◆直良信夫による「葛生原人」研究 編集

1950年6月25日 - 栃木県安蘇郡葛生町大叶の採石場にある洞窟で、採石場の持ち主・吉沢祐二からもらった 3点の化石のうち、「人類」の上腕骨の遠位端 の破片を見つけ、5日後に清野謙次(厚生科学研究所長・元京都帝国大学医学部教授)が上腕を確認し、「人類の遺骨」であるとされた[1]。
7月2日 - 同上洞窟内から「上顎左側の第一門歯」の化石を見つける。
7月25日 - 同上洞窟で大腿骨遠位端の片を採集。模式標本とした。
8月21日 - 葛生町大叶の洞窟で「人類」の上腕骨の小破片を発見。
(Wikipedia)





◆『日本大百科全書(ニッポニカ)』の解説

1950年代前半に栃木県安蘇(あそ)郡葛生町(現栃木県佐野市)の石灰山で発見され、化石人骨とされた骨の通称。葛生町大叶(おおがのう)の洞窟から1950年(昭和25)に出土した上腕(じょうわん)骨および大腿(だいたい)骨の破片、および同町山菅(やますげ)前河原の洞窟から1951年に出土した上腕骨、大腿骨、下顎(かがく)骨の破片など合計8点があり、直良信夫(なおらのぶお)によって報告された。直良はHomo? tokunagaiの種名と葛生原人の和名を与え、時代は中期更新世とした。しかしその後の調査により8点の骨のうちにはクマ、トラ、サルの骨の誤認があり、2001年(平成13)に人骨の2点を炭素14法などで調べた結果、15世紀頃の骨であることが判明し、現在では確実な化石人骨は1点も存在しない
[春成秀爾]

[参照項目] | 直良信夫




◆佐野市観光協会HP

『くずう原人まつり』

葛生の夏を締めくくる一大イベント「くずう原人まつり」は、毎年8月、2日間にわたって佐野市の嘉多山公園で開催されています。 多彩なステージや、郷土の踊りなどで盛り上がり、最後は和太鼓の競演で勇壮なフィナーレを迎えます。
(2020年12月現在)