ザックリ言って演繹的に理詰めからスタートするのが形而上学、帰納的に経験、実践を積み上げていくなら形而下学。
現代数学は形而上学の立場をとる、という字面の事はしってるのかな?
ならまず0.9999‥‥について議論するなら、最初にするのは0.9999‥‥とは何かを規定するとこから始めないと。
のにレスは小学生でもわかるとか、なんとかかんとか形而上学の真逆をいっていて、しかしかかし読めと言ってる哲学書が形而上学の教科書。
なに言ってんの?