>>863
それは教える側の先生から見て、簡潔で正確で都合が良いというだけではないですか?
既出ですが、教わる側の子供がどう判断するのかは勝手で、その上を行けば何も無理に矯正する必要はないでしょう
先生の通りの説明に拘るなら、表現に穴がありまくる子供に教えさせない方が良いと思うのですが

また、出来る子が出来ない子に教えて、その様子を一言一句先生が見ているというシチュエーション想像できないのですが
本当のことですか?
出来る子、出来ない子1人ずつではないはずなのに現実的ではないと思います
都合の良いように会話や出来事を作り上げているような気さえします