>>711
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%9F%E3%82%B9
1972年1月、千葉県市原市五井にあるチッソの工場を訪問した際に、交渉に来た患者や新聞記者たち約20名が会社側の雇った暴力団に取り囲まれ、暴行を受ける事件が発生する。
スミスもカメラを壊された上、脊椎を折られ片目失明の重傷を負う[2]。
この事件でスミスは「患者さんたちの怒りや苦しみ、そして悔しさを自分のものとして感じられるようになった」と自らの苦しみを語った。
その後『ライフ』1972年6月2日号に「排水管からたれながされる死」を発表し、大きな反響を得た。
スミスの元で助手をしていた森枝卓士も水俣病の取材中に右翼から暴行を受けている[3]。