割と真剣に「コイツ、バカじゃないのか」というものがあった。こんな非常識というか愚鈍さで何かを論じられるのか、極めて疑問。

https://twitter.com/sekibunnteisuu/status/910808098494750720
> 積分定数 @sekibunnteisuu
> 「なぜ組み体操の危険性ばかり強調するのか?」というのと「危険だからと何でもかんでも禁止にするのはどうか?」という矛盾する意見が、中止反対派から出ている。

組体操批判があり、中止論を主張する者もいる。その中止論に対して、反対する者もいる。すると中止論と中止反対論の論争になる。
しかし、その中止反対論を意思が統一された一枚岩とみる理由は何もなかろう。論がぶつかるとすれば、例えば以下のようになる。

A:「組体操は危険だから中止せよ」←→「なぜ組み体操の危険性ばかり強調するのか?」
B:「組体操は危険だから中止せよ」←→「危険だからと何でもかんでも禁止にするのはどうか?」

一見、一つの論に対して、異なる反論が為されているように見えなくもない。だが本当にそうか?

論争Aにおいて、中止反対論者は「組体操は危険」という点について、反論を述べている。
つまり、組体操と同等に危険なものもあるはずで、組体操のみをターゲットにするなということだ。
そこからは、組体操レベルの危険度のものを探して一括して扱う、同等の危険度のものを容認するなら組体操を危険視するのはおかしい等と踏み込んでいくことになる。
片手落ちやスケープゴートの発生、あるいは見せかけだけの対策を防止するといった論議になるわけだ。

論争Bは「危険だから中止」に注目している。要は「危険」という大雑把な認定、レッテルではダメだというものだな。
そこからは、どの程度危険なら禁止にするのか、あるいは防止策があるか等の議論に踏み込んでいくこととなる。
絶対に安全というものは、事実上ない。そこで防止策をとってもなお残る危険レベルはどこまでを容認するかという論議になるわけだな。
(続く)