糞ジジイ・糞ババアにありがちな事 [転載禁止]©2ch.net
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子供が東大卒なことを社交辞令で褒めると「そうなのよ、私すごいのよ!あんたの兄も私が貰って育てたかったんだよお」とニヤニヤと失礼なことをほざく大学にも行ってないただの金融営業の虚言癖認知症糞ドブスババア バイトしなきゃ飯食えないベーシストw
「自分の好きなことで飯食えてて俺は幸せ」だっていってたけど
毎日バイト来てる 「おじいちゃん」「おばあちゃん」なら和気あいあいで家族といられるけど、「糞ジジイ」「糞ババア」はボケたが最後、施設にブチ込まれてる。 石原慎太郎の教育論本『スパルタ教育』
「いじめっこに育てよ」 周囲の若い人間に粘着してカネをたかる
親戚や知り合いのジジイババアが恐喝してきたので警察に通報した
祖父ジジイもジジババどもに注意するどころか「(親戚や知り合いがカネたかるのは駄目でも)俺が言うんやったらどうかな?!」等と同じように恐喝してきたので同じように警察に通報して音信不通にしてやった
なんで「祖父なら孫に恐喝するのは許される」と勘違いしているんだよ糞ジジイ死ね 雑貨も扱っているドラッグストアのクリエイトで糞ジジーに出くわした。
レジは若い娘ばかりでジジーはタバコを品名で注文、もちろん番号で注文だから
再度注文してたんだけど、言う時にはっきりと聞こえなかった。
後ろに居たオレでもそう感じたんだが・・・。
そしたらこいつは相手が若い娘ばっかだと調子に乗り始めてレジの娘にダラダラとダメ出しを言い始める始末。
オレでも聞いててイラっとしたし、こんなジジーは店を出てから蹴りでも入れてやろうかと思ったくらい。
あの時のレジの娘、気の毒だわ・・・。こんな客相手にも謝まり続けるしかないからね。
店内から駐車場を見ると助手席にBBAの乗った100系の白いマークUだったけど、家ではBBA天下だろどうせw インフルエンザと診察受けた後で美容室や化粧品売り場に行くBBA お風呂のお湯と同じで、あたたかいお湯を相手にむければ、 怒気を持っていると、怒気を含んだ人が集まってきます 性格とは自分の発するセリフです。自分自身に発するセリフも同じです 人に対してでも、自分自身に対してでも、どんなセリフを言っているか考えたら 好ましい性格になろうと思ったら、意識的に、前向きでいいセリフ、言葉を発するようにするのです それがクセになるころ、性格が改善していることに気がつきます 精神安定剤とは、精神を安定させるものではありません! その人の精神力を奪い、破壊することで、一時的に発作が起こらなくするだけのものです。 だから飲み続けると、どんどん精神は崩壊していきます。 病院も、働く人の生活がかかっていますから、なるべく薬を出さないと、
経営難で潰れてしまいます。 良心的な病院は、あまり精神安定剤は出しません。
危険なことを知っているからです。 精力気力の溢れた若者ならば、薬の副作用にも耐えられるから、
症状が良くなることもあるけれど、それは、薬のおかげでは、断じてない。 古きよき時代に、輝かしい徳をもった聖人は、まずその国をよく治めた。 その国をよく治めようとした人は、まずその家を和合させた。 その家を和合させようとした人は、それに先だってまずわが身をよく修めた。 わが身をよく修めようとした人は、それに先だってまず自分の心を正した。 自分の心を正そうとした人は、それに先だってまず自分の思いを誠実にした。 自分の思いを誠実にしようとした人は、それに先だってまず自分の知能を十分におし究めた。 知能をおし究めるには、学問によって物事の善悪を確かめることだ。 学問を積んで、物事の善悪が確かめられてこそ、はじめて知能がおし究められる。 知能がおし究められてこそ、はじめて思いが誠実になる。 国がよく治まってこそ、はじめて世界中が平安になる。 こうしたわけで、君子はまず何よりも自分の徳の充実に気をつけるのである。 つまらない凡人は、一人で人目につかぬ所にいると、悪事を働いてどんなことでもやってのける。 さて立派な人を見ると、そこではじめて悪事を隠して善いところを見せようとする。 しかし人々がそれを見通すことは、まるでその肺臓や肝臓を見ぬくほどにも鋭いから、そんなことをしても
なんの役にもたたない。 曾子はこう言った。
「おおぜいの目に見つめられている。おおぜいの手に指さされている。ああ、恐れ慎むべきことだ」 財産ができると家屋もその恩沢を受けるように、内に徳ができると人の身体もその潤いを受ける。 こういうのが、内面で誠実にしておれば外にも現れるということだ。 言の葉を改め直せここだくの 罪もケガレも消え失するなり 身に魂(たま)に曇りかかるは今までの 言葉に汚れありし故なり 霊幸(たまちは)う神の恵みもいましめも おのが身魂(みたま)のもちかたによる 言霊(ことたま)のたすくる国と云いながら その言霊を乱す人のみ 言霊の天照る国に生れあいて いかで濁さん清き身魂を 我が身魂汚なき物と思うかな 研けば光ることを忘れて 言うてよき事は言わずに言わずとも よきことを言う醜人(しこびと)あわれ 世の人を罵るものは必ずや わが身の悪を晒すものなり おそるべきものは身魂の汚れなり 根底の国へおのずから行く 日の本の神守る国を汚しゆく 曲神(まがかみ)ゆゆし斬り放りてん 昨日まで人の事よと思いしを 今日はわが身にふりかかりける 神の世の裁きに今やあう坂の 人は知らずに日を送りをり 神にある今日のわが身は若き日の 思いつきせぬ悩みのたまもの 神の子の罪引き受けて苦しむも 神は世界の親なればなり この教(のり)は天照る神の道なれば 踏み行く人に光つき添う 真の仏理を知らずして愚痴のままで福の因を積むことを痴福という。 たしかに痴福であれ、これを積めば来生はおおかた国王、大臣、長者、美人などという福貴自在の身に生まれよう。 そして、尊貴に誇り権勢を恃んで、庶民を収奪し、村里をこまらせては、 その一方では、やれ蹴鞠だ舞だ、遊山だと、途方もない金銭を無駄遣いし、 臣下の者を咎め、使用人を鞭うち痛め、とんでもない罪業を積み重ねることになるのである。 このようなことをしていれば、死後には必ず三途の地獄に堕ち、無限の苦患を受けることになるのである。 「痴福は三世の仇」と言うが、まことに不易の金言ではないか。 とにかくわが身だけは後生を助かりたいと、万善を行じ、いくら苦しみ励んだところで、 そんな努力も畢竟は地獄堕ちを助ける手段でしかないのである。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています