幼い頃船乗りになる夢を抱いたドビュッシーにとって、「海」はとくに身近な存在だったにちがいない。

しかし《海》の創作は、私生活上、感情の嵐ともいえる時期と重なる。
《海》を手がけた頃、ドビュッシーは作曲の弟子だったラウル・バルダックの母親エンマと知り合い、急速に彼女に惹(ひ)かれていく。
ふたりのことを知った妻リリーがピストル自殺を図り、一大スキャンダルとなる。
この間ドビュッシーは、頭を低くしてすべてをやり過ごすかのように、ずっと抱えていた
《海》の作曲に没頭し、騒動が収まってからようやく完成させた。
それは、伝統的な形式の枠組みからあふれ出す響きの想像力が音楽になったといえるような、まったく新しい作品であった。