ナントカ川本に、「情報不足による無知を確率で扱う手法」が書かれているのだろう。
それを読んだスレ主はなぜか「時枝問題もその手法で扱われなければならない」と考える。(ここが馬鹿)
そしてその手法による確率と時枝解法による確率が異なるので、時枝解法はおかしいと主張する。
しかし、使っている手法が違うのに同じ確率になる方がおかしいのである。

このようなアホなことになってしまうのは、スレ主が本に書かれていることを理解してるのではなく
崇拝しているからである。自分の頭で考えようとせず、著者に感化されているだけなのである。
こういうタイプは数学に向かない。