1978年開校の愛知県立日進高校は
今の愛知県立日進西高校(日進高校開校のわずか5年後の1983年開校)の
場所に、最初から開校するべきだった。

または日進西高校の開校と同時に、当時の日進高校の生徒も
愛知大学の在学生がささしま新キャンパスに移ったのと同じように
日進西高に移籍させて、米野木にある日進高校の校舎は
愛知大学みよしキャンパスのように取り壊すべきだった。

なぜならば日進西高校創立以前の日進高校卒業生
(1985年卒業の5回生は中京大学に79人合格 
愛知学院大学には40人合格 名城大学に30人合格
また日進高校創立3〜5年前後は、国公立大学にも年間15〜20人合格)と
日進西高校卒業生は、いずれも愛大・中京や
愛知学院大などへの進学者が多いのに
名目上は別々のOBになってしまっている。

日進西高校設立以前の日進高校の卒業生(1〜5回生)は
日進西高校の先祖というべき存在です。

つまりは今から25〜30年くらい前は
愛知県立日進高校の校舎で、愛知県立日進西高校に
近い学力の学生が学んでいたのだから。