モンティホールの問題で絶対選び直す奴www [無断転載禁止]©2ch.net
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コイントスで表が出たら次に出るのは絶対に裏を選択するんだな? 命題『試行一回ならば確率50%』を証明したいのなら
その対偶を証明すればよい
対偶『確率50%でないなら試行一回でない(多数回)』は自明
したがって、モンティホール問題を1回行った時の
確率は50%です ■モンティホール問題において
「1回の試行n=1」の否定は
「多数回の試行n→∞」
『どちらとも言えない(確率50%)』の否定は
『チェンジなら当たり確率が2倍になる(確率66.7%)』 P『試行一回』 Q『確率50%』
P ならば Q である(前提 -- 実質含意)
Q でないならば P でない(その対偶)
Q でない(前提)
従って、P でない(モーダスポネンスによる帰結) ■対偶(たいぐう、英: Contraposition)
ある命題が成立する場合に、その命題の仮定と結論の
両方を否定した命題も成立するという命題同士の
関係性の事を言う
命題「AならばB」の対偶は「BでないならAでない」である
論理記号を用いて説明すると、命題「A ⇒ B」の対偶は
「¬B⇒ ¬A」(¬A は命題 A の否定)である ■認識論で扱われる問いには次のようなものがある
人はどのようにして物事を正しく知ることができるのか
人はどのようにして物事について誤った考え方を抱くのか
ある考え方が正しいかどうかを確かめる方法があるか
人間にとって不可知の領域はあるか
あるとしたら、どのような形で存在するのか 船上に26匹の羊と10匹のヤギがいる
このとき、船長は何歳でしょう?
40年前、数学教育を専門とするフランスの研究者が
この問いを小学低学年の子どもたちに投げかけた
すると、大多数の子どもが「36」と答えたそうだ
もちろん、船の上に動物が何匹いようが、
船長の年齢と関係はない
解けるはずのないナンセンスな問いだが、
子どもたちは反射的に、文中に出てきた数を足し合わせ、
もっともらしい「解」を導き出した □当たり ■ハズレ
ゲームが一回だけなら
二つの可能性からの二者択一のみ
□■■
ゲームが多数回に向かうと
最初にハズレを引く可能性が上がっていく
1□■■
2■□■
3■■□
:
: □当たり ■ハズレ
ゲームが一回だけなら
二つの可能性からの二者択一のみ
□■■
ゲームが一回の時、
最初に当たりを引く確率は1/3ではなくて
1/2になる
そもそも一回しか選択していないのに
『三回のうち一回は当たる』という主張は
矛盾している ゲームがN→∞に向かうと
最初にハズレを引く可能性が2/3に
限りなく近づく
1□■■
2■□■
3■■□
:
:
N■■□
ゲームの回数が少ないN<10の時は
3回連続で一回目で当りを引いてしまうなど
極端な結果になることが往々にして起きる
ゲームを数百回連続で行うことによって
こういった極端な例がならされて
最後の二択の時、
チェンジし続けていれば当たりの確率が2/3になるという
『傾向』が観察されるのです(´・ω・`) >>319
ゲームを1回だけやった人をたくさん集めて結果がどうだったか
アンケートを取れば1/2になるって事?
一人1回が本当に1/2なら、いくら集まっても1/2の筈だが インターネットを使って10億人で一斉に調査をしたとしても
サンプルが十分かどうかは不明
その10億人が1日1回だけの試行を1000日繰り返して
1000倍のサンプルが集められたとしても
十分であるかどうかわからない
しかもそのデータを
ある特定の日時と時間にゲームを一回だけ行う
特定の個人に当てはめてよいのかも不明である >>321
サンプルが多い少ないは関係ないだろ
結果ではなく構造的に1/2なのか1/3の仕組みなのかって話
それが確率だよ
サイコロの各目が1/6なのは構造的に決まっているもの
試行を何回するかなんて考えは一切必要ないんだよ >>322
君はサイコロを『次に』一回だけ振った時の
確率が観測できるのかね?(´・ω・`) >>323
確率は試行して観測するものではないと思うが
出た目が一つ、出なかった目が五つある事になるんだから当然だろ
もしかして出た目の事しか考えてないの? >>324
試行ナシでよいというなら未知論証になってしまう
なんでも想像しただけで結果になると主張するのか
『出た目が一つ、出なかった目が五つある』というが
特定の目が出た後に『次に』サイコロを振ることは
試行が一回に限定されている以上ないのだよ
■サイコロの目が出る確率はどれも1/6か?
http://statg.com/kiso/probmean.html >>325
>確率は測定するものではなく、何らかの仮定をおいて「定義する」ものなのです。
これを理解してる?
構造の解らないものを1回だけ試行してそこから確率を導き出せというなら
無理だというのもわかるが
はじめからサイコロだと判っていれば
6面のうち1つが出ることは振らなくたってわかるよね
ここでは構造のはっきりした物の話しかしてないと思うんだが
なぜ構造は見てみぬふりして、結果から確率を出そうとするんだろう >>327
まったくもってナンセンス
サイコロを次に一回振ってその一回目にサイコロが割れてしまい
どの目も確認できないという場合もあるだろう
こういう時には1/6にはならない
振れば必ずどれか特定の目が出るという前提がおかしい サイコロを次に一回だけ振って
ちょうど真ん中できれいに割れてしまい
1と6の目が同時にテーブルの上に
現れてしまった場合はどう判断するのかね?(´・ω・`) □当たり ■ハズレ
ゲームが一回だけなら
二つの可能性からの二者択一のみ
□■■
ゲームが一回の時、
最初に当たりを引く確率は1/3ではなくて
1/2になる
そもそも一回しか選択していないのに
『三回のうち一回は当たる』という主張は
意味不明である
( ´∀`)『変更すれば三回のうち一回は当たるから
お得だよ』
(´・ω・`)『自分、一回しかゲームしないんですけど・・・』 □当たり ■ハズレ
ゲームが一回だけなら
二つの可能性からの二者択一のみ
□■■
ゲームが一回の時、
最初に当たりを引く確率は1/3ではなくて
1/2になる
そもそも一回しか選択していないのに
『三回のうち一回は当たる』という主張は
意味不明である
( ´∀`)『変更すれば三回のうち二回は当たるから
お得だよ』
(´・ω・`)『自分、一回しかゲームしないんですけど・・・』 モンティ・ホールの番組は何度もやってたからいいんだろ □当たり ■ハズレ
ドアが10枚でゲームが一回だけでも
二つの可能性からの二者択一のみ
□■■■■■■■■■
ゲームが一回の時、
最初に当たりを引く確率は1/10を強く感じつつも
1/2になる
ほぼ間違いなく■ハズレを引くであろうが
実際に引いた■ハズレが9/10である確率を
確認する方法が存在しない
ハズレのドアが何億枚になっても
ゲームが一回だけであれば
当たりとハズレの二つの可能性からの
二者択一(確率50%)は何のやましさもなく
存在できるのです >>333
自分が確率の話をしてないって事わかってる?
自分に当たりが来ようがハズレが来ようが
そんなのは確率には関係ないんだよ
サイコロの場合、等しく可能性のある6つの面から1つだけが引ける
これたけで1/6確定なんだよ
君の言ってるのが確率だとしたら
そんなものは何の役にも立たないね >>336
サイコロの話なんてどうでもいいから
そもそも一回しか選択していないのに
『三回のうち一回は当たる』という主張は
意味不明である
これに見事に反論してみたまえ >>335
前もって10枚のドアの1つに当たりが入っている事が示されていれば
何を引こうが当たりは1/10だと解るはずだが
記憶力が無くて、最初の前提を抽選時には忘れてしまう人の話でもしてるの? >>337
ちゃんと確率を勉強しましょう
話にならない
以上 反論不可能宣言が出てしまいました
ほかに反論可能な方の出現を待っております(・∀・) > そもそも一回しか選択していないのに
> 『三回のうち一回は当たる』という主張は
> 意味不明である
この主張はある意味で尤もだと思うが、ここから言えるのは
「確率1/3は『三回のうち一回は当たる』という意味ではない」
というだけであって「確率1/3ではない」ではない
確かに、確率m/nの事象を「n回のうちm回起きる」などと表現されていることがあるが
これはある種の意訳であって、厳密な表現としては正しくない
これはあなたの主張である「1回だけ行う時はアタリの確率50%」という論でも言えることで
もしも、アタリの確率m/nを「n回のうちm回がアタリ」の意味だとするなら
あなたの主張は「1回だけ行う時は『2回のうち1回がアタリ』」ということであり同じく意味不明になる
従って、確率m/nは「n回のうちm回がアタリ」の意味ではない
「n回のうちm回起きる」というのは「n回試行した時に起きる回数の期待値がm回である」を平たく言い換えたものであり
回数の期待値が非整数になることは問題ない
その為「1回やってアタリになる回数の期待値は1/3回」は、意味不明ではなく、意味の通るまともな文である
回数の期待値が非整数になることは、あなたの主張でも言えることで
もし「1回だけ行ってアタリの確率50%」ならば「1回だけ行ってアタリになる回数の期待値は1/2回」であり
後者は1/2回という一見不思議な表現が含まれているが、意味の通るまともな文である 私の主張は「1回だけ行う時は『2種類のうちの片方がアタリ』」です
確率50%の意味は『二つの選択肢の中から一つを選ぶ』
ということであり意味がちゃんと通ります 確率1/2の意味は2回に一回ではなく
『二つの選択肢のうちのどちらか一方』です とりあえず
> 確率1/2の意味は2回に一回ではなく
なのと同様に
確率1/3の意味は3回に1回ではない
というのは、ご理解いただけましたか? 「ゲームが一回の時のプレイヤーが当たりを引く」という確率を考える場合、
プレイヤーは当たりを引くかハズレであるかのいずれかであり、
そこには頻度は存在しないです
つまり、そこには何の期待値も存在しないという事です
( ´∀`)『変更すれば一回のうち2/3回は当たるから
お得だよ』
(´・ω・`)『意味不明なんですけど・・・』 (´・ω・`)『意味不明なんですけど・・・』
(´・ω・`)『意味不明なんですけど・・・』 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) ■大数の法則が成立しないケース
大数の法則は期待値の存在を前提としている
そのため、期待値の存在しない場合に大数の法則を適用する
ことは適切ではない
つまり、「サイコロを1回投げて1の目の出る確率」は、
観測不可能なのである
大数の法則は裏を返せば「サンプルサイズが小さい方が、
より極端な値をとる確率が高い」ということでもある
この性質によって差が出ただけのものに対しても、
人はそれが偶然によるものではなく、何か意味があると錯覚してしまいやすい >>327
そもそも割れずに普通に振ったとしても必ず1/6になるとは限らんでしょ
だって「但し振るサイコロは必ず6面ダイスとする」なんてどこにも書いて無いから
8面ダイスや10面ダイスなら確率は変わるし
あと「各面に書かれている数字は全てバラバラである」という前提がない以上、
6面だとしてもすべての面が1なら確率は1/6じゃないよね モンティはプレイヤーのファーストチョイスのあと
プレイヤーの選ばなかった二つのドアのうち
ハズレのドアを一つ開ける(ゲームから除外)
□■ モンティはハズレのドアを一つゲームから除外するので
ハズレのドアが二枚残ることはない
■■(存在しない)
プレイヤーは最後に当たりとハズレのドアのうち
一つを開ける二択を必ず行う
□■(ステイ or チェンジ) □当たり ■ハズレ
ハズレのドアの面積は当りのドアの面積の二倍あるので
ゲームが多数回(N→∞)に向かうと
最初の選択(ファーストチョイス)時にハズレを引く
確率が2/3に限りなく近づく
1□■■
2■□■
3■■□
:
:
N■■□
プレイヤーは最後に当たりとハズレのドアのうち
一つを開ける二択を必ず行う
□■(ステイ or チェンジ)
この事象だけ単独で取り出せば確率は50%
しかし、プレイヤーが多数回のゲームを行えば
ファーストチョイス時の確率2/3を保持したまま
二択を行うことになる
ステイのハズレの確率はチェンジの当たりの確率に
等しいので、チェンジし続ける(Changing)なら
当たる確率が二倍になるといえる よくわからないが世界最高IQともいわれるマリリンの言うことを否定してんのか 「ゲームが一回の時のプレイヤーが当たりを引く」
という確率を考える場合、
プレイヤーは当たりを引くかハズレであるかのいずれかであり、
そこには頻度は存在しないです
つまり、そこには何の期待値も存在しないという事です
□■■(二つの可能性からの二者択一のみ)
頻度主義を取った場合、一回限りの出来事について
確率を割り当てることができない
大数の法則は裏を返せば「サンプルサイズが小さい方が、
より極端な値をとる確率が高い」ということでもある
以上のことからゲームが一回限りの場合は
『当たりとハズレどちらが出るかわからない』
と判断するのが良い
ゆえに、ゲームの回数を一回に限定すると
当たりの確率は50%になります あたりとハズレで50%てことは宝くじで一等当たるのもあたりとハズレで50%てことか?
まあモンティ・ホールで変えれば2/3で当たるといわれてるのに50%ていってるってことはそうかもしれないが ゲームを2回だけやったらどうなるの?
ゲームをN回だけやったらNの式でどう表されるの?
ドアの面積とかいうワケわからんイメージじゃなくて式としてハッキリ書いてくれないと
N=1のとき1/2
N→∞で2/3と本当になっているのか
確かめられないのだが 一生に一回しか宝くじを買わないことにすると、
一回限りの出来事なのだから、当たりもハズレも 50% である。
それは本当だろうか?
一生に一回しか宝くじを買ってない人を何人も集めて事情聴取してみればいい。
半数は当たっていて半数は外れているなんてことはなく、ほぼ全員外れていることが分かる。
これが 50% なんて屁理屈にもならないだろう。 一番わかりやすいのは、くじを1万本用意して、
その中の1本だけを当たりにして、お客さんもちょうど1万人用意した場合。
それぞれの客は、人生において その1回しか くじを引かないことにする。
すると、それぞれの客にとっては一回限りの出来事なのだから、当たりもハズレも 50% である。
それは本当だろうか?
明らかに、1万人の中で当たりは1人しかいない。にも関わらず、
「あなたの人生においては1回限りだから50%である」
などと言ってみたところで、その「50%」という数字には何の説得力もない。 >>357
大数の法則(少数の法則)により
ゲームが二回の時は極端な結果になりやすい
頻度主義による確率を割り当てることもできない
以上のことから
ゲームが二回の時は
『当たりとハズレどちらが出るかわからない』
と判断するのが良い
ゆえに、ゲームの回数を一回に限定すると
当たりの確率は50%になります >>357
大数の法則(少数の法則)により
ゲームが二回の時は極端な結果になりやすい
頻度主義による確率を割り当てることもできない
以上のことから
ゲームが二回の時は
『当たりとハズレどちらも同じくらい出る』
と判断するのが良い
ゆえに、ゲームの回数を二回にすると
当たりの確率は50%になると予想できます >>361
それは違う
『一本の当たりが入った一万本のクジ』の権利を
一万人の人『それぞれに』等しく与えないと
一回きりの出来事にならない >>364
>>361が「平等でない」ように見えるのなら、次のようにすればよい。
1万人の人間にゲームに参加してもらう。その中の1人がランダムに選ばれ、
その人が「当たり」で、他の人は「ハズレ」とする。
誰が選ばれる可能性も等しいのだから、このゲームは平等である。
この1万人は、人生において1回しかこのゲームに参加しないとする。
すると、それぞれの客にとっては一回限りの出来事なのだから、当たりもハズレも 50% である。
それは本当だろうか?
明らかに、1万人の中で当たりは1人しか選ばれない。にも関わらず、
「あなたの人生においては1回限りだから50%である」
などと言ってみたところで、その「50%」という数字には何の説得力もない。 ゲームの回数N<3の時…事象n
プレイヤーのファーストチョイス時の当たりの確率…事象A
ゲームの回数N<3の時の事象Aの確率 P(A|n)
事象Aの尤度関数P(n|A)=3/2
事象Aの主観確率P(A)=1/3
∵ベイズの定理より
P(A|n)=P(A) * P(n|A)=1/3 * 3/2=1/2
以上により、
ゲームの回数N<3の時
プレイヤーのファーストチョイス時の当たりの確率は
多数回(N→∞)の時の1.5倍に改定される >>366
それはただ単に『一万人の中から一人が選ばれた』というだけで
一回限定ゲームでも何でもない
一人の人間に『当り』と『ハズレ』の可能性を当てはめないと
『ある特定の個人におけるこの世界でのただ一度きりの出来事』
にならないです(´・ω・`) >>368
>それはただ単に『一万人の中から一人が選ばれた』というだけで
>一回限定ゲームでも何でもない
意味不明。『一万人の中から一人が選ばれ、選ばれた人が当たりで、その他の人はハズレ』というゲームが
1回だけ行われるのだから、これは1回限定のゲームである。
>『ある特定の個人におけるこの世界でのただ一度きりの出来事』
このゲームはこの世界で1回しか開催されないので、このゲームはこの世界においてただ一度きりの出来事であり、
もちろんゲームに参加した1万人のうちどの人にとっても、この世界においてただ一度きりの出来事である。 >>369
そうかも
でも説得力があるかどうかは誰が判断するのかね? やっぱり違う
これは、『一万人の中から一人を選ぶ』ゲームを行う
『ある特定の人物』にとってのゲームであって
選ばれる一万人はただのエキストラである このゲームの問題は
いったい誰がゲームを『行う』のかが明確に
示されていないことである >>371
エキストラならゲームに参加してないとでも?
その1万人の誰もが、このゲームの参加者である。
なぜなら、その1万人が居なければゲームが成立しないからだ。
そして、このゲームは1回しか開催されないのだ。 >>374
ゲームを行っているのは、参加している1万人の人間である。
その1万人が居なければゲームは成立しない。 >>375
それはちがうだろ
ゲーム自体は一回限定でも
『誰が』ゲームを行っているかは不明である
これでは1人の人間に起きる確率がわからない >>376
>『誰が』ゲームを行っているかは不明である
不明ではない。明らかに、ゲームの参加者である1万人の人間がゲームを行っている。
> これでは1人の人間に起きる確率がわからない
君の屁理屈によれば、「あなたの人生においては1回限りだから50%である」なんだろ? >>378
説得力がないと判断するのは、ゲームに参加した1万人。
たとえば、ゲームを終えた1万人の人間が再び集まって、
その中の何人が当たりを引いたのかをカウントしてみればよい。
このとき、1万人の中でたった1人しか当たってないことが分かる。もし
「あなたの人生においては1回限りだから50%である」
ならば、当たった人数はだいたい半分くらいカウントされて、、
外れた人数もだいたい半分くらいカウントされなければ、参加者にとって納得がいくわけがない。 確率50%には『当たり』か『ハズレ』の内どちらかである
という意味もあるから矛盾していない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています