俺のいた進学校で落ちこぼれなかった人は誰もが知ってるレベルの難関大学を出て大手入ったけど、
「期待されるまま、死ぬ思いして受験合格して就活戦争も勝ち抜いたけど、こんな定年までただ働くためにこれまでを費やしてきたのかと不意に思えてきて、人生を深く考えるのが怖い」とか話してて悲痛
「昔から成績はトップだったし、それを自分の価値として誇ってきたけど、
当時、馬鹿に見えて仕方がなかった奴等の方が今は自分より人生を謳歌してるように見える」
とか言い始めてて、ホントに深く考えるのやめた方がよさそう
自分なりの幸福の具体例を見出して、そのために頑張ってきたんじゃなくて、
結局ただ周りの期待に応えて、自分の価値を保つために努力してきたから、今更になってこんな疑問にぶつかってるのかもしれないって話してた
今更後悔するのが怖いし、選択を誤ったかもしれないって疑いを持つのもプライドが許さないから、自分の価値を自分で損なわないために、もう死ぬまで走り続けるしかないんだって
落ちこぼれの俺は、彼の人生と努力に敬意を持ってるけど、当の本人が、胸を張って幸せだと感じられてないのは問題だと思う。
社会的に鑑みれば幸福の模範例みたいな生涯でも、本人が「選択を誤ったんじゃないか」って疑問視する余地の方が大きいんじゃ、外野からは何も言えないなって。