☆出入国在留管理庁「ぼくらの7日間戦争」 (11)
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しばらくは空港を経験者で固めた方がいいと思うの
何も知らない人をぶち込むのはやめた方がいい いいから実長飯解体して全部特定技能やらせろよ
過労で1人退職したわ 実長なんてママさん御用達だから潰れるわけないじゃん https://approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=https://news.yahoo.co.jp/articles/cf8778ea041801d69d5f3c9925285b5a3c15f5ba&preview=auto
録画してないはワロタ
入管も真っ青やで 子の世話があるので残業転勤できませんってあらかじめ主張しとけばOK 俺は夜勤やりたいのに行かせてくれない一方で
夜勤嫌がる奴ばかり空港行かせられてる >>821
面談で夜勤やりたいって言えば行けるんじゃね 身上意向書の都合のいいところだけ読み取られて
希望してることは通してくれないといういつものオチ でも空港なら希望してればそのうち行けると思うぞ
意向が即座に反映されてないっていうだけ 2013年11月29日、同業第5位である栃木県宇都宮市に本社を置く元気寿司と、早ければ来年度中に経営統合をすることを前提に業務提携すると発表[6][7]。また同日付で、筆頭株主であるコメ卸最大手である神明の藤尾益雄社長がカッパHDの代表取締役会長兼社長に、元気寿司社長である法師人尚史が社長執行役員に就任した[8]。 支店長は店長より上 支社長は社長よりも下
本部長は事業部長より上 事業部長は部長より上 1973年(昭和48年)8月 - 創業者の徳山淳和が、長野県長野市にて株式会社ジェム・エンタープライズを設立。寿司の製造販売とミスタードーナツのフランチャイズ展開を始める。
1978年(昭和53年)6月 - 株式会社ジェム・エンタープライズの寿司部門を独立させ、有限会社長野フーズを設立。
1979年(昭和54年)8月 - 回転寿司店「かっぱ寿司」の1号店を長野市西和田に出店し、チェーン展開を開始。
1983年(昭和58年)
4月 - 有限会社長野フーズから有限会社日伸食品へ商号変更。
8月 - 有限会社日伸食品を組織変更して、株式会社日伸食品を設立。
1984年(昭和59年)11月 - 関東地方に進出、埼玉県八潮市に出店。
1988年(昭和63年)
1月 - 株式会社日伸食品から株式会社ニッシンへ商号変更。
2月 - 埼玉県大宮市に本社を建設して移転。
1991年(平成3年)12月 - 株式会社ティ・エム・ティを買収し完全子会社化、後にカッパ・クリエイト株式会社(初代)へ商号変更。 1992年(平成4年)6月 - カッパ・クリエイト株式会社(初代)を形式上の存続会社として、株式会社ニッシンを吸収合併。
1994年(平成6年)12月 - 株式を店頭登録市場(現・ジャスダック)に店頭公開。
1996年(平成8年)1月 - 手打ちうどんの株式会社得得を完全子会社化[4]。
1999年(平成11年)4月 - 「かっぱ寿司」の大型店舗を出店開始[4]。
2003年(平成15年)
日付不明 - 惣菜店「かっぱ厨房」の展開開始[4]。
2月 - 株式会社家族亭と業務・資本提携。
5月 - 子会社のKGアセット・マネジメント株式会社を設立。後にカッパ・クリエイト株式会社(2代)へ商号変更。
11月 - 東京証券取引所第1部に上場。
2006年(平成18年)
5月24日 - 株式会社エーエム・ピーエム・近鉄(後の株式会社エーエム・ピーエム・関西)の株式を取得し、持分法適用会社化。
5月31日 - 株式会社得得のうどん事業を家族亭へ事業譲渡。
2007年(平成19年)
3月8日 - 株式会社ゼンショーと資本業務提携契約を締結。
3月23日 - 提携契約に従い、株式会社ゼンショーに対する第三者割当増資を実施し、ゼンショーが31.09%を保有する筆頭株主となる。
5月 - 株式会社得得(現・株式会社F.デリカ得得)の株式を売却。
7月14日 - 中国産ウナギの安全性問題により「うなぎ」「うなとろ軍艦」を販売終了。一部店舗では焼穴子を販売開始。のちにうなぎのみ販売再開。
10月26日 - 株式会社ゼンショーとの資本業務提携を凍結。 周りの目さえ気にしなければゴネたら日勤いける
図太い奴のゴネ得だよ この役所って仕事しない奴・ゴネまくる奴の勝ちじゃね?
周り見てて不公平すぎて真面目にやる気なくなる 公正な評価
公正な異動
これを目指していただきたい 「トラカトロリ」とかいう人肉シチューが人々に振舞われ、ふくらはぎとかの美味しい?ところは長老とかに分配されたとか。 人事異動が希望通りに行かない
仕事を周りの2倍くらいやっても給与が変わらない
仕事教えないくせにミスると上司にチクるクズが多すぎる
いきなり業務内容変えてくるクズ上司が3割くらいいる
仕事を他人に押し付けて自分は暇だと言うクソがいる
通勤時間が90分
民間じゃそんなんねーよって言われたけどこれが勤務先のデフォルトだと思ってたわ…やばいな 民間どころか他の省庁でもこれまでひどくない
ここは悪い所はいくらでも思いつくが、いい所は本当に何もない 残業きついのはママ以外な
ママは定時でバイチャして負担は係長に >>849
定時までに仕事全部終わらせるママもおるんやで 終わりの始まりかと思ったけど、もう既に終わってるんだよなダメ組織 残業が多くても、管理系と在留系だと仕事の質が違うでしょう。 こんな仕事より家族が優先なのは当たり前だろ?
家族持ってバンバン帰ればいいんだよ 自分が管理者だったら、育児介護病休みたいな理由あり組より、何の理由もない職員たちを使うわ。理由あり組に業務起因のトラブルあったら明確な責任問題になるだろうしよ。 昔は頑張って働いてたけど、だんだん仕事への愚痴、不満しかなくなってきたわ 空港の楽部署にずーっと不法滞在してるくせに他人には厳しいカスBBA(もちろん残業0) >>858
理由なし組とやらに業務起因のトラブルがあった場合は責任問題にならないとでも?
クソ管理職のお手本だな まず人事権者が職場の現況を何も分かってない、当然改善しようともしない 時間帯によってはキツい
これから緩和してどばっと来られたらまず決壊する
なお上は何も対策考えてない模様 某空港の次長の仕事は監視カメラで職員を監視するのとチェックインカウンターを散歩するだけなんですか? >>867
数年前は1時間待ちとかザラだったから、空港業務の本来はそんなもん
入国制限下がスーパーイレギュラーだっただけ、そうだろう? 令和4年度国家公務員一般職出先機関就職格付け
S:人事院、経済産業局、
A:通信局、行政評価局、公正取引委員会
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B:厚生局、税関、検察庁、労働局(基準)
C:法務局、労働局(安定) 、警察局、防衛(部隊系)、農政局、公安調査庁、地方整備局、地方運輸局
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D:航空局、麻薬取締官、防衛(装備・学校系)
E:検疫所、矯正、入国管理局
―――――――――――
F:森林管理局
こんなんじゃろくな人材来るわけないよな 中年の自称お兄さんに鰻や予約されました。
行くべき? >>873
特定した
お前だけは絶対許さない
生涯粘着してやる 昔は
成田 昼にブース入ったら晩飯時間まで客切れない
羽田 集中的に来るので広い審査場に客が入りきれない 空港経験してない新人ばかりだから、規制緩和の後ヤバそう 一番重要なのは指揮官の能力
夜勤担当の首席統括が無能だと最悪の事態になるだろうな 優れた指揮官がどれほどいるのかね
パワハラとかいるじゃん >>869
次長が叩き上げのアンポンタンばっかなのは古今東西共通です 統括が無能だと首席にボロカス言われる
その逆はあり なつかしいな
もともとネトウヨのもとは、ネトサヨだった
ネットで、正しい主張をする左翼「ネトサヨ」を一生懸命押してたな
それが転じてネットの右翼を「ネトウヨ」言うようになり
ネトサヨを封印して、蔑む言葉として、ネトウヨという言葉を使いだした
サヨ国会議員も公然と使っていたから、そっちの方へも根回ししたんだろうとは思う 何のやりがいもないし将来性もない
それでも楽ならいいけど、ここはそれすらないからな どうやら「潞」は「露」の音通で、じゃあ「涿」は何かというと、「生殖器」らしいんだよな・・・(例えば「椓」は「宮刑」を指す)。 「淫雨」や「大水」は乱や変事の前兆のように言われる 中国史上、もっとも失敗した皇帝といっていい胡亥です。
始皇帝の息子で文字どおりの意味での馬鹿皇帝、
ちなみに阿呆という言葉も彼が建設した阿房宮が語源です。
もっとも秦帝国の崩壊は胡亥一人が間違っていたわけではなかったのです……。 昨今の世界情勢だったりこの国だったりの色々な話などを見聞きしていると、「近現代でもこんなんだから、古代や三国時代やらの中国なんかも、勢力ごとに主張がまるで違ったり、ある事件などが後から無かったことになったり、びっくりするほど美化されていたりといった話が山ほどあったんだろうな」という気持ちになる。 趙高「男を駄目にするのは簡単じゃ 若い時から酒と女を与え快楽漬けにしておけば良い」
何故かこの台詞が印象に残ってる 胡亥が即位した年齢に関しては、始皇本紀に付載されている秦紀に、
「生まれて十二年にして立つ」
と書かれていることから、実は12歳だったという説があります。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています