、数学的にはまずいよね (つまり 「連続の定義」を規定する中で、”連続”が先験的に分かっているという理屈になるからね) だから、「δ、εは 適当に小さく取れて」で 一貫して説明しないとまずいですよね (参考) https://mathtrain.jp/continue 高校数学の美しい物語 関数の連続性と一様連続性 最終更新:2019/06/05 (抜粋) 関数の連続性のイメージ いきなり厳密な定義を書くとひるんでしますので,まずはイメージから。 関数が連続であるとは,直感的には「関数がつながっている,ちぎれていない」という意味です。 ここまで理解できれば高校範囲では十分です。以下は大学内容です。 連続関数の厳密な定義は冒頭の定義を ε-δ を使って書けばよいだけです。(ε-δ を用いた極限の定義ははさみうちの原理の証明を参照してください。) 連続性の定義: 考えている区間内の任意の実数 a と,任意の正の実数 ε に対して,ある δ が存在して「|x-a|<δ なら |f(x)-f(a)|<ε」が成立する。 (引用終り) >>193 いやだから、εに相当する行った先の開集合は任意にとりますよねってことですよ ( ・A・) ( ゚д゚) ( Д ) ゚ ゚ ( Д ) ......._。......_。 コロコロコロ… 安達老人に任せたら次世代がバカになる… スポポポポポポーン!!! 。 。 。 。 。 。 ゚ 。 。゚。゜。 ゚。 。 / // / / ( Д ) Д)Д)) スパパパパパパーン!!!!!! + ,, * + " +※" + ∴ * ※ * * * +※ ゙* ※ * + + "※ ∴ * + * ∴ + * ※"+* ∵ ※ *" ( Д ) Д)Д)) 分るか爺さん>>185 に答えられずまた逃亡w この爺さん答えに困ると決まって逃亡するからなあ 国文科出身者ってこんなんばっかなの? この爺さんが異常なの? >>193 お答えします 1.下記の 例 3: 真性不連続の図と式を見て下さい 2.この図で、5/(x-1)=π/6 (つまり x=1+30/π)とすると f(x)=1/2です 3.で、εを小さく 例えば ε=0.1 とすれば、Yの側で 1/2±0.1 で、真性不連続点を含まない範囲に取れます。 4.しかし、ε=2として、1/2±2の範囲を考えると、真性不連続点を含むことになります。それは、数学的には面白くない状況であり、あまり意味がない 5.たしかに、仰るように ”連続性の定義のε-δ に反しているわけではない”ですね(多分、厳密には(小さいεのδの値を、大きいεに適用すれば良い?))。 6.だが、明らかに 数学的に重要なのは、「εをいくらでも小さく取れる」であり、力点は「εの小さい方」にありますよね (^^; (それに、εが大きすぎると、ε-δ法に対する 位相空間の開集合の逆像を使う方法 との関係も見にくいし) (参考) (>>187 より) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E9%80%A3%E7%B6%9A%E6%80%A7%E3%81%AE%E5%88%86%E9%A1%9E 不連続性の分類 (抜粋) 例 3: 真性不連続性 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/92/Discontinuity_essential.svg/220px-Discontinuity_essential.svg.png 3. 函数 f(x) = sin(5/(x-1)) for x<1 = 0 for x=1 = 0.1/(x-1) for x>1 を考えれば、点 x0 = 1 は真性不連続点である。真性不連続点であるためには、極限のどちらか一方が存在しないか無限大であればよい。 なお、この例の関数を複素数変数に拡張しても、その不連続性は真性不連続性である。 (>>193 より) https://mathtrain.jp/continue 高校数学の美しい物語 関数の連続性と一様連続性 最終更新:2019/06/05 (抜粋) 連続性の定義: 考えている区間内の任意の実数 a と,任意の正の実数 ε に対して,ある δ が存在して「|x-a|<δ なら |f(x)-f(a)|<ε」が成立する。 (引用終り) >>191 何度言えば分るのかアホ(笑 お前の答えは>>172 に対する答えではない(笑 僕はεやδのことを質問しているのではない(笑 どんな範囲のx、yを考えているのか、と質問しているのである(笑 分るか?(笑 お前が答えた式のx、yとしてお前は具体的に、 どんな範囲のx、yを考えているのか、と質問しているのだ(笑 分るか?(笑 何でお前らはこんな単純な質問の意味が理解できないのか(笑 お前らは本当に真性のアホである(笑 それから僕はいつも2chに張り付いているわけではない(笑 午後からは一度も見ないこともしばしばあるのだ(笑 お前らのようなアホの相手をするのは時間の無駄だから(笑 とにかく「任意だからどんな巨大な数でもいい」 などと考えているのはお前らアホ軍団四人組だけである(笑 今夜もここまで(笑 ∀ε(>0)と書かれてる時点で正実数全体を考えてる事になるけどね >>198 >0<|x-2|<√(ε+4)-2 これがxの範囲でなくて何なの? >|y-4|<ε これがyの範囲でなくて何なの? 屁理屈はいいからまず答えろ x,yの範囲ではなく何なのか? >>197 訂正 2.この図で、5/(x-1)=π/6 (つまり x=1+30/π)とすると f(x)=1/2です ↓ 2.この図で、5/(x-1)=-11π/6 (つまり x=1-30/(11π))とすると f(x)=1/2です 補足 f(x) = sin(5/(x-1)) for x<1 で、f(x)=1/2となる点を求めようとしたのだが、周期2πで 5/(x-1)=π/6-2nπとして、n=1のときが x=1-30/(11π)<1 です エクセルで計算すると、0.131882129 になりました 大変失礼しましたm(_ _)m >>200 分らん奴だな(笑 だから|x-2|、|y-4|、このx、yとして どのような範囲のx、yをお前は考えているのか、 と質問しているのである(笑 何でこんな簡単な質問の意味も理解できないのか、お前らは(笑 今朝はここまで(笑 安達老人…定義域または値域と不等式の関係さえ分かってないで言っとるとは恐れ入るわ >>202 すみません、これ何を言わせたいのか全くわからないのですけど、誰か教えてくださいよ >>201 さんとかわからないんですか? あなたも安達さん系統の人だからなんかわかるんじゃないですか? >>197 小さいεを考えるだけで十分であり、大きなεを考える必要はない それはそうですよ しかしですね、安達さんは、大きなεを考えてはいけないと言っているのですよ >>197 >(多分、厳密には(小さいεのδの値を、大きいεに適用すれば良い?))。 安達さんはこの操作を否定します バカか(笑)巨大なεをとることに意味はないのだ(笑) というわけです 考える必要がない、と口では言っていますが、実際言っていることは考えてはいけない、なのです 安達さんはその違いがわからないのです >>153 安達老人。何度も言うとるが 自然数∈整数∈有理数∈実数∈超実数∈累超実数∈超現実数 じゃぞ >>204 >>>201 さんとかわからないんですか? >あなたも安達さん系統の人だからなんかわかるんじゃないですか? うん? 呼んだ?(^^; あなた達、なんで、哀れな素人さんと、延々 エンドレスの議論しているのですか? ユークリッド幾何の第五公準を知っていますか? 哀れな素人さんは、文系の人ですよ あなた達、ヒマなんですか?(^^; >>207 >自然数∈整数∈有理数∈実数∈超実数∈累超実数∈超現実数 粋蕎・・・おまえも名声乞食同様、集合論の∈を誤解する馬鹿だったか >>208 >ユークリッド幾何の第五公準を知っていますか? その質問にどういう意味がある? 自惚れ素人の質問は、いつもながら意図が不明 >>208 ひまだからおもちゃで遊んでるんじゃないですかw あなたでもやっぱり解読不可能だということなんでしょうかね >>209 ああ所属と集合を一緒くたにした書き方をした 1からの自然数から成る半群∈0からの自然数から成るモノイド∈整数環∈有理数体∈実数体∈超実数体∈累超実数体∈超現実数体 >>212 根本的に分かってないな 包含関係だから⊂を使う 例えば 自然数(モノイド)⊂整数(環)⊂有理数(体)⊂実数(実閉体)⊂複素数(代数的閉体) ∈と⊂の混同って、世間ではざらなのか? 自分は◆e.a0E5TtKEがこの間違いをやらかしたのを見たとき 正真正銘の馬鹿だとおもったもんだが 公理的集合論だとa∈aという記法は普通なんだろ 数学だと見ることはないね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる