>>368

> その多様性を認めるならば、極論どんな答えでも正解であり、間違えなんです

設問に厳密さがなければ、解答もさまざまなものが正しくなるということなんだけどね。
言葉足らずの設問者が思った通りに書かせたいなら、エスパーの試験とでもいうしかない。要は不可能。
むしろ、生徒、学生は設問の不備を見抜くくらいになってもらいたいものだ。
採点者も、明確に間違いであることを論理的に説明できなければアウトだよ。

> 本来曖昧性のあるテストにしか出ないような問いかけに答えを定めようとすれば授業でやったこと、参考書に載っている答え、のみを正解とするのが一番妥当です

書いてておかしいと思わなかったのかね?「本来曖昧性のあるテスト」を肯定しては意味がない。
曖昧なものは多義性を生じる。そんな曖昧な設問をしたのなら、設問解釈、解答方法に多義性を認める必要があるんだよ。
曖昧なんだから授業や教科書をなぞっておけ、なんてのは暗記力テストでしかない。測りたいのは理解度だよ。

> 間違っていないものはなんでも正解にしろ、というのは屁理屈です

ほう、どう屁理屈なのか、説明してみたまえ。何か言えばいいというものではない。
論理的、客観的、既存事実と整合性があるように、だよ。できるのかね?

> 厳密性を重視するなら、すべてのテスト問題は解答不能となるでしょう

入試問題なんかは、専門家もチェックして、ほとんどの設問に問題は発生していないのだがね。
些細な設問ミスが発見された場合、その設問は無条件で満点を与えられることはよく知られている。
毎年ある大量の事実と合わないことを言っても、それこそ屁理屈であろうねw