「民主主義による平等社会」と言っても、「平等に」選挙権を持てる、「平等に」職を選べる、「平等」に何かを主張できると言ったところだか、
そこに権力や大資本家が絡んでくるのが近代資本主義であってそこにはどうしても「権力勾配・強者の理論」が加わるわけで、
例えば、個人の主張はテレビや新聞に敵うことはできないように、結局現代民主主義というのは、「平等」を錦の御旗に掲げるその実、大資本に蹂躙される「空虚」なものとしての民主主義・平等社会でしかない
そういったこれまで最大正義・最大正解と見られてきた近代資本主義社会の限界や歪みが至るところで露呈し、その断末魔が現在進行中で具現しているのが露・宇問題なのかも知れない