ある程度の業績主義はそれは必要だと思う。
でも、今の業績主義は、生存率を20%くらいに設定して、死ぬか生きるかの戦いを行わせている。
岸忠のような研究バカが考えたのかもしれないが、これで上手くいくわけがない。

かつての須田桃子のような個々の研究不正実行者を叩くやり方、すなわち小保方を叩くようなやり方は絶対に間違っている。
研究不正実行者が必然的に生き残るような仕組みを作っておて、生き残った奴を叩くのはただのイジメだ。
叩かれるべきはシステムを作った奴の方だ。

宮道和成がガチ議論で5年前に提案したように、大学院の定員を20%ぐらいに絞るしかない。
その代わり、大学院に入った後は成績は不問(素質を信じるということ)で、純粋に研究だけで評価する。貸与型の奨学金は基本的に与える。
大学院に進めなかった奴も、よい論文を書いたら素直に評価して、博士号を与えて、教員への道を開く。
業績主義は、死ぬか生きるかの篩分けではなく、どこの大学で教員を行うかの篩分けや大型予算の篩分けに使う。年間100万円の研究費を枯渇させるような篩分けには使わない。

ただ、このやり方では俺は絶対に生き残れなかったとは思う。
能力がないのに現行システムのせいで生き残った俺が研究不正問題に携わっているのは自然の摂理なのかもしれない。