モンティーホール問題を高校生にわかるように説明してくれ [無断転載禁止]©2ch.net
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モンティーホール問題とは... プレーヤーの前に閉まった3つのドアがあって、プレーヤーが1つのドアを選択した後、司会のモンティが残りのドアのうちヤギがいるドアを開けてヤギを見せる。 プレーヤーはドアを変更すべきだろうか? (wikiより) 英国ロンドン・ビジネススクールの リンダ・グラットン教授の研究によると 2007年に日本で生まれた子供は 107才まで生きる確率が50%もあるという ゲームが一回きりの時→結果は確率50%のみ ゲームが多数回になるほど→ドア変更時の当たりの確率が3分の2に収束する ■ホーキング博士が死去 宇宙論、車いすの天才科学者 日本経済新聞-6 時間前 ホーキングパラドックスを高校生にわかるように説明してくれ〜(・ω・)ノ ドアが101個あるじゃん。 1個のドアと、100個のドアの2つのグループに分ける。 ルールに従ってプレイヤーが1個の側をとりあえず選択したのち、 親が100個のドアのうち、99個のハズレを全部開いてくれる、 と考えればいいと思う。 >>285 ブラックホールで「情報」が消え去るのっておかしくね?。 ホーキング放射によって、全てのブラックホールはいずれ蒸発する。 ↓ ブラックホールに飲み込まれた情報は、ブラックホールの外には出てこれない。 ↓ 飲み込まれた情報は、ブラックホールが蒸発したあとどうなっちゃうの??? っていうのじゃなかったっけ?>ホーキングのパラドクス 「情報は保存されなきゃおかしい」って結構な論争になってたんだ。 くわしくは「ブラックホール戦争 スティーブン・ホーキングとの20年越しの闘い」って本を読め。 俺なんかにはとてもくわしくは説明できん。 A = 1/3 B = 1/3 C = 1/3 例えば回答者がAを選ぶ。 すると、そのAを「除外」して司会者がBとCの二つを篩にかけてハズレを明かす。 それが例えばハズレはCだったとする。Cは0/3になる。 で、残ったAとBの間には、この過程の中でどんな違いがあったのか? もうお分かりのとおり、司会者がAを除外してBとCの二つを検定したということ。 Bは司会者の篩を通り抜けている。しかしAは司会者の篩にかけられなかった。 違いがあるといえばそこ。 人びとの直感はおそらく司会者の篩を一度通ったBのほうが当たりの確率が高いと 踏むんじゃないだろうか? よって、モンティ・ホール問題は人間の直感に反していない。 3つの選択肢のうちハズレが2つで当たりが1つ。 あり得る可能性はこの3つ TFF, FTF, FFT (Tは当たり、Fはハズレ) 一番左を選択した場合 [T]FF, [F]TF, [F]FT 3つのうち1つの確率で当たる。確率1/3 真ん中を選択した場合 T[F]F, F[T]F, F[F]T 3つのうち1つの確率で当たる。確率1/3 一番左を選択した場合 TF[F], FT[F], FF[T] 3つのうち1つの確率で当たる。確率1/3 つづくよ。 ここで回答者が最初に選択したドアを除外するという条件が モンティ・ホール問題の特徴なんだ。 モンティ・ホール問題のタネ明かしはここ。 この点を理解したかしないかで結果が違ってしまうんだ。 それじゃあ、回答者が最初に選択した[]で囲ったドアを取り除こう。 [T]FF, [F]TF, [F]FT -> FF, TF, FT T[F]F, F[T]F, F[F]T -> TF, FF, FT TF[F], FT[F], FF[T] -> TF, FT, FF ここで司会者は、取り除いた後の残りのハズレ(F)のドアだけを1つ開ける。 開けられたハズレのドアを{}で表すよ。 F{F}, T{F}, {F}T -> F, T, T T{F}, F{F}, {F}T -> T, F, T T{F}, {F}T, {F}F -> T, T, F ->は開けられてハズレだと分かったドアを取り除いた後に残ったドアだ。 これらがドアを変更した場合に選択することになる最終的なドアだ。 F, T, T = 3つのうちで2つが当たり。確率2/3 T, F, T = 3つのうちで2つが当たり。確率2/3 T, T, F = 3つのうちで2つが当たり。確率2/3 単純でしょ? でもこれを文章題で表すと数学者でもひっかかるんだ。 文章読解って大切だね。 最初の段階で下のように3列3行の可能性がある。 []は回答者が最初に選択した扉を意味する。 [T]FF [F]TF [F]FT T[F]F F[T]F F[F]T TF[F] FT[F] FF[T] その全ての可能性からハズレのFを1つ取り除く。 ただしこのとき、回答者が最初に選択した扉がハズレかどうか そこの種明かしだけはしない。ここがいちばん重要。 そのため、これらの各要素から[F]を残してFだけを引き算する。 そうすると [T]F [F]T [F]T T[F] [T]F [F]T T[F] T[F] F[T] になる。 回答者が選択した扉 [T] [F] [F] [F] [T] [F] [F] [F] [T] ※[T]は3つ。 回答者が選択肢なかった扉 F T T T F T T T F ※Tは6つ。 後者のほうが当たりを意味するTの数が多いのは一目瞭然。 後者は回答者が最初に選択肢なかった扉を意味するから 選択を変更して選択肢なかったほうに乗り換えたほうが有利なことが分かる。 しかしこんなことをしなくてもこの文章題さえ回答者が理解すれば、 数学の教養ゼロで人びとは直感によって後者を選択するはず。 モンティホール問題をその出題文に基づいて整理してみる。 1. 1番2番3番の3つのドアがあり、 いずれか1つのドアの背後にはクルマ、他にはヤギ。 Cがクルマのドア、Gがヤギのドアだとすると CGG GCG GGC の3通りが考えられる。 2. 回答者が1番のドアを選択する。 それを[]で囲むと [C]GG [G]CG [G]GC となる。 3. ドアの背後に何があるか知っている司会者が3番のドアを開ける。 するとそこにヤギがいた。 司会者が開けたドアを{}で表すと [C]G{G} [G]C{G} [G]G{C} だけど、 [G]G{C}のケースはクルマのドアを開けてしまうことになるから この可能性は消える。よって [C]G{G} [G]C{G}に絞られるのでこれらから{G}を除去すると [C]G [G]C となる。 4. 司会者が回答者に訊く。「2番のドアに変更したいですか」 回答者は2番のドアを選ぶことでクルマを当てやすくなるだろうか。 [C]G [G]C -> C[G] G[C] Gを選ぶ可能性は五分五分に見える。私はいったいどこで間違えた? 普通に条件付き確率の式で計算するのが一番分かりやすい気がするなあ・・・。 >>296 回答者が開けるドアを1番目とするのはいいんだけど、 モンティが開けるドアを3番目に固定してはいけない。 モンティはどのドアが当たり・外れか知っている上で必ず外れを選ぶのだから、 > [C]G{G} [G]C{G} [G]G{C} ではなく > [C]G{G} [G]C{G} [G]{G}C となる。 ここから{G}を取り除けば、 [C]G [G]C [G]C となり、このまま選択を変えなければ1/3でC、2/3でG。 選択を変えれば2/3でC、1/3でGになる。 モンティホール問題は結局は文章題の読解における誤解または誤読 から生んだものっぽい。数学問題というよりも文章問題。 サヴァント氏によるモンティホール問題(クイズ番組問題)のソースでは http://marilynvossavant.com/game-show-problem/ { You pick a door, say #1, and the host, who knows what’s behind the doors, opens another door, say #3, which has a goat. He says to you, "Do you want to pick door #2?" } となっていた。 日本語訳: 「あなたはある1つのドア(例えば1番の)を選びます。 すると、ドアの背後に何があるか知っている司会者が、 ヤギがいる別のドア(例えば3番の)を開けます。 司会者はあなたに「2番のドアを選びたいですか」と言います」 これをどう読解するかに数式の立て方が左右される。 >>298 その問題文ならば誤読のしようがないと思うが その問題文ならば出場者が選択するドアや司会者が開けるドアの番号は固定されず 一定の条件(出場者の選択では無条件、司会者はヤギのいるドアという条件)の範囲で自由選択できるとしか読めない 何故ならばドアの番号には「例えば」という意味での"say"を付けられているからだ 最後の質問文においてドア番号が#2と固定された言い方になっているのはその前の"say #1"と"say #2"を受けて(つまりそれら例えばで選んだ2つ以外は一意になるから)と 読む以外に前の文章での選択と矛盾しない読み方はない 少なくとも最後の司会者から出場者への質問文でドア番号が#2と固定された表現になっているから その前の出場者の選ぶドア番号も司会者が開けるドア番号もそれぞれ固定されている(つまり出場者が選べるドアの番号は#1と固定なのだから 実際には出場者には選択の余地はなく番組側によってドアは最初から#1と決められている)されているのだ、とは決して読めない 何故ならばそれら2つの選択においてドア番号には注意深く"say"が付けられているからだ 英語で"say"(しかも英語では"door"についている冠詞が定冠詞"the"でなく不定冠詞の"a")、日本語で「例えば」が付いているのに 番号が固定していると呼んで数式を立てたとしたらその数式は明らかに間違い >>1 プレーヤーが正解を選んでいた場合に 司会者が残りの二つのドアのどちらを開けるかの確率が未知なのがネックだよな これが2分の1である保証がどこにもない以上ドアを変更するのがプレーヤーに有利とは言えない >>299 さんは2/3でなく1/2という答えを出した多くの人が文章読解で誤解していた 可能性は極めて低いとお考えのようだけど、実際には誤読した人が多かったんじゃ? ポール・エルデシュ氏は、ウィキペディアによれば、 組合せ論、グラフ理論、集合論、確率論で業績を残している数学者だという。 数学は広い分野で自分の専門外には疎い数学者もいるのかもしれないが、 彼がこの分野の専門外だったとは見なしにくい。 理系の多くの人が間違えているからね。計算が複雑なわけでもない。 "Do you want to pick door #2?" ではなく "Do you want to pick the remaining closed door?" となっていたら多くの人びとは直感で2/3と計算したに違いないと思えるんだよなあ。 例えばのsay #1, say #3におそらく読者の思考が引っ張られてしまった。 そのため、[G]G{C}に限って[G]{G}C(#3でなく#2)になるなんて想像できなくなる。 [G]G{C}のケースはなくなるから、その他の2つのケースに絞られると考えた。 モンティ・ホール問題は、 大学の哲学科中退のマリリン・ヴォン・サヴァント氏が出した問題に 理系の博士号を持つ複数の人びと、数名の数学者たちが正しく答えられず、 しかも反論するサヴァント氏の間違えを強い口調で正そうとした事件でもあります。 実際間違っていたのはサヴァント氏ではありませんでした。 つまり、理系が文系の数学リテラシーの無さをさんざん糾弾しておきながら、 けっきょくその論争に完敗した事件なのです。 このことを理解してください。 モンティ・ホール問題の計算は複雑ではなく、非常に単純なはずです。 小学生低学年レベルの算数的な推論で解けます。 それにもかかわらず、理系が文系に痴態を曝してしまったのです! そんなことが文章の誤読抜きに考えられるでしょうか? >>301 いや、誤読するしないということと正しく答えられるか否かということとは別だと言いたいのです 逆に言えば、間違った人が誤読を言い訳にしたり元の問題文が誤読しやすいとばかりに問題文に責任転嫁するのはフェアでないと言いたいわけです >>298 の問題文を見る限り、その問題文には誤読の余地はないというのが私の判断です 但し、それから導かれる答えは直感に反している(心理的な盲点を突いている、という表現のほうが適切かも知れない)ので 多くの人(著名な数学者も含め)が間違えた解答をしてしまった現実は充分に理解できると言ってるわけです ゲームが一回きりの時→結果は確率50%のみ ゲームが多数回になるほど ↓ ドア変更時の当たりの確率が3分の2に収束する >>300 それ以前に、プレーヤーが正解を選んでいた場合の 司会者が残りの二つのドアのどちらを開けるかが 確率現象かどうかさえ決められていない。その意味では、 二封筒問題に一脈通づるものがあるのかもしれない。 仮に確率現象だと考えた場合に、司会者が二つの ハズレのドアから番号が小さいほうを開ける確率を p (p≠1/2) とした際の、選びなおして当たる確率は、 番号が小さいほうのドアが開けられた場合に 1/(1+p)、 番号が大きいほうのドアが開けられた場合に 1/(2-p)。 どちらの確率も p=0〜1 で 1/2〜1 の範囲なので、 選び直したほうが有利であることに違いはない。 p の値によらないということが、意外といえば意外。 >>305 中心極限定理によれば、ゲームが多数回になるほど ドア変更時の当たりの確率が近づいてゆく分布の平均は ゲームが一回きりの時ドア変更して当たる確率と同じ なのだけれど。 >>304 文章題の誤読をいっさい含まない意味で「心理的な盲点を突いている」ところとは いったい何でしょうか? サヴァント氏の出題文を>>293-295 や>>297 のように読解していれば 「心理的盲点」なんてどこにも見当たらないように見えるんですけどね。 いったどこに心理的盲点なんてものがあるんでしょう? 読者の多くは最初に1/3の確率があることは理解していたが、 しかし最終的に変更したとき、その確率が5分5分になるか変更したほうが有利に なるかで人びとの見解が分かれた。 このときの思考回路で働いた心理的盲点とはいったい何であったのか? 数学者をも惑わす盲点とは? それがいかにもあったかのようにモンティホール問題は語られているが、 その存在を証明している人を知らない。 モンティホール問題が人びとの「直感に反する」問題だということが まことしやかに語られている。しかしそれは証明されているのだろうか? 数学の知識ゼロの人びとに次のように問うてみてほしい。 「あなたがあるクイズ番組に出ました。そこでは3つの箱の選択肢が与えられます。 その箱のうちの1つは当たり、他はハズレです。 あなたはそのうちのどれか1つの箱を選んだとします。 すると、当たりの箱がどれかを知っている司会者があなたが選んだ箱を除外し、 残りの2つの箱だけを篩にかけてハズレの箱を1つ取り除きます。 残った箱は2つ。 あなたが最初に選んだが司会者が篩にかけなかった1つの箱と、 司会者が篩にかけて合格した1つの箱、 どちらの箱のほうがより当たる可能性が高いと思いますか。 数学的にいっさい考えずに直感だけで答えてください」 例えば>>296 は、 答えを1/2と考えたであろう人の推論の過程を事例として1つ挙げたものだが、 >>297 が言っているのはけっきょく文の読解に関することでしかない。 >>298 で引用してある出題文をある意味で理解すれば必然的に1/2が導かれるし、 別の意味で理解すれば必然的に2/3が導かれるということにすぎない。 それはすでにここで証明された。 では「心理的直感に反する」と語られていることの実体のほうは・・・・ 誰もそれが何であったのか明らかにしていないように見えるが・・・・ 数学知識ゼロのひとにそんな質問したら、 「いや、数学にがてだから・・・」 とか何とか言って 答えずに逃げられるんじゃないかな。 考えるとかえって間違える可能性が高まるんじゃないかな。 数学の訓練をなるべく受けていない人の直感だけに頼ったほうが正解する。 モンティ・ホール問題とはむしろそういう性質の問題だと思えるんだけどね。 2人の男性ABがいてそのうちの1人だけが数学が得意だという。 Aさんは高校中退、Bさんは大卒だとする。 果たして数学が得意な人はAさんかBさんか? どちらがその可能性が高いと感じる? ここで多くの人の直感はBさんだと答えるのではないだろうか? なぜならBさんは大学受験という篩にかけられているからだ。 逆の可能性がないわけじゃないが、どっちが高い可能性かといえばBさんだと 大多数の人が答えるのでは? いや待てよ。受験勉強によって数学の勉強を朝から晩まで強いられ、 数学の奥深さや難解さを思い知らされ、「自分には数学的センスがない」と 心理的に思い知らされてしまっている可能性だって考えられるじゃないか? 受験勉強が数学への苦手意識を強化している効果だって考えられるし無視できない。 それは決して低く見積もれないんじゃないか、なんて深く考えようとする人は 外れてしまうかもしれないw >>308 > 文章題の誤読をいっさい含まない意味で「心理的な盲点を突いている」ところとは > いったい何でしょうか? 誤読を含まずかつ心理的な盲点を突かれるというのは可能だよ 例えば、この問題が3つのドアでなく100個のドアで司会者が98のドアを開くという問題であったならば間違った答えをする人間は極めて僅かになる 少なくとも数学者で間違う者は皆無になるだろう つまり、100個のドアの場合に正しい答えができるということは問題文を誤読していないということの証なのだよ 元の3個のドアで間違う人間が多い原因は、開けられずに残ったドアが2個で1個が最初に選ばれたドア、もう1個はチェンジの対象のドアという 見掛け上は1:1という対等な状態(もちろん実際には当りの確率は1:1ではないのだが)に、たった1つのドアを開けるだけで至るという点にある これが1つのドアを開けるのでなく98個のドアを開けるのならば正解できるということは、1つのドアを開けるオリジナル問題のケースでは 開けたドアがたった1つに過ぎないということから残りの確率も1:1という錯覚に陥りやすいからだ これは問題文の誤読が原因ではなく、心理的な盲点を突かれたことが間違いの原因ということだ もちろん実際に問題文を誤読して間違う本物の馬鹿もいるだろうが、問題文を誤読する人間ならば100個のドアで98個開ける問題でも同じように間違うはずだ 3個のドアでも100個のドアでも問題文の論理構造は同じだから3個の問題文の論理構造を誤読する人間は100個でも誤読する 従って誤読して間違う本物の馬鹿は100個の問題でも間違うことになる 誤読とは問題文の正しい論理構造(や具体的な数値つまりデータ)を把握し損なうということであり、 他方、心理的盲点とは把握した問題の論理やデータから論理的な推論を行うプロセスにおいて間違った推論を行うことだ これら両者は全く別だよ >>307 大数の弱法則は中心極限定理から導出することはできません モンティホール問題を無限回繰り返すことができれば 変更時の当たりの確率は3分の2に等しくなる しかし、無限回の施行は実行不可能なので 一回の出来事に中心極限定理を当てはめることはできないのです(´・ω・`) つまり1回の試行では0か1かしかあり得ないということです ドアが10,000あり、その中で当たりのドアは1つだけだとする。 回答者がそのうちの1つのドアを選ぶ。 すると司会者が残りの9,999のドアのうちの1つを開けてこのドアはハズレだと開かす。 回答者は最初に選んだドアをやめて 他の9,998のドアのうちのどれか1つに変更したほうが得策だろうか? ドアが10,000あり、その中で当たりのドアは1つだけだとする。 回答者がそのうちの1つのドアを選ぶ。 すると司会者が残りの9,999のドアのうち1つのドアを除いて全て開けて ハズレだと開かす。回答者は最初に選んだドアをやめて そこで司会者が開けなかった唯一のドアに変更したほうが得策だろうか? ドアが3つあり、その中で当たりのドアは1つだけだとする。 回答者がそのうちの1つのドアを選ぶ。 すると司会者が残りの2つのドアのうちの1つのドアを開けてハズレだと開かす。 回答者は最初のドアを選ぶことをやめて そこで司会者が開けなかった唯一のドアに変更したほうが得策だろうか? このように問題のバリエーションを複数与えて 回答者がどう答えたか統計データを採ってみたいものだね。 👀 Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) >>315 それはマリリン・サヴァントさんのソースを読んでもお分かりのとおり http://marilynvossavant.com/game-show-problem/ マリリンさんが読者に正解を説明する際に同時に述べたことです。 彼女はそこで100万のドアがあり、司会者が777,777番以外の全てのドアを 順番に開けていったとしたら、回答者は変更を選ぶだろうと解説しています。 高名な数学者を含めた理系の人びとはこれに反論したんですよ! ドアを100枚にする説明方法は、モンティーホール問題の解説では 非常にしばしば見かけるけれども、おかしなもんだと思う。 ドアが3枚でも100枚でも100万枚でも、定性的には同じ問題だから、 正解する人は正解するし、間違う人は間違う。差は出ないだろう。 特に数学者の場合は、そこで正誤が変わってくる可能性は低そう。 100のドアのどれも 入ってるかいないか2者択一の半々 宝くじも 1億枚のどれも当たるか当たらないか二者択一だから半々 マリリン・サヴァントさんが公開しているソースにあるとおり、 http://marilynvossavant.com/game-show-problem/ モンティホール問題自体はどうやらCraig F. Whitaker氏という人物の発案。 その問題についてサヴァントさんがYesと答えている。 なぜなら選択を変える前は1/3の確率で当たるが、変更すれば2/3になると。 そしてその直後に100万ドアの事例を上げてさらに説明を加えている。 しかしこれに納得しなかった読者がたくさんいたということ。 そしてその中には理系の博士号クラス、数学者、しかも離散数学で 数々の業績を残した高名な数学者までいたという事件。 >>334 >マリリン・サヴァントさんが公開しているソースにあるとおり、 >http://marilynvossavant.com/game-show-problem/ これか バカばっかりってことじゃんw AさんとBさんがいて、そのうちの1人だけが数学の得意だと自称している。 1. Aさんを除き、BさんとCさんの2人が数学のテストを受けたらBさんだけが合格した。 2. Aさんを除き、Bさんを含む100名が数学のテストを受けたらBさんただ一人が合格した。 3. Aさんを除き、Bさんを含む100名が数学のテストを受けたらBさんを含む99名が合格した。 さて、1, 2, 3の場合で、数学が得意だと自称しているのはAさんかBさんか どちらのほうがより有り得そうか? 思うに、統計をとったら2のケースでは大多数の人がAさんよりBさんを選ぶと思う。 少なくともそれは直感に反していない。 1と2のケースでは割れる可能性がある。 人間はそこまで精密に意思決定(選択)問題を計算して行動しないということかもしれない。 >>315 さんがしている説明ってのは最初の記事で すでにサヴァントさん自身がしていたんだよ。 なのに論争に発展した。 数学の訓練を受けた人でも納得しなかった人が結構した。 ごめん。間違いを訂正: 1と3のケースでは割れる可能性がある。 >>338 ■モンティホール問題(カードシャッフル) このゲームができるのは1回だけです ハートのエース99枚とスペードのエース1枚を合わせた トランプカード100枚をシャッフルします その中から1枚のカードを選びます 山札から98枚のハートのエースを取り除きます 最後に残った2枚のカードの中から1枚のカードを選びます スペードのエースを引く確率は何%でしょう? >>310 > >>298 で引用してある出題文をある意味で理解すれば必然的に1/2が導かれるし、 「必然的に」という言葉は「知的な人間であれば誰が論証しても」というニュアンスを含むと読み取れる 従って「必然的に」は「心理的盲点を突かれた場合には」という句の意味を含まないと了解される (心理的盲点を突かれるか否かは人に依存するので「誰でも」でないからだ) 故に「必然的に」という句が「論理的に」と同じ意味だとすれば、論理的に1/2を導く読み方を「理解」とは呼ばない そんな読み方は単に「誤読」と言う 何故ならば既に>>299 で元の英文の問題文について詳細に検討した通り、 元の問題文を英語を正しく理解できる人間が読めば論理的には2/3を導く読み方しか不可能だからだ > 別の意味で理解すれば必然的に2/3が導かれるということにすぎない。 「誤読」でなく正しく読んだ上で(心理的盲点に陥らず無事に)論理的に理解したのならば、こちらの選択肢以外ありえない > それはすでにここで証明された。 そんな2通りが可能というのは何も証明されていないんだがな > では「心理的直感に反する」と語られていることの実体のほうは・・・・ > 誰もそれが何であったのか明らかにしていないように見えるが・・・・ 当たり前だ、何が心理的な直感に反するか、心理的な盲点とは何かは、属人性があり個々人に依って異なるからだ 推測はある程度は可能だが、特定の場合について、何故、それがその人の心理的盲点に入ってしまい間違いの原因となるのかは 当人にしか(あるいは当人にすら)分からない 私なりの推測については>>315 で述べた ドアが3枚でも100枚でも話は変わらんだろうと思っていたが、 今日、図書館で面白い説明を見かけた。 100枚のドアからゲストが1枚選んだ後、ホストは98枚のハズレを 開いて見せるのだが、このとき、せーのドンで98枚開けずに 1枚づつ開けてゆく。それも、最後に1枚残すのではなく、最初に ドアに番号を付けておいて、「え?ゲストさん31番を選んだの? 残りのドアを減らしちゃおか。1,2,3,...,30,32,33,...,74,76,...,100 これで2枚残ったね。」と、意味ありげに途中の番号を残すのだ。 これだと、わざわざ75番のドアを残したことには意味があり、 その意味とは31番以外のドアが当たる可能性を75番に集約したことだ という気分が、伝わり易い気がする。ま、気分の問題ではあるけれど。 1. Aさんを除き、BさんとCさんの2人が数学のテストを受けたらBさんだけが合格した。 2. Aさんを除き、Bさんを含む100名が数学のテストを受けたらBさんただ一人が合格した。 3. Aさんを除き、Bさんを含む100名が数学のテストを受けたらBさんを含む99名が合格した。 これらは果たして等価か? 2と3の100人が同じ人たちであったと想定すれば、 100人受けて1人しか合格しなかったテストは難解なテストだと想像されるし、 100人受けて99人合格したテストは簡単だったと想像される。 だから2のテストにAさんも合格した可能性は低いと想像されるし、 3のテストにはAさんも合格した可能性が高いだろうと想像される。 1はサンプルが少なすぎるw でもモンティホール問題的には1,2,3すべてにおいてBさんと答える必要があるでしょう? >>330 100枚開けた中で1枚だけ残ったものと 2枚開けた中で1枚だけ残ったものとは違うでしょ? 100人テストを受けた中で1人だけ合格したのと 2人テストを受けた中で1人だけ合格したのとでは。 得られる情報量が違う。 後者はないよりマシだがあまり有益な情報じゃない。 直感に従えば、標本を増えせば増やすほど情報量が増えるように思える。 モンティホール問題の一回ごとの結果は 最後に二者択一を1回するだけなので 必ず50% ゲームの回数が増えるにしたがって 選択変更時の当たりの確率が66.7%に近づく >>357 ハズレのドアが開けられたことで 最初に選んだドアが当たりかどうかについて 何らかの情報が得られるか否か? というモンティーホール問題の要点については、 開けるドアが1枚でも98枚でも何の違いもない。 そもそもそういうことが判らない人が モンティーホール問題で間違えるのだから、 気分的に同意させて意味があるのかといえば 虚しいとしか... 「思い込みや先入観のない事実」は存在しない、 つまり、絶対的客観性はあり得ない、ということです(´・ω・`) 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, .....以降無限に続く自然数がある。 この無限の自然数の中のただ1つが当たりとする。 回答者が1を選ぶ。 A. するとどの自然数が当たりか知っている出題者が 7598402549275426763294637287483はハズレだよと回答者に教える。 B. するとどの自然数が当たりか知っている出題者が 8を除いて他の全ての自然数がハズレだよと回答者に教える。 モンティホール問題がこの二つを等価なヒントだとしちゃうところからして 現実離れしている。 R言語で試してみたら、 たしかに、少ない試行回数では 変更しなかったほうが確率が高くなるケースが時々現れるわ。 モンティホール問題では確かにたった1回の試行回数だから シミュレータが複数回やっているのはおかしいよな? ドアの数100万とか一億程度の数で無限個の結果と一致すると 話を飛躍させる 0さん、1さん、3さんがいて、3人の中の1人だけが数学が得意な人だとする。 それが誰かはまったく分からない。 a. 0 {[1] 2} b. 0 {[1] 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20} そこで{}で囲ってある数の人、aの場合は2人、bの場合は20人に 数学のテストを受けてもらう。 そうしたらどちらも[1]だけが合格した。 この場合、bでは圧倒的多数の人が1さんが数学が得意そうだと直感するはず。 aでは判断が分かれるかもしれない。 このとき、aとbの直感の違いがあるとして、それは心理的・主観的な錯覚に過ぎないのか? ごめん。3さんではなく2さんね。 2人だけのテストで1人が合格したのと、 20人のテストで1人だけが合格したのとでは 得られる情報の価値がぜんぜん違うだろう? 1さんだけが事前に『テストの内容を知っていた』 という場合があります これを交絡(こうらく)変数と言います すなわち交絡が存在する場合、観測された現象の真の原因は 交絡変数であるにもかかわらず特別な事例であると 勘違いするのです(´・ω・`) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる