>>173
> 昔は、谷山-Weil予想と言うのが普通の言い方でさえあった。

Weilは日光で谷山が初めてその予想を述べた時に予想の内容に対しても意義についてもとてもネガティブな反応をして
その後も予想には全く何も貢献していなかったのに、その予想の重要性が徐々に認められるに従って
さも自分が重要な貢献をしたかのように歪曲して機会ある毎にあちこちで語ることで、いつの間にか予想の名称にWeilの名前が加わったのだ

この辺りのWeilの自分の知名度を悪用しての予想の横取り行為に関しては、晩年のLangが詳細に調べて様々な証言の記録などを
ファイルに纏め、その予想の名称にWeilの名前を加えることの不当さを広くアピールした

その結果、かつてのようにShimura-Taniyama-Weil Conjectureと呼ばれることはほぼ完全になくなり、
現代ではShimura-Taniyama Conjectureと呼ぶのが一般的になった