日本社会のダブルスタンダード、日本人の心理的な特色が表れたものに思える
他人に見られている時の着飾った状態、他人に見せない状態(これは本性というより反動のように感じるが)

原発事故を機に、日本の闇を見てきたが
自由な世界で生きてきた若い人は、第二次大戦時の日本を想像すらできないかもしれない
それほど違う世界になってはいるが、まだ闇は残っているようだ

児童虐待やDV等、最近でこそ問題としてマスメディアが扱っているが
少し前までは(暴力であっても)警察は民事不介入と言い、家庭内の事情に介入することがなかった

見てわかる物理的な暴力の裏には、心理的な虐待も当然存在していて
そういった影響は世代を超えて連鎖する傾向にある

子供が親の道具のようであったり、所有物のように扱われたりする傾向は日本だけではないが
日本ではそういった世帯の割合が若干高いのかも知れない(地形的に隔離されている点も影響しているかもしれない)
子供が素直な感情を表に出したとき、親がそれを受け入れないような家庭で起こることである
(例えば、子供がいたづらをしたときに、理由も聞かずに注意するような、しつけをする家庭である)

親にどう見られるか?を意識した行動をするうちに、自分自身の意思と親の目線を意識したのと
境界はぼやけていき、親の目を意識した行動をも自分の意思だと信じるようになる
成長するにつれ、学校の先生・同級生から会社の上司・同僚の目線を意識した行動を選ぶが
会社で働き始めるころには、それを自分の意思だと信じて疑わないだろう

こうして育った人が、上司の理不尽な指示にも従うような人であり
日本人の中にこういった人が多いことは周囲を見渡せば感じ取れると思う
少なからず誰にもそういった要素はあるので、程度問題でもあるのだが
再び戦争への道へ進みそうな気配を感じるために、ここに注意喚起としてメモを残す
※戦争を防ぐためには、明確に意識した行動が必要とされるため