57に書き込みしたものです。

自分でも読み返しましたが、分かりにく
かったですね。
申し訳ございません。

時系列と位置関係を改めて簡単に
書き込みます。

2011年3月11日

午後2時40分頃
休憩を終え、町の湾に面している道路を車で走行しだした。(自宅から15キロ程離れている地域)
午後2時46分頃
車のハンドルを大きくとられる感覚があり、
パンクだと思ったので車を止めた。(まわりの
工場や店等から次々と人が外に飛び出す状況を見て、地震だと気づく)
午後3時頃
大きな揺れが収まり、間もなく大津波警報の
防災無線が鳴り響く。(6メートルの警報が
発令された。自分が地震に遭遇した場所は
海抜1メートル程。海との距離は100メートル程)
午後3時5分頃
嫁にスマホから電話しようとしたが、繋がらない。地震の被害が心配でかけようとした。
地震にさえ耐えてくれていれば、津波は問題ないと思えていた。(自宅は海から3キロ離れていて、海抜も10メートル以上 まわりはスギなどの木に囲まれていて、海は見えない地域だった)
午後3時10分頃
地面に腰を抜かして座り込んでいるおばあさんを見つけ、自分の車へ誘導。
直ちに近くの教会がある高台へ車を走らせ避難開始。(高台は海抜30メートル程あり、町中を見渡せる広い駐車場がある。そこの近くに山があり、お笑いコンビのサンドウィッチマンがテレビのロケ中に地震に遭ったが、その山に避難し難を逃れていた)
午後3時20分頃
高台の避難先に到着し、おばあさんをおろす。
オレは海の沖を見て驚愕した。(避難中は大渋滞が発生していたが、自分達の進路は大手の運送会社の人達が身を呈して交通整理を行っていて、同じ避難先の人達をスムーズに誘導してくれいた)
午後3時20分過ぎ
ここから時間がわからない
町中の人達は建物に遮られ津波が来ていることに気づいていない。
自分は家族のことも考えず、高台の下で混乱して逃げ遅れている人達に避難を呼び掛けに駆け出した。無意識だった。(非常に混乱していて、逃げ惑う車にひかれてしまう人達もいた。)
時間不明
呼び掛けしていたら、津波が自分の目の前にきていた。一瞬で呑み込まれ記憶がない。
夜になり、海が津波火災で燃え盛っていたらしい。その海を流され対岸で運良く救助された。
(その日着ていたダウンジャケットが浮きになっていたらしい)
翌日
ほとんど記憶がないが、陸上自衛隊のヘリコプターで岩手の大学病院に搬送され治療を受けた。
その後
5月に退院。
自分の親に連れられ、流失した自宅の跡地を見て
絶望した。
妻と娘が最悪の状態で見つかる。
以上ですね。
質問あればまた答えます。