「吉田調書」
第1章 原発は誰が止めるか
2. ここだけは思い出したくない
http://www.asahi.com/special/yoshida_report/1-2.html

東日本大震災発生3日後の2011年3月14日午後6時。
福島第一原発2号機は、重大な危機にさらされていた。
「これで2号機はこのまま水が入らないでメルトして、完全に格納容器の圧力をぶち破って燃料が全部出ていってしまう。
そうすると、その分の放射能が全部外にまき散らされる最悪の事故ですから。
チェルノブイリ級ではなくて、チャイナシンドロームではないですけれども、ああいう状況になってしまう。
そうすると、1号、3号の注水も停止しないといけない。
これも遅かれ早かれこんな状態になる」
ベントの弁と同様、平素は簡単な操作で開くのだが、
125ボルトの直流電源を供給するバッテリーが上がってしまったのか、うんともすんとも言わなかった。
午後6時、2号機のSR弁がようやく開き、しばらくして炉の圧力が下がり始めた。
これで消防車による注水が可能になると所員は安堵の雰囲気に包まれた。
が、喜びは束の間だった。
午後6時28分、こともあろうに、消防車が燃料切れを起こして注水できていないとの報告が入った。
おまけに軽油を消防車への補給のため運ぼうとした小型タンクローリーがパンクで動けないとの情報も入った。

バッテリーが上がってしまったのと
消防車の燃料切れと
タンクローリーのパンクは人為的ミスだった。
…と言うか工作員紛れ込んでただろコレ。