6〜70年代位までは『嫁に下さい』ではなく、『嫁に“貰って”下さい』であった。
高度成長期に突入した辺りから、何故か“貰って”が抜け、更に男家側から“下さい”と懇願する風潮になった。

おかしな話である。

そもそも後継ぎ以外の、特に家系を守る(財・椀・労働力など)以外の女子は、
他家に引き取ってもらい食べさせていただく訳で、嫁家側からお願いしなくてはならなかった。

当然である。

親は必死で“貰って”くれる男家を探し、嫁ぎ先には持参金を持たせるのが一般的であり普通であった。
一生分の生活費は持たせられないが、かなりの金額を提示しなければ拒絶された。
良家になればなるほど当たり前の話であり、理に叶った至って普通の話である。

しかし、昨今は何故か嫁家側に男性家が足を運び、“嫁に下さい”と懇願し、
『娘を幸せにできるのか!何不自由ない生活を保障できるのか!』と恫喝され確認されないといけない。

不思議な話である。

結婚後もこのパワーバランスは崩れることなく、奴隷労働を生涯強要される。
女性は、それが当たり前と勘違いしているので、支えるどころか、ゴミだし風呂掃除までさせられている。

男性側も、根本的矛盾には気付いていないのが大半であるため難儀である。

是非、数十年前までの何千年と続いた常識に立ち返り、正常な社会認識に戻ることを切望してやまない。

でなければ、晩婚、未婚、少子化問題は解決しないであろう。

マスコミが先導した、文化改革の矛盾が本質にある。現代の男性は、大半がこの本質には気付いていない。
しかし、本能的に“しない”“したくならない”のである。
それは上記の理由から当たり前の選択であり、正しい選択と言わざるをえない。
離婚が多いのもこれが一因でもある。