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一番苦しかった試合は昭和45年7月30日、大阪府立体育会館でのドリー・ファンク・ジュニアとのインターナショナル選手権
40度近い真夏の灼熱地獄の試合で、馬場は脱水症状にかかった
心の中で「お母さん助けて!」と叫んだという