>>375
残された遺書自体にも、不自然な点がいくつかあった。
まず、筆跡が一部、本人のものと違っていた。西村氏の時間の書き方は独特で、「西村ファイル」の文書ではどれも「時」よりも「分」の数字が小さく書かれ、「分」の下に下線が引かれていた。
ところが、遺書はこの書き方ではなく、普通に記述されていた。
また、遺書の中には「勘異い(勘違い)」「反展(発展)」「遠り越し(通り越し)」と、いくつかの誤字が見られる。この点、トシ子さんは首をかしげる。
「長年、文書課で役所に提出する書類をチェックする仕事をしていたから、夫は誤字、脱字には厳しかった。
いくら気が動転していても、こんな書き間違いはしないはずです」
2人の息子について「子供達をよろしくお願いし、お別れとします」としか書かれていなかったことや、遺書が動燃の社用の便箋に書かれていたことも不自然だった。
「当時、次男は成人式を2日後に控えていて、夫もスーツ姿を見るのを楽しみにしていた。そのことにもまったく触れず、子どもたちの名前も書かなかったのはおかしい。律義な性格の夫が、社用の便箋を遺書に使ったというのも違和感があります。
カバンの中に残った遺品には、ノートなど記録用の紙が一枚もなかった。翌日、出張に行くというのに、そんなことがあり得るでしょうか」



たび重なる不可解な反応だったが、このとき、トシ子さんはT氏から<西村職員の自殺に関する一考察>という文書を渡された。T氏が西村氏の死の原因について考えをまとめたものだった。
<(西村氏が)記者会見に出席した際、プレスから厳しい質問にさらされ回答している中で勘異い当弁をし、その場のムードから素直に訂正が出来ず頑張り切ってしまったのだと推察しました>
そこには「勘異い」という、なぜか遺書と同じ「誤字」が使われていた。
トシ子さんの疑念は、さらに深まった。


「原子力ムラの陰謀」 今西憲之