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2008年02月24日、昼日中でも薄暗い歌舞伎町の地下の奥底で、
「不正義の平和よりも希望の戦争を」などと題した
アブない対談が行われた。

赤木・佐藤の「戦争派総決起」な主張に対しては第一に
「戦争になったら自分も死ぬんじゃないの」と言う、
『論座』での左翼文化人の反論にもありがちだった
素朴な反駁があった。

だが赤木は「自分が戦争で死ぬのは運不運だからしょうがない。
だが今のままなら自分たちは確実に追い込まれて
殺されるんですよ」と全く動じない。
自由と繁栄を当然のように謳歌してきた「団塊世代」と違い、
さながら移民労働者のように日本社会に使い捨てられてきた
就職氷河期世代、
いわゆる「ロスト・ジェネレーション」である
赤木にとって「死」は近い将来の現実であり、
戦争さえなければ避けられるような他人事ではないのである。
過激派テロ組織と10年以上対峙を続ける佐藤に
至っては、もはやとっくに覚悟された問いでしかない。

第二に提示された反論は「希望のない社会を作った元凶は資本家階級だ。
旧ソ連など東側陣営や国内の左翼勢力が一定の歯止めに
なっていたのに、
それが崩壊してタガが外れたから格差社会になった。
だから弁証法的に言えば資本主義打倒しかないのだ」
と言う、左翼的で階級闘争史観な主張である。

だが、そもそもそうした事実認識は本当に正しいのか?、
戦争派は論駁する。
赤木は派遣労働者の解禁がなされたのは社民党が
自社さ政権に加わっていた時ではないか、
国内の左翼は組合に所属する正社員の利害を
代弁しているだけだと批判する。
さらに佐藤に言わせれば、社会主義陣営こそが
むしろ搾取と格差の元凶なのである。