私がこういう事柄をココで説明して力説する必要がアルかどうか、それは私には判りません。
でも懲りずに繰り返せば:
★★★『外国から買って来たカタナを作法通りに振り回すだけでは新しい事は何も出ない。
          ソレも確かに大切だが、でもそれだけではなくて「カタナとは何ぞや?」と問うべき。』★★★
という事を言いたいんです。コレは正に(作法を守る事、ではなくて)「ちゃんと考える事」という
話と同じですが、コレがその『瓢亭の卵』に相当するかどうかは私は知りません。(所謂トーマス・
クーンの言うパラダイムシフト。例えばジョッブスみたいな仕事がそれに相当するかと。)

だから別の言い方をすれば(スキルも大切だが、それだけではなくて)『モノの考え方』という
事を言ってるんですが、これは「徒弟制度というスキルの伝承」を基本とする日本文化、即ち
これは「職人とか技術の文化」という、個人独自の哲学には(かなり)反する立場を中心とす
る(モノの考え方、ではなくて)『遣り方の文化』では、凄く難しいと思いますね。まあでもコレ
が日本の現状に於ける閉塞問題の核心かどうか、私には判りません。(岡潔とか佐藤幹夫
の「物語を読み取るチカラ」というのがコレだと私は了解してますが、それはさて置き。)

でもこういう事情があるからか、文科省がアメリカの表面だけを真似て、そして『学問は人数
のパワーだ』と(勘違い)し、そして大学院が瓦解して、まあ法科大学院とか定員割れ歯学部
とか獣医学科増設ですか、まあ『そういう問題』ですわ。数学はもう完全にそうなってますよね。

せっかくの瓢亭がもし全国チェーン展開して、更にモスクワのシェレメチェボ空港にも支店が
出来たら、あの『件の卵』はどうなるのかと。