【専門書】数学の本第75巻【啓蒙書】
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数学書やその周辺の話題について語りましょう。 荒らしや煽りは禁止。 見ている人を不快にさせる書き込みはひかえてください。 人としての基本的な礼節を守って、皆で楽しみましょう。 前スレ 【専門書】数学の本第74巻【啓蒙書】 http://itest.5ch.net/rio2016/test/read.cgi/math/1511085768 >>413 「無定義語」とか全く関係ないんだよなぁ。 >>383 >写像 f: X→Y が単射であることの定義は「もしも f(x)=f(y) を満たすような X の点 x,y が存在するならば x=y でなければならない」というだけであって、 >f(x)=f(y) を満たすような X の点 x,y が存在することは単射の定義からは保証も要請もされていません。 現代数学概説Tから(ほぼ)引用することになり著作権に反することになるかも知れない。 岩波の方にはこのことを予め断っておく。そのあたりは、どうか許してほしい。 定義の話に戻るが、現代数学概説Tでは、 MからNへの(一価の)写像で、Mの任意の相異なる2元 x_1, x_2 に対し f(x_1), f(x_2) がいつも相異なるとき、 すなわちfの値域 Im(f) のの元yに対して f(x)=y となるようなMの元xが唯1つに限るとき、 fを一対一(記号では1:1 または 1-1)の写像または単射という。写像 (f:)Φ→N はいつも単射と見なされる。 というようにして単射が定義されている。ブルバキの定義を採用している。 >>383 定義の部分の訂正: すなわちfの値域 Im(f) のの元yに対して → すなわちfの値域 Im(f) の元y(∈N)に対して 集合論って大学数学の中では一番簡単なのでしょうか? 伊藤先生の確率論意外と読みやすい。もっと行間が開いてるかと思っていた。 斎藤毅著『集合と位相』を読んでいます。 X ∋ x → (x, x) ∈ X × X のグラフを求めよ。 この問題の解答が以下のようになっています。 {(x, (y, z)) ∈ X × (X × X) | x = y = z} これって、 {(x, (x, x)) | x ∈ X} ではダメなんですか? 斎藤毅著『集合と位相』を読んでいます。 「定値写像 X → Y とは、 X → 1 → Y のように分解できる写像のことである。」 と書いてあります。 こんな当たり前のことをわざわざ書いているのはなぜでしょうか? なぜそんな風に考えるのかを書かないのは、ひどいですよね。 共変性、反変性についてもただ名前を出すだけでまともな説明がありません。 水上は1日1時間の勉強だけで理3に受かったんだぞ これこそ天才だろ >>424 >斎藤毅著『集合と位相』を読んでいます。 > >「定値写像 X → Y とは、 X → 1 → Y のように分解できる写像のことである。」 > >と書いてあります。 これだけじゃ分からんけど代数系を専攻しようとする人には良本に見えるな このスレは浄化中です。書き込みは他のスレにしましょう。 集合論が難しいなんてことはないだろ 難しいのはロジックレベルの集合論だけ 大学院入試で一番難しいのは何だかんだで複素解析だが、こんなのを難しいと思うなら 大学院の数学科なんか行くべきでない >>433 複素解析は十分難しい(が解ける)問題を作りやすいということですか? 普通に考えれば、どの分野でも難しい問題を作るだけなら簡単だと思います。 複素解析については、十分難しく、入試問題としてふさわしい問題(良問?)を作るのが簡単だということですか? >>434 >>433 は単なる感想文。 院の入試で何が難しいかということと集合論を簡単に感じるとは関係ない。 集合論が簡単かどうかを一言で述べることは、好き嫌いを述べているようなモノ。 院試レベルの集合論の問題を無理に考えるなら 2^(aleph 0)≠ aleph ω を示せ、とかかな aleph 1 の定義を知らない数学者なんて腐るほど居るから ちょっと難し過ぎるかも知れないけど >>424 圏論を全く知らない人に真面目に説明するとなると 丸々一ページ以上かかるから仕方ないかと 可換図で表示するのは別にまるっきり圏論様独占物ってわけじゃないだろ。 まあ可換図出てくるぐらいまで行ったら普通にホモロジー代数や圏論として定式化されたものを一通り教科書的にやるべきなんじゃないかって議論はありだと思うが。 斎藤毅著『集合と位相』を読んでいます。 M(m, n, R) ∋ A に A 倍写像 R^n → R^m を対応させる写像は、可逆である。 この可逆写像により、行列の積は写像の合成と対応する。行列の積の結合則は、 写像の合成の結合則から導ける。 と書かれています。 B → f_B A → f_A のとき、 B*A → f_(B*A) = f_B 〇 f_A これを証明するには、 (B*A)*x = B*(A*x) を証明する必要がありますが、 (C*B)*A = C*(B*A) を証明するのと手間が変わらないと思います。 (C*B)*A → f_((C*B)*A) = f_(C*B) 〇 f_A = (f_C 〇 f_B) 〇 f_A = f_C 〇 (f_B 〇 f_A) = f_C 〇 f_(B*A) = f_(C*(B*A)) よって、 (C*B)*A = C*(B*A) 行列の積の結合則は、写像の合成の結合則から導ける。 ↑全然、ありがたくないですね。 整数論基礎講義 本橋 洋一 固定リンク: http://amzn.asia/55a8bRP ↑こんな本が出ますね。 売れなさそうなタイトルに 売れなさそうな著者だな あとは装丁がどうなっているか https://www.amazon.co.jp/dp/4535788464/ 数学の読み方・聴き方 森毅の主題による変奏曲 梅田亨 森毅とオイラーが同格かよwww >>450 この梅田っていう人、こんな誰も読みたがらないような本を書いて、変な人ですね。 徹底入門 解析学 梅田 亨 固定リンク: http://amzn.asia/eMZxwpw ↑この本もつまらなそうな本ですね。 斎藤毅著『集合と位相』を読んでいます。 次のような自明な問題を出題しています。 この出題の意図は何でしょうか? 写像 f : X → X に対し、次の条件 (1) - (5) は同値であることを示せ。 (1) f は X の恒等写像 id_X である。 (2) 任意の集合 Y と任意の写像 g : X → Y に対し、 g 〇 f = g である。 以下略。 >>453 (5) 任意の写像 g : 1 = {0} → X に対し、 f 〇 g = g である。 ⇒ (1) f は X の恒等写像 id_X である。 これを証明するのに斎藤毅さんは、わざわざ可換図式を使っています。 なぜ、そんな解答なのか読者には理解できないのではないでしょうか? 独りよがりですね。 >>455 なれるのであれば なってるんじゃないかな 斎藤毅さんって抽象化して見た目をスッキリさせるというのが好きですよね。 線形代数の本や微積分の本でもそのような傾向がありますよね。 x を X の任意の元とする。 写像 g : 1 ∋ 0 → x ∈ X に対し、 f 〇 g(0) = f(x) g(0) = x f 〇 g = g だから f(x) = x よって、 f = id_X である。 >>458 なるほどー ろくな数学の論文書いてない森の本とか意味あるのかな? >>457 実は、この問題には補題があります。 (5) ⇒ (1) を導くのに、その補題を使っています。 抽象バカですね。 >>462 数学の論文を書くのはそんなに大変なことなのでしょうか? 誰も読まないような水準の低い論文ならば書けるのではないでしょうか? 数理科学のための複素関数論 (ライブラリ数理科学のための数学とその展開) 森 重文 固定リンク: http://amzn.asia/7ZEmHtk ↑また複素関数論の本が出ますね。 森毅とか、数学の研究が好きなだけ出来る環境にいて、 なんで数学の論文書かなかったのかな? >>465 森重文は編集で、実際に書いたのは畑正憲じゃなくて畑政義だよ >>466 森毅は大学入試は合格最低点で受かるのが一番良いとしていた人だから 研究者としても首にならない最低レベルでよいと思っていた >>466 大学1年次に習う微分積分学ですら 完全に理解し極めようと思ったら一生掛かる というのも微積分学の背景にある集合論や位相をどう扱い どのように記述するのかは哲学の問題だからだ 唯一絶対の答えはない世界で簡単に論文を出せる方がおかしい それだから確かな知識人にとって論文は就職のための論文であると宣言している 森毅さんのように論文を書けない人がいる一方で、 大量に論文を書ける人もいますよね。 違いは何でしょうか? 「よりみち33」が言っていることがよく分かりません。 解説をお願いします。 問題2.3.3 f : X → Y を写像とする。次の条件 (1) と (2) は同値であることを示せ。 (1) f は可逆である。 (2) 任意の集合 Z に対し、写像 f^* : Map(Y, Z) → Map(X, Z) は可逆である。 よりみち33 問題2.3.3 より、集合は、その集合から他の集合への写像が決まれば、 決まってしまうものと考えられる。このことを使って、集合を他の集合への 写像を使って特徴づけることを、普遍性(universality)による特徴づけという。 f^* : Map(Y, Z) → Map(X, Z) は、 Map(Y, Z) ∋ g → g 〇 f ∈ Map(X, Z) という写像です。 >>471 は 問題2.3.3 より、集合(X や Y)は、その集合(X や Y)から他の集合(Z)への写像が決まれば、 決まってしまうものと考えられる。 という意味ですか? 梅田亨 森毅の主題による変奏曲 数セミの連載は面白かったよ 単行本は高過ぎるな しかも上下巻とか どの記号を用いるべきか迷ったりわからなくなったりする そのときに私が目を瞑れば数学はないという立場になればよい してみると人間による数学が浮き彫りになり人間の歴史を知る必要があることがわかる さて人間の歴史と言ってもそう古くまでは遡らず 自然状態の人間まででよいだろう 自然状態の私がもつものとは万人の闘争状態下にある 生命・身体・自由・財産権である この自然権をどのように行使するべきなのかは偏に契約によって決まる 契約とは独我論的には神との契約であるが他者の存在する社会においては合意である 誰と契約を結ぶべきなのかまた結びたいのか 構造主義的記号論に疲れたときに考えれば哲学問題も解決するだろう そういう意味でトマスホッブズの『リヴァイアサン』がお勧めです まあプラトンやアリストテレスと似たようなお話ですが 自然権を具体的に表す権利は国家刑罰権である そう考えると刑法を学ぶことも面白い 日本の刑法学は小野・牧野・木村から始まっている 人間とは何かを問い続ける 疲れるけど楽しい >>466 森先生は40過ぎで自分の才能に見切りを付けて、研究以外の道に活路を見出されました そこには数学者としての矜持と現実との、苦しい苦しい葛藤があったわけです そんな風には見えないけどね、チャラそうでいて実際は中々厳しい人でした >数学者としての矜持と現実との、苦しい苦しい葛藤があったわけです みんなあるだろ、結果がだせたかだせなかったかそれだけだ 赤鯉ファンには情緒が感じられないって喧嘩ふっかけたんだろw 読んでる本に載ってる問題が解けなくて先に進めず 解けるまでもう少し頑張るか飛ばして先に進むか >>484 ある程度考えても解けないときは思いきって進んだ方がいいと思う。よく言われるけどしばらくたつと簡単に解けることは実際にある。 それにいつまでも先に進めないのもそれはそれで問題だし。 素朴集合論は割りと簡単だよ 公理的集合論はヤバいくらい難しいがな 斎藤毅著『集合と位相』を読んでいます。 「X を集合とし、 (X_i) i ∈ I を X の部分集合の族とする。 X の元の族 (x_i) i ∈ I が、任意の i ∈ I に対し、 x_i ∈ X_i をみたすとき、 (x_i) i ∈ I は (X_i) i ∈ I の元の族であるという。 Π X_i = {(x_i) i ∈ I ∈ Map(I, X) | ∀i ∈ I x_i ∈ X_i} は、 (X_i) i ∈ I の元の族全体のなす集合ということになる。これを、 集合族 (X_i) i ∈ I の積とよぶ。」 と書いてあります。 その後、選択公理のところで、 「(X_i) i ∈ I を集合族とし、任意の i ∈ I に対し X_i ≠ φ であるとする。 このとき、積 Π X_i も空集合でない。」 という箇所があります。 選択公理のところでは、 (X_i) i ∈ I は X の部分集合の族とは仮定されていません。 「積」が定義されているのは、 (X_i) i ∈ I が X の部分集合の族のときだけです。 これはごまかしではないでしょうか? (X_i) i ∈ I は ∪ X_i の部分集合の族と考えるということでしょうか? 斎藤毅著『集合と位相』を読んでいます。 「I が有限集合のときは、選択公理を仮定しなくても、任意の i ∈ I に対し X_i ≠ φ ならば、 Π X_i ≠ φ である。これは、 I の元の個数が 2 以下 なら明らかであり、」 と書いてあります。 「I の元の個数が 2 以下なら明らか」と書いていますが、なぜ、 I の元の個数が 3 以上のときには明らかではないのでしょうか? なぜ「2以下」と書いたのでしょうか? >>491 「I の元の個数が 0 のときは明らか」と書くのが自然ではないでしょうか? 斎藤毅著『集合と位相』を読んでいます。 「圏論的考え方」って何ですか? なんか当たりまえのことばかりですよね。 森毅は、 「数学的な業績が無くても宮廷の教授、准教授になる方法」 って本を書けば良かったのに。 ついでに、数学的な業績が無くても宮廷の教授、 准教授になった人達との対談とかも、 付ければより内容が深まるよね。 対談の相手は、あの大学のあの人とか、あそこの大学のあの先生とか。 森毅京都大学名誉教授は数学の論文が1本なのに、なぜ「数学者」と新聞に書かれるのすか?専門領域の論文1本でも京都大学は教授にしてくれるのでしょうか? これでは多くの数学のポスドクが数学者であり京大教授でないとおかしくないですか? それとも、他の業績が評価されたということなのでしょうか? あほ仙人じゃ。 おぬしの理屈じゃとな、 臨床の経験が全くないのに医学論文をたくさん書けば名医、となるぞい。 森教授は数学以外の教養文化面にもあかるくてな、その好々爺とした人柄とあわせて 難解で堅苦しいイメージのある数学の門戸をひろげたところに功績があるといってよい。 賛否両論あろうがの、それを認めたところに京大のふところの広さがあるんじゃろうな。 お茶女の藤原教授と似たようなもんじゃ。ほっほっほ。 齋藤正彦さんと森毅さんはどちらのほうが数学者として優れていますか? 日本の大学の数学科の教授のうち何パーセントが数学者でしょうか? ろくに論文もかけずに大学教師の地位にぬくぬくとしながら 真面目にコツコツと努力している人間を小馬鹿にしたせいで 大やけどを負うという天罰がくだった その後1年ほど病院のベッドの上であうあうあーと言いながら あの世へ旅立ったらしい めでたしめでたし 足立恒雄さんは自身のことを数学者であると考えているようですね: 「範疇性」がその一例なのだが、数学基礎論での常識と一般の数学者の 常識の間にズレを感じることがある。それが数学基礎論が数学の世界で 異端視される一因になっているのではないかと、ファンの一人として、 残念に思う。われわれの方も気を付けなければいけないが、基礎論の 人たちにも、妙に闘争的にならず、もう少し他分野の人間に理解させる 努力を払ってもらえないものか要望しておきたい。 藤原正彦さんも自身のことを数学者といっていますね。 斎藤正彦さんも自身のことを数学者といっていますね。 数学者の定義が分かりません。 数学者であるための必要十分条件は、博士号を持っていることでしょうか? 森毅はすごく中途半端なルベーグ積分論の本を出してる 森毅さんの数学の本の良さが分かりません。 分かる人には分かるようにしか書いていないように思います。 森毅さんの数学の本の良さが分かりません。 分かっている人には分かるようにしか書いていないように思います。 数学でああわかったなあと思うことは一つでもあるか? 記憶と忘却の繰り返しの中 論文なんて書けなくてよい コミュニティに参加をする意思さえあればね つまり人間性・人柄・人間力ってことさ ところで、森毅さんは教師としてはどうだったんですか? 分かりやすい授業をしていたのでしょうか? >>503 >基礎論の人たちにも、妙に闘争的にならず、 >もう少し他分野の人間に理解させる努力を払ってもらえないものか >要望しておきたい。 これな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる