論文捏造について善悪を考える問題について

・論文捏造を悪だと考えるのは無理です

捏造論文を悪だと糾弾する人がいますが、悪の認定というものは簡単に出来るものではありません。

まず、司法で培われた知恵を思い出しましょう。
正当防衛、緊急避難、精神薄弱、未成年などなど、免責される条件と言うのは多数定められています。
その条件を満たさなくても、裁判において情状酌量の検討は必ず行われることです。
論文執筆は人間の営みなわけですから、これらの事柄が当てはまらないわけがありません。

そして何より、善悪を認定するためには、事実を認定しなければならないことを思い出しましょう。
本当に悪意が存在するのであれば、事実の認定とは極めて難しいものです。
警察の捜査権を抜きに捜査を行うのであれば、捏造者本人の自白や自発的な証拠の提供が悪意の証明には必要です。
しかし、本当に悪意があったら自白したり自発的な証拠の提供を行ったりするわけがありません。

すなわち、捏造が悪だなんてことは詳しく調査しないと断言できませんし、警察の捜査権を抜きに捏造を認定することは不毛で不可能です

ところで、警察の介入を許すことは、学問の自由に反します
論文捏造を悪と定義する是非を考えるためには、
論文捏造の被害と、学問の自由が警察権で侵されることの被害を比べる必要があります

論文捏造がどれだけ大規模な本数で行われても、警察権の暴走による社会の変質に比べれば被害は小さいのは、歴史を紐解けばわかるでしょう
捏造家は、あなたを暴力的に束縛することは出来ないからです
すなわち、論文捏造を悪だと位置づけるようなことは諦めた方がいいのです
学問の自由を保障しなければいけない以上、善悪の概念から離れたところで論文捏造を考えた方が賢明です