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『ノルウェーのヴォットン厠』
1939年、夏。青年ハンスはナチス・ドイツの迫害から逃れ、デンマークとスウェーデンを経て単身ノルウェーへと向かっていた。
ハンスはユダヤ系ドイツ人だった。ナチスが実権を握る以前は父母と一緒にベルリンに住んでおり、
父はフリードリヒ通りに食料品や日用雑貨を扱う商店を構えていた。ハンスも学業の合間に店を手伝うことがあり、将来はこの店を継ぐ心づもりだった。

ハンスはかつて周囲のドイツ人との違いを意識することはなかった。生粋のドイツ人も移民も、みんな仲良くやっていた。
近所同士で広場に集まってビール片手にパーティーを楽しんだり、家屋の改修や引っ越しを手伝うことだってあった。
しかしナチスが擡頭してからというもの、周囲から向けられる視線が徐々に厳しくなるのを楽観的な性格のハンスも感じていた。
「僕らが一体何をしたというのか」僕らは何もしていない。ヒトラーが吹聴するような侵略行為はしていないし、ただ法と良心に従ってこの国に融和してきた。
この時 人間の心というものが情勢や環境によって容易く変化してしまうことを知った。

日を追うごとにユダヤ人を取り巻く環境が厳しさを増すなか、1938年 ついに水晶の夜《クリスタル・ナハト》事件が起こった。
ユダヤ系の商店や居宅が夜に一斉に襲撃され、窓ガラスが割られ通りにガラス片が散乱した。900人以上のユダヤ人が殺害され、数万人に及ぶ人々が強制収容所へと送られた。
これを機にこれまでとは比べ物にならない尋常ではない雰囲気を感知し、家族で亡命することを決めた。あの親切で知性的なドイツ人は一体どこへ行ったのだろう。

ドイツからデンマークへと陸路で逃れ、最北の地フレゼリクスハウンからカテガット海峡を渡ってスウェーデンのイェーテボリへと流れ着いた。
さらなる安住の地を目指しノルウェーへ密かに入国した。真夏でも気温が摂氏20度にも満たない冷涼な地を北上し、首都・オスロを目指した。
しかし道半ばで父が脚を負傷してしまい、歩くこともままならず路傍にうち棄てられた廃材で即席の松葉杖を作った。
「ハンス、先に行きなさい。あなたには未来があるのよ」「そうだ、俺たちのことは気にするな。少し遅れてオスロで会おう」父母がそう肩を押した。

ただひとりオスロへの途上で、モスという小さな町に宿をとり夜を明かすことにした。しかし第二次世界大戦下でどの人家も宿も扉をかたく鎖(とざ)していた。
ようやく灯りのともった一軒の人家を見つけ、一か八かのつもりで扉を叩いた。家主は扉の覗き穴からこちらの様子を窺うと用件を尋ねた。
「ドイツから逃れてきた者で泊めてほしいのです」。家主はそっと扉を開け「大変でしたね。どうぞお入りください」と招き入れてくれた。

私を迎え入れた品のよい中老の女性はインゲ・ヨハンセンといった。「夫はいま軍隊にいますの」不安げな表情でそう漏らした。
彼女はバラカオというノルウェーの家庭料理を振る舞ってくれた。干し鱈やエビをトマトソースで煮込んだもので、夏でも肌寒いノルウェーの夜に冷えた体を温めてくれた。
「誰か来ているの、お母さん」そう声が聞こえると、一人の娘が階段を下りて姿を現した。―「お客さんよ、アンネ」
その姿を見るなりハンスは息を飲んだ。アンネというその娘は美しい女だった。肩のあたりまである長い金髪を靡かせ、痩身で肌は透き通るように色白だった。
「こんばんは、お客さん」とアンネは我々に挨拶した。その瞳は碧く深く、かつて家族で旅行に行ったスイスのルツェルン湖の湖面を思わせた。
ハンスはその瞳が紡ぐ見えない糸に捕らえられ、しばしの間 身動きをとることも言葉を発することもできなかった。
「ああ、私はハンスと申します。ハンス・ノイマン」―「はじめまして。今晩はゆっくりしていってください」

食事を終えて寝室に通された後も、ハンスはアンネのことが頭から離れなかった。
夜半にふと尿意を催しトイレに入って電球をつけるとハンスは驚いた。ヴォットン便所なのである。
ベルリンでは下水道が普及していたが、鄙びた田舎町であるモスの町ではヴォットン便所が一般的だった。
暗黒の穴は地獄へとつながっているように思え、ふとすると足を踏み外してしまいそうで恐怖を覚えた。
ここで彼女も毎日糞尿を排泄しているのか。落下の恐怖と耐え難い悪臭のなか、ここにきてアンネへの恋心は急速に冷めていったのである。
どんなに美しい女だって人間には変わりない。屁もひれば糞もする。死した後は骨になり男女の区別さえつかない。
明朝、一宿一飯の礼を告げハンスはヨハンセン家をあとにした。今日も天気は穏やかだ。ハンスは頭上に広がる青空のように澄み切った心でゆっくりと歩み出した。