>>94
>「これでABCの証明に失敗してたら何も残らないじゃないか」
>ということになるので、ABCの証明の正しさが話題になるのは自然である

しつこい初歩的な藁人形論法だな
ABCの証明に成功しようが失敗しようが『数学自体の構造』
に新しい変革や新しい境地を与えるかどうかが数学の全て。

>>95
>ABC自体が「どうでもいい定理」ということはあり得ない。
>なぜなら、それでは>>92のように望月氏がピエロになってしまうからだ。

初歩的な言葉遊びだな
証明する事自体に価値がないと言っているだけであって
証明をしようと努力する試み自体には価値がある。
なぜならその努力の過程で抽象的な数学の論理に魂が入るから。

数学という学問は例えるなら荒野に道路を作る事だね
そして難問というのは荒野の地平線上に見える燈台のような存在

その燈台を目安にして道路を建設していけばいい訳だけど
大事なのはあくまで荒野に道路を作ることであって
必ずしもその燈台にまで道をつなげる必要もない
(道路を整備していけばいつか自然に燈台とも地続きになる事はある)