>>164
はい。嫌うといえば嫌います。そして、人間もまた同じように多少嫌います。それは事象または結果が全てだからです。
人間側から言うと当選に向けてのランダム性を求めるからです。

当然当選する確率というのは1.2.3.4.5.6.7でAir(0)だとしても人間も機械(ランダム)でも一様に同じ確率(1-37から7個選んだという条件)であるため数字が書かれているか違う数字かぐらいの差しかありません。
ボールに対しては、外れたランダム(機械側)でも似非ランダム(人間側)でも一様に同じというわけです。
そして誕生日のパラドクスの抜け穴を認識すると、1年=365日のようにある特定の日付で行うor集計が正確で均等である12/31で行ったとしても
365日で折り畳まれては結果は一様に同じ確率が確立されます。
人はいつかは死んでリアルなカウントから除外されることになるのですが、統計はデータですのではじめのうちはバラバラかもしれませんが一緒の確立に依存します。
更に言うとその時々の分母は変化するため一様に同じ結果を取得できます。
しかし、
LOTOのような宝くじの機械では絶対数の違いから、階層の濃いランダムが主な当たりとなってたまにアトランダムなハズレとなるのに対し、
人間はアトランダムな当たりを考える(合理主義とする)事が当たりであり、不都合なランダムをハズレとしているだけです。
2つの条件をぴったり重ね合わせると絶対数の違い以外は両者とも逆の意味なので削除されてしまいます。
なので、機械のアトランダムのリミットを考えながら外して行くことで絶対数と向き合う事が出来ます。