全ては運命だと思う
今の人生を歩むためにプログラムされた道を歩いてるだけ
不幸になる役割
踏み台に成る役割
能力、容姿、環境含めて決められた役割演じさせられてるだけ 運の良い奴はとことん運が良いからな
ピンチもなんとか乗り切っちゃう
能力低くてもなんとかなる奴居るしな 運命も宿命も無い。遺伝、運悪く事故、人災(政府含む)、天災、偶然、等は誰にでもある。
大抵は毎日どんな「考え方」でどういう「決定・実行」をするかにかかっている。
それの積み重ねが現実となっている。 自然界の因果の法則から考えれば、原因、作用、結果の連続のみがあり、起こる出来事はすでに決定されている。
そうならば、人間は善悪において一切の責任はなく、法律も努力も秩序も教育も不要のはずである。
実際に、蟻には法も教育なくその集団性が保たれ、ある一匹の反乱によって集団が崩壊することもありえない。
しかし人間の理性には自由の意志があり、その行為には道徳的な責任がともなうのである。
そもそも理性がなければ、このような自由に関する思考自体が不可能なのである。 蟻は自分の属する集団の存在意義に疑問を持たない。自分が自由であるかどうか考えられない。
蟻はそれぞれが勝手に自殺をしたり、エサを独占したり、反乱や逃亡を起こしはしない。
理性なき蟻には道徳的責任は起こらない。
しかし人間の意志は自由を備えた道徳的存在であり、善悪の行為とその結果(報い)は各自の責任なのである。 だから人間は
「そうか、すべては完全に決定されているのか。じゃあずっと寝ていよう。風呂も入らない。明日から仕事に行くのもやめよう」
というわけにはいかない。
それを選ぶかどうかは個人の自由意志にゆだねられているからである。 ニューヨークの税金使い放題夫婦に関しては日本の恥として政府が解決すべきこと。このままでは税金を納める国民はいなくなる。恥を承知で汗水流して税金を納める気にはならない。 運命は結果論。
運命をやたら語るのは負け組となんらかの宗教はまってる奴等。 >>1
皆、出来上がったあみだクジの上を歩いている。
上がりから運の善し悪しが決まる。
これが運命。
だか、このあみだクジをエクセルの格子に置き換えてみると良い。
格子の中には隠れた分岐の数式がある。
運の良い人ほど、この数式が入っており、格子を追加したり外したり、ある程度コントロール出来るんだよ。
上がりの結果から、運命を語るのは良い。
だが、まだあみだクジの途中ならなんとかなるかも知れない。 >>14
最初からどうにもならない運命の結果論で語らなければならない可愛そうな人がいるのは確かだ。
だか、多くの人は違う。