>>26 つづき

これを纏めると
1)の場合については、補集合が「R中稠密でない」から、“Q”(開集合の存在)を含意しているから、証明の必要もない、トリビアな主張
2)の場合については、一般には、(例えば性質Gが“fが連続”)とした場合、稠密な補集合が存在し反例となるか、例外的に補集合が空集合になる。
(反例は、1例をあげればいいが、「例外的に補集合が空集合になる」ことはきちんと別に証明が必要だ。)
3)だから、定理1.7のような、「補集合がベールの第一類集合→”ある開区間(a,b)⊂Bfが存在する”」という形の定理は、まっとうな数学の定理として、相応しくない。

これを、もとの定理1.7について見るに、
性質G“Bf :={x ∈ R | lim sup y→x |(f(y) − f(x))/(y − x)|< +∞ }”の補集合R−Bfが、(稠密で)開区間の反例として存在しうるのか、あるいは、「例外的に補集合が空集合になる」のか? そこは分らない。
>>25で述べたように、Gδ−Fσ理論が当てはまるなら、反例として存在しうるように思う。)

しかし、上記のような事情で、1)の場合については、証明の必要もないトリビアな主張だから、2)の場合だけをきちんと取り上げて、補集合R−Bfが、(稠密で)開区間の反例として存在しうるのか、あるいは、「例外的に補集合が空集合になる」のかだけを、定理として扱うべき。
2)の場合を、”ある開区間(a,b)⊂Bfが存在する”という形で扱うべきではない。

元の定理1.7では
2)の場合は、「P’∧Q’2(補集合が稠密)→P’∧Q’2(開区間(a,b)⊂Bfが存在しない)→Q(ある開区間(a,b)⊂Bfが存在する)」だ
だから、仮定命題がT(真)のとき、必ず結論命題がF(偽)になる。
命題全体が真になるためには、仮定命題がF(偽)で無ければならない。
そういう命題は、まっとうな数学の命題としては、相応しくない。

つづく