グラフ理論は難しいから皆が手をつけなかったのではありません。まだマイナーな分野だったので、当時の日本で本格的に研究している学者が日本にいなかっただけです。だから私が第一人者です(笑)。1人で細々と取り組んでいたのですが、そのうち本格的にやって、良い結果を出したいと欲望が増大しました。そこで、グラフ理論の世界的な大家であるミシガン大学のフランク・ハラリー教授に「師事したい」と手紙を送ったら、半年後に「君の熱意を感じたから来なさい」と返事をもらえたんです。喜んでミシガン大学に留学してみると、実際のハラリー先生が強烈な人でしたねえ。彼のモットーは「Another Day,Another Paper(1日1本の論文を書け)」。数学者の世界では、論文は1年に1本書けば、非常に活発なほうなんですけどね(笑)。過酷な環境でしたが、そこで芽が出なければ、もうすでに30歳ぐらいの私は数学者を廃業するしかありませんでした。ラストチャンスだと思ってトコトンやったのが功を奏したのでしょう。最初は、ハラリー先生と共著の論文が1本出せればいいな、ぐらいに思っていたのが、留学中に20数本も書くことができました。私の人生の中で、非常にプロダクティブ(生産的)な日々でしたね。