>>298 つづき

哲学的認識論の歴史

古代

プラトン
今日でいうところの認識論的な問題の原典は、プラトンの『テアイテトス』にまで遡ることができる。本対話篇では「知識とは何か?」という問いに対し、知識とは常に存在し、疑いなきものであるとの対話者間の共通の前提から、テアイテトスはまず知識とは知覚であると主張する。
これに対して、ソクラテスは、知覚は人それぞれによって異なるものであるとした上で、「人間は万物の尺度である」と主張して相対主義を唱えたプロタゴラスを引き合いに出し、彼が自らの思いが真であると固執すれば、自らの思いが偽であると認めざるを得なくなるとしてその主張を論難する。
テアイテトスは引き続き知識とは真なる意見であると主張し、更に真なる意見に説明を加えたものであるとも主張するが、いずれもソクラテスによって論難され、結局のところ、本対話篇では、知識とは何かに対する回答は示されず、アポリアに終わる。しかしながら、そこでは、知識とは、正当化された真なる確信であるという定式を既に見出すことができる。
プラトンにとって知識とは常に存在する普遍的なものでなければならないが、それは実体であるイデアの世界にあり、この現実の世界は仮象の生成流転する世界であって永遠に存在するものはなにもない。
したがって、知識も決して師や賢者が一方的に教授できるものではなく、弁論術による対話を通じてようやく到達できるものである。
プラトンの著作が対話篇という形をとり、その結末がアポリアを呈示する形で終わっているのは、このようなプラトンの思想を反映したものである。プラトンによれば、物の本質は、感覚によって把握することはできず、物のイデアを「心の眼」で直視し、「想起」することによって認識することができるのである。

つづく