文部科学省スレッド Part33 [無断転載禁止]©2ch.net [無断転載禁止]©2ch.net
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>> >>53
>>係長席と課長補佐席の間。
>>あるいは、政策課にも同様のものがあるだろう。
>> 確認中→言い訳のすり合わせ中でしょ。
>>ほかにも菅官房長官の案件もあるのだから、
>> 政権交代した方が良い。
菅官房長官案件のXデーはいつですか 文科省前川助平さん主催の「出会い系バー貧困女子調査ツアー」に参加したいのですが
調査費用とコンドーム代は前川助平さんが出して下さるんですか?
ちなみにわたしの調査棒は直径10p×長さ50pなので
コンドームはLサイズ。未使用の新品を希望します
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(__) (___) わたしの調査棒は直径10p×長さ50pなので
コンドームはLサイズ。未使用の新品を希望します 前川氏の座右の銘は「面従腹背」だそうだが、論外だ。
そんなことを正々堂々という官僚なんて官僚のクズだと思う。
一時期とはいえトップを務めた人間がそんなことを言えば、
文科省がそういう組織に見える。
文科省の後輩たちに迷惑をかけると思わないのか。 >> >>53
>>係長席と課長補佐席の間。
>>あるいは、政策課にも同様のものがあるだろう。
>> 確認中→言い訳のすり合わせ中でしょ。
>>ほかにも菅官房長官の案件もあるのだから、
>> 政権交代した方が良い。
菅官房長官案件のXデーはいつですか 文科省前川助平さん主催の「出会い系バー貧困女子調査ツアー」に参加したいのですが
調査費用とコンドーム代は前川助平さんが出して下さるんですか?
ちなみにわたしの調査棒は直径10p×長さ50pなので
コンドームはLサイズ。未使用の新品を希望します 前川ガンバレ!
平成維新だ、倒閣だ、日本の夜明けは近い! >>856
スポイチ編集長日誌 「同じようなことを連続で書き込みする人」の特徴
http://blog.goo.ne.jp/spoichi/e/bc415d2eff4c645cad642195c1957c38
<抜粋>
なぜ彼らがこのような行動を取るかというと、「自分の意見がスレッドやコメント欄で多数派であり優勢であると見せかけたい」という心理と、
さらに根本的な理由としては、
一度の投稿で事足りるように自分の意見を整理してまとめられるほどには彼らは頭が良くないという理由が挙げられます。 安倍ももう終わりで〜す。ざまあみろ!
読売、産経からも見放されつつある安倍首相とこの国の非常事態
2017-06-28 天木直人のブログ
http://kenpo9.com/archives/1703
一強の終焉 読売調査「不支持50%・支持39%」の衝撃
ニュースサイトハンター 2017年6月27日
http://hunter-investigate.jp/news/2017/06/-2-1.html <リトビノフ外交を知ってるか?>
ソ連のスパイたちは、アメリカではH・D・ホワイトやアルジャー・ヒスが
ルーズベルトやハルを操り対日開戦の謀略を実行させ、シナでは中国共産党や張学良が蒋介石を
監禁脅迫して抗日戦(国共合作)を強要し、日本ではゾルゲや共産党員たちが近衛首相を操って
「南進・対英米開戦」へと仕向けさせた。
日本もアメリカもシナ(国民党)も、すべてソ連の巨大な陰謀に踊らされ、いわゆる「リトビノフ外交」、
すなわち1932年のソ連コミュンテルン第12回総会における「米英と日独という資本主義国同士を
お互いに戦わせ共倒れさせる」という決議のそのままに操られた。
当時そのソ連のシナリオを警戒していたのが米国共和党であり、また現在中共が進めている
日米離反工作こそ「共産主義国の謀略」の再来である。 戦前の日本人クリスチャンが多数参加した太平洋問題調査会(IPR)という国際的な組織があった。
IPRはハワイのYMCA(キリスト教青年会)の汎太平洋YMCA会議の発展組織として1925(大正14)年に設立され、
この年ホノルルで行われた第一回会議に始まり、
58(昭和33)年の第13回ラホール(パキスタン)会議を最後に消滅している。
第二次世界大戦は赤いクリスチャン(IPR)と共産主義者のコラボレーションによって起こった。 慰安婦問題は今のいわゆる人権派の世紀をまたぐ壮大なセルフプロデュース(自作自演)です。
慰安婦は戦争自体が無ければほとんど必要ありませんでした。
そもそも戦争の起きた理由を考えて見てください。現代日本のいわゆる人権派はソヴィエト崩壊以前はマルクスレーニン主義者でした。
そのマルクスレーニン主義者は日本の終戦前は偽装国粋主義者だった人です。
そして偽装国粋主義者が戦争を炊きつけ煽りました、彼らは
東亜協同体を唱えました。蝋山 政道 三木清・尾崎秀実・新明正道・加田哲二・杉原正巳らですこれが大東亜共栄圏構想に変質します。
彼らは日本の中枢に入り政策決定者になり、ソビエトのコミンテルンという国際敵共産主義のネットワークから命令を受けて
中国国民党との停戦も妨害しました。
またそれまでのソビエト進行戦略を止めさせかわりに大東亜共栄圏構想のもとアジア南方を攻めろ資源も豊富だからといって
軍部に教え唆したのが大東亜戦争(第二次大戦のアジア方面)というものです。
同じく米国にいたコミンテルンの工作員も日本に戦争を炊きつけました。 西園寺公一
1906年11月1日生まれ 政治家。 二次にわたり首相を務め、
昭和戦前期には唯一の元老となった西園寺公望の嫡孫。
イギリスのオックスフォード大学へ留学ここでマルクス主義の洗礼を受ける。
しかし、ゾルゲ事件に連座し、禁錮1年6月、執行猶予2年の判決を受け、廃嫡された。
1936年7月、カリフォルニアのヨセミテで太平洋問題調査会(IPR)の第6回大会が開かれることとなり、
オックスフォード時代の顔見知りで内閣書記官を務めていた牛場友彦の誘いにより
日本代表団の書記として渡米。
このとき、牛場から引き合わされて公一と同じ船室に入ったのが牛場の第一高等学校時代の同級生、尾崎秀実だった。
戦後
昭和33年(1958年)には日本共産党に入党するも、
「特定の外国勢力に盲従して、分裂と破壊活動に狂奔するようになった」(『赤旗』)旨を以て除名処分となる。
家族を連れて中華人民共和国へ移住、中国共産党に入党、アジア太平洋地域平和連絡委員会副秘書長としての月給は500元
(毛沢東の月給は600元)と大臣クラスの待遇だった。
また日中文化交流協会常務理事等として北京にて国交正常化前の日中間の民間外交に 奔走した。
当時、香港経由で中共政府を訪れた日本人は、まず北京の西園寺邸を訪れた。
そのとき、「新中国でいかに振舞うべきか粗相のないよう示唆を与える」のが公一の役目だった
ため「北京の吉良上野之介」とも評されていた。
息子の西園寺一晃は紅衛兵出身で、その後朝日新聞社員となった。
1970年8月、12年7ヶ月ぶりに日本へ帰国。
以後国内で言論活動を行い、
中国共産党や毛沢東、江青等を賞賛。
自らが文化大革命の中で中華人民共和国を事実上追放されたにもかかわらず、
文化大革命を礼賛する言動を続けた。
昭和49(1974)年10月13日NHKテレビ趣味とあなたと「野鯉を釣る」で西園寺が
「あの戦争は俺達がやったんだ」 とニヤニヤしながら語っていた。 近衛内閣書記官長 風見 章(かざみ あきら)は
国際共産主義者ネットワーク(コミンテルン)から敗戦革命の密命を受けた工作員であった。
1909年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、国際通信、朝日新聞記者,信濃毎日新聞主筆
1937年6月4日第一次近衛内閣が成立。、
首相となった近衛文麿は当時全く面識の無かった風見を内閣書記官長に抜擢する。
風見も以前からの親友である、尾崎秀実(ゾルゲ事件)を内閣の嘱託に抜擢した。
1937年7月7日に盧溝橋事件が勃発
当時の参謀総長は皇族の閑院宮載仁親王であり、
参謀次長今井清と支那駐屯軍司令官田代皖一郎は揃って病床にあったため、
陸軍が組織の機能不全の為に戦線拡大に消極的であった。
当初近衛内閣は不拡大を唱え7月11日には現地で和平が成立するが、
この日の閣議後に風見は朝日新聞、読売新聞ら報道陣の代表者と政財界各方面の有力者を官邸に招く。
ここで近衛は内地三個師団を派兵する北支派兵声明を発表、和平交渉を破壊した。
この後も近衛内閣は、7月17日には1,000万円余の予備費支出を閣議決定。
7月26日には、陸軍が要求していない9,700万円余の第一次北支事変費予算案を閣議決定し、
さらに7月31日には4億円超の第二次北支事変費予算を追加するなど、
陸軍を事変拡大の方向へと圧迫していた。
1941年10月ゾルゲ事件の後、風見自身も証人として検察当局の尋問を受けるも訴追を免れる。
戦後1955年1月に左派社会党に入党、10月の左右社会党統一時に党顧問となった。
日ソ協会副会長、日中国交回復国民会議理事長
1957年には訪中して周恩来と会談した。
また、岸信介内閣の台湾政権支持、長崎国旗事件に反発し、
1958年7月14日、中島健蔵、細川嘉六、伊藤武雄と連名で
中国への「侵略」に対する「反省声明」を発表した。
これを自作自演という。 【朝日新聞のゾルゲ事件報道に見る朝日の狂気】
ゾルゲ事件を調査した検察当局は、日本共産党員河上肇の愛弟子近衛文麿と朝日新聞出身
のソ連のスパイ尾崎秀実が密接不可分の関係にあることを察知したものの、国政に大混乱が生じることを恐れ、
捜査の限界をゾルゲ機関の諜報活動に限定し、彼らの謀略活動を深く追及しなかったが、
尾崎秀実著作集に収録された尾崎の戦時論文は、これを読む者に、ゾルゲ機関の謀略活動の全貌を教えてくれる。
ところが、尾崎に情報を提供した朝日新聞の田中慎次郎は、
尾崎秀実著作集第2巻月報に「開戦前の一夜」という手記を寄せ、
「共産主義者としての尾崎君の実践は、周知のように、
諜報活動に限られていた。」と書いているのだ。
この尾崎秀実著作集2巻には、中央公論や改造に掲載された、
支那事変の拡大長期化を煽動し汪兆銘政権樹立工作を推進する尾崎の諸論文と、
ゾルゲと結びつき近衛内閣にブレーンとして食い込んだ尾崎の
「世界革命の一環としての東亜新秩序構想」に言及する
野村浩一の解説が収録されているというのに! さらに
蒋介石政権は中国共産党の人民戦線戦術に強要されて北支から上海に戦線を拡大したとはいえ、
昭和12年12月に入り、日本に和平を求め、多田駿参謀次長以下我が参謀本部は、早期和平の実現を訴えたのに、
近衛内閣はトラウトマン工作を打ち切り、近衛は爾後国民政府を対手とせず抹殺すると宣言してしまったのである。
支那事変の拡大長期化は、軍国主義(軍人による政治支配)の産物ではなく、我が国の文民政治家による独断暴走である。
しかし朝日の左翼幹部は、「ウソも百回言えば真実となる」と言い放ったゲッベルスよろしく約半世紀に亘り執拗かつ偏執的に、
我が国の戦争原因あるいは我が国の戦時体制を「軍国主義」と言い続けて国民を洗脳し、
国民が行う戦争責任の追及の矛先を軍部に向けさせようと今なお画策している。
何故なら国民が近衛を追及していくと、必然的に近衛のブレーントラスト「昭和研究会」「朝飯会」にいた尾崎秀実、
西園寺公一、勝間田清一、笠信太郎ら転向左翼と革新官僚の言動、暗躍にたどり着き、大東亜戦争を引き起こした元凶は、
我が国の政府軍部そして朝日新聞に巣くっていた彼等共産主義者であり、彼等を背後で操っていたソ連のスターリン指揮するコミンテルンであり、
マルクス・レーニン教であることが白日の下に晒され、当然の帰結として、我が国の為すべき過去の反省とは「反共の徹底」になり、
朝日以下反日左翼勢力は日本に存在できなくなるからである。
そして朝日新聞社を牛耳る左翼幹部によって偽造された軍国主義史観は、
歴史の教訓としてバカの一つ覚えのように「軍国主義の復活阻止」「文民統制の確立」を叫ぶことを朝日記者に強要する。 【調査】衝撃。
社民党、民進党、革マル派、中核派、解放派、赤軍派、これらの組織は、
全て朝鮮人の団体だった!!!。
民進党 辻元清美議員と北朝鮮
ピースボート=北朝鮮工作船
https://pbs.twimg.com/media/C7uD6DwVUAAerLp.jpg
辻元清美と崔竜海(金正恩の右腕)(北朝鮮最高幹部)
http://www.tomocci.com/sinpo/kika/kiyomi.jpg 文科省前川助平さん主催の「出会い系バー貧困女子調査ツアー」に参加したいのですが
調査費用とコンドーム代は前川助平さんが出して下さるんですか?
ちなみにわたしの調査棒は直径10p×長さ50pなので
コンドームはLサイズ。未使用の新品を希望します 安倍内閣とは
「馬鹿の馬鹿による馬鹿のための政治」である おはようございます。本日の放送予定です。
都議選、木村沙織のふるさと八王子にて日本第一党、桜井誠と岡村みきおが演説します。
必見の価値アリ。
※本日は桜井誠かpeng1n_28のツイキャスからリアルタイムで配信されます。是非ご覧ください。
平成29年6月29日(木)
弁士 岡村みきお、桜井誠、瀬戸弘幸、西村斉 ほか
8時〜 車両流し街宣
12時30分〜 京王八王子駅
14時〜 西八王子駅 ダイエー付近
15時〜 長房団地巡回
19時〜 高尾駅南口 ドトール側
<岡村みきお後援会>
岡村みきお 八王子未来の会
https://m-okamura.japan-first.net/
【期日前投票期間】6月24(土)〜7月1日(土) 午前8時30分〜午後8時
【投票最終日】 7月2日(日) 午前7時〜午後8時まで 面従背反とは戦前戦中の偽装国粋主義者と同じ事
を言い換えたものだ。 「ロシア・ゲート」も「加計問題」も、政権のトップを引きずり下ろすために、火のない所に煙を立てた「えせスキャンダル」だと思う。
筆者はこの背後に、中国共産党の暗躍があったのではないかと推論している。
森友加計とロシアゲート 日米同時発生「フェイクニュースによる政府叩き」 これ誰が仕掛けてるんだ?
http://hayabusa9.2ch.net/test/read.cgi/news/1498658943/ 「官邸は、文科省の誰が味方で誰が敵かの見極めに時間がかかっている。7月3日の週の予定が中旬にずれ込むかも。敵味方にメドがついたら、前
川氏の暴走を抑えられなかっただけに、それなりの報復を行うだろう。おそらく交流人事名目で官邸の息のかかった幹部が、経済産業者や国土交通
省から送り込まれる。組織の独立性と省内秩序が奪われるわけで、官僚が最も嫌う措置だ」(大手紙官邸記者) >> >>53
>>係長席と課長補佐席の間。
>>あるいは、政策課にも同様のものがあるだろう。
>> 確認中→言い訳のすり合わせ中でしょ。
>>ほかにも菅官房長官の案件もあるのだから、
>> 政権交代した方が良い。
菅官房長官案件のXデーはいつですか 権謀術数がうごめく霞が関にあって、今回の前川氏のクーデターが大きな意味を持つのは、
「文科省の反乱」であることだ。
中央省庁には、揺るぎがたきヒエラルキーが存在し、文科省は省庁の最下層に位置する。
“安倍一強”といわれ、霞が関が永田町にひれ伏すなか、最弱の省庁が最強の官邸に
たてついたことになる。
「絶大な権力を誇る財務省なら政権にくっついていれば必ず“うまみ”を得ることができるので
反乱を起こす必要はありません。しかし文科省は官邸の後ろ盾もなく、霞が関での地位は低い。
今回の文科省の反乱は、虐げられた者たちによる反逆だといえます」(全国紙記者) まだ反逆できるだけまし。
朝鮮なんか伝統的に、意見したらバラバラ肢体になる。
日本国内での限定共産主義サークルでも天と地
の格差
共産党前委員長 不破哲三(通名)の豪邸が凄い
http://livedoor.4.blogimg.jp/girls002/imgs/7/6/76249459.jpg 共産党で豪邸?w それでも断トツ自民党よりマシだと思うが
そんな偏屈アタマから正論は何一つ出ないぞw よく見る掲示板荒らしについての考察
http://ronri2.web.fc2.com/hajime07.html
<抜粋>
荒らしの動機ですが、私の見解によると、荒らしは直感的には他人の主張が間違っている事を確信しながらも、自分の考えを論理的に表現できないために、
相手の主張に納得できないままやり込められた怒りと悔しさが発端となって、暴力的な手段に出るようです。
つまり荒らしは自分が社会正義であると信じているのです。
ゆえに、荒らしは論理思考力や表現力の未熟な未成年に多いと推測できます。
彼らに自分の考えを表現するためのツールである論理を教えなかった日本の教育制度にも問題があると思っています。 荒らしの性格の心理学的な理由!煽るより放置?対策なし?
http://boukenka.info/post-2884/
<抜粋>
マニトバ大学の調査として、荒らしと言われる人たちに心理テストを実行したらしい。
その結果がこれ
他人を操ったりダマそうとする性向の人
自己中心的で自分が大好きな人
他人への共感や後悔の感情が少ないまたは無い人
他人を苦しめるのが楽しくてしょうがない人 このスレを荒らしまくっている人
手遅れにならないうちに、精神神経科の医者の診察を受けた方が良いですよ
もう、手遅れかもしれないけどね
ネットの荒らし、頭がおかしいと科学的に証明される
http://blog.livedoor.jp/itsoku/archives/41104762.html 次の事務次官が財務省からの片道出向になるという噂もあるけど、どうなんだろ?
今の次官(1980年、旧科技)が来年7月ないし再来年1月までやって、その時点で文科審になっている現初中局長(82年、旧文部)に交代、
その後は83年の旧科技、84年の旧文部、85年の旧科技となるんではないか?と思ってたが。
で、他省より遅く、今年8月の異動で文科審(旧文部系)交代、高等局長と生涯局長、それに文化庁次長が交代するのは確実だろう。
研振局長は初中局長になれるか不明。元人事課長だったから。 小学校の敷地と同じくらいの土地に豪邸建てて、住み込みコック
従えてる人物が、
120円時給の赤旗配達員をこき使ってるのに
それでも自民党議員よりましなのか、おまえ
頭見てもらえ。 団塊の痛い所は自分達がチョンに騙された馬鹿だった未だに認められない所が痛い。
30年とか40年キラキラした馬鹿な目で信じてた青春が朝鮮人に騙されてたと信じたくないのは判らないでもないが。 朝鮮バカ左翼はまず、土下座して、日本人様に感謝と恭順のこころを態度で示すのがスジだろ…
「韓日併合を要求する声明書」一進会 1909年12月4日
日本は日清戦争で韓国を独立させてくれた。
日露戦争でロシアに食べられる寸前の韓国を救ってくれた。
それなのに韓国はこれを感謝しなかった。
あの国に着き、この国に着き・・・結局は外交権を奪われる事になった。
しかし、これは我々が自ら招いた事態である。
丁未条約を締結する事になったのも、やはりハーグ事件を起こした我々に責任がある。
伊藤博文が韓国の国民を見守ってくれ、皇太子を導いて韓国の為に尽くしてくれた事は忘れられない。
それなのに暗殺事件が起こってしまった。今後、どんな危険が到来するかわからない。
これもまた韓国人が自ら招いた事態である。
(中略)
だから、劣等国民として保護されるよりも、日本と合邦し大帝国を作ろう。
世界の一等国民として日本人と全く同じ待遇を受けながら暮らしてみよう。
※1909年 12月4日「韓日合邦を要求する声明書」一進会(百万人の朝鮮人会員)
http://2sen.dip.jp/cgi-bin/upgun/up3/source/up2118.jpg
↑これがいつにまにか「被害者」になりすましてるんだから恐ろしい話だ
お願いされて、李朝の債務まで尻拭いしてあげて、なんで侵略?????
被害者に成りすましてる密入国者の子孫のザイニチと反日バカ左翼のいうことなど耳を貸す必要はない 鄭大均 著「在日・強制連行の神話」T(文春新書)
著者の鄭大均・首都大学教授は、東アジアの国家アイデンティティーの研究が専門の学者で、この著書の中で
在日韓国・朝鮮人は戦前の日本国家によって強制連行されて日本にやってきた被害者とその子孫であるという、
現在日本だけでなく国際的にも広く流布している「常識」を否定した、在日1世は自らの意思で朝鮮半島から
日本に渡ってきた人々であると。
まず1955年に、日本人の朝鮮研究家・森田芳夫により「在日朝鮮人の処遇と推移」という本が出版されましたが、
その著書によると、朝鮮半島の人口が日本の統治により急増した結果、農村地帯に大量の余剰人口が発生し、それと
同時に日本では産業発展によって労働力不足が起こった為、多くの朝鮮人が出稼ぎ労働者として来日する事になった
と説明されている。つまり在日朝鮮人たちは、自らの意思で日本にやってきたと言っているのです。当時は朝鮮半島
も台湾も同じ大日本帝国の領土で、朝鮮半島に住む人間が日本の本州や九州に移住するのは、国内を移動するのと
大して変わりなかった。
対して、朝鮮大学校教員であった朴慶植が1965年に「朝鮮人強制連行の記録」を書いて、初めて強制連行なるものを
世に創作した直接の動機は、この森田の「在日出稼ぎ説」に反論して「いや在日1世は無理やり日本に連れて来られたのだ」
と主張する事にあったのだ。朴慶植は北朝鮮労働党の日本における下部組織である朝鮮総連のメンバーでもあった
人物で、この本を植民地下の朝鮮人は日本帝国主義に搾取された被害者であるという、戦後北朝鮮が採用していたマルクス
主義的なイデオロギーに沿って書いています。その目的は北朝鮮の対日工作の一環として、在日1世たちは日本に強制連行
されてやってきたというプロパガンダを流布することで、在日の被害者性を強調し日本人に集団的な罪悪感を植え付ける事
にあったと鄭教授は指摘しています。鄭教授によるとこの朴慶植の「朝鮮人強制連行の記録」には初歩的な誤りや意図的な
ごまかしが多数みられ、在日1世達が強制連行されたという自説を主張する為に、恣意的にデータが選択改ざんされている
。 さらに鄭教授は、朴慶植がこの著書で朝鮮総連による在日朝鮮人の北朝鮮帰国運動についていっさい触れていない欺瞞性について
も指摘。北朝鮮帰国運動は、「地上の楽園」と聞かされていた北朝鮮が実際は極端に貧しい国であったことが判って
62年から帰還者が急減したという、帰国運動を推進した朝鮮総連には触れられたくない過去の事実です。
この運動を開始した頃から朝鮮総連は意図的に「在日強制連行説」を流すようになった。
これに対して日本の外務省は1959年に「在日朝鮮人の引揚に関するいきさつ」を発表して、強制連行を明確に否定しています。
〜この発表の要旨は次の通り〜
戦前(昭和14年)日本内地に住んでいた朝鮮人は約100万人で、終戦直前(昭和20年)にはその数が約200万人に増加。
増加した100万人のうち、70万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別労働者と、その間の出生によるもので、残りの
30万人は 大部分が工鉱業・土木事業の募集に応じてきた者で、戦時中の国民徴用令による徴用労務者はごく少数である。
国民徴用令は日本内地では昭和14年7月に実施されたが、朝鮮に適用された期間は昭和19年9月から翌年3月の7ヶ月間のみ。
終戦時に200万人の在日朝鮮人の内、140万人が希望して朝鮮半島に帰還し現在登録されている在日朝鮮人は61万人で、
そのうち戦時中に徴用労務者としてきた者は245人に過ぎない。
戦時中在日朝鮮人の数が増えたのは、日本人男性が兵士として多数召集された穴埋めとして朝鮮人労働者が必要とされたからだが、
この内極少数ながら戦時中の国民徴用令によって徴用された労務者が存在します。彼らは自分の意思に反して日本に連れて来られた
事から強制連行されたといえるかもしれません。しかし当時は朝鮮人も台湾人も同じ大日本帝国の臣民であり、「日本人」
として平等に徴用義務を課せられたのであって、これを「強制連行」と呼ぶのは適切ではない。 鄭大均 著「在日・強制連行の神話」V(文春新書)
また朝鮮人の徴用労務者が日本で過酷な労働に従事されられたことは事実ではあるものの、同じ時期に日本人の男性が兵士として
招集され戦場に送られたことを考えれば、特別朝鮮人だけが酷い扱いを受けたとはいえない。このように徴用されて
日本に連れて来られた労働者の大多数は、終戦と共に日本政府の用意した船で朝鮮半島に帰還したわけで、日本に残留した在日韓国・
朝鮮人が強制連行された在日1世とその子孫であるという説は間違っている。
実際「在日強制連行説」を唱えた朴慶植の「朝鮮人強制連行の記録」は、発刊当時はそれほど話題にのぼらなかった。
当時はまだ在日1世の大半が生存していて、彼らが出稼ぎ目的で日本にやってきた事は自明であったので、一部の左翼系日本人を除けば
朴慶植の嘘に騙される人間はいなかった。ところが80年代に入り日韓の歴史や在日の問題がマスコミで語られる様になると
共に「強制連行」という言葉は一挙に大衆化し、朝鮮人の被害者性と日本人の加害者性を表象する言葉になって一人歩きし始める。
80年代というのは社会主義国家が崩壊しマルクス主義の権威が低下した時代ですが、それを受けてそれまでマルクス主義を信奉していた
左翼達は「人権」を看板に掲げて活動するようになる。日韓問題や在日の問題はこれら「人権左翼」達によって、韓国朝鮮・在日=被害者、
日本・日本人=加害者という図式で語られるようになり、その過程で朴慶植の「朝鮮人強制連行の記録」に改めて脚光が当てられる様になる。
しかし在日1世達が日本に強制的に連行されてきた被害者であるとみなす事は、良き生活を求め自らの意思で日本に渡ってきた在日1世の自主性
を否定し、在日1世の生き方を侮辱する事につながる。また自分達の被害者性を売り物にして特権や優遇措置が得られる
様になれば、在日達は逆にスポイルされてしまう。被害者アイデンティティーに人生の根拠と動機を見いだしている場合、
自己責任の感覚が無くなり、自己責任の感覚を欠いてしまう事は自己検討の機会を自ら遠ざけている事だ。 加計学園ヤミ献金疑惑、下村文科相の反論はインチキだらけ! 平愛梨弟への攻撃は印象操作、主張通りでも違法性に変わりなし
リテラ / 2017年6月30日
https://news.infoseek.co.jp/article/litera_6448/ >>888
文科省トップに財務官僚!? ウソかホントか、菅官房長官の仰天「人事構想」
前代未聞の霞が関「分割統治」が始まる?
現代ビジネス 2017.06.29
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52159 >>896 前来未聞じゃないだろ。戦前は旧内務省系のキャリアが旧文部の幹部を独占していたのだから。
旧科技は知らんが、植民地に戻るだけ 共産主義の理念などどこにもない
バカ左翼の思想的拠り所となるべきマルクス経済学は理論的にも現実的にも
既に崩壊して久しい
左翼という言葉がもはやその意味を失っているのだ
マルクス経済学における決定的誤謬は成長理論の進展から明らかになった
現実経済は、ハロッドの意味で中立的な技術進歩を遂げていたのだ
ここで、ハロッドは経済成長は労働生産性が高まる形で起きると予想していた
事、中立的とは資本、労働分配率不変の技術進歩を意味する
そして、マルクス経済学の2つのテーゼ、資本主義の長期衰退仮説は資本
利益率低下から資本分配率の“低下”を意味し、労働者絶対窮乏化仮説
は資本分配率の“上昇”を意味するw
そう、成長理論の進展から所得分配率が注目されるに至り、マルクス経済学
の理論的欠陥、破たんが誰の目にも明らかになったわけだ
ゆえに、共産主義もその理論的根拠を失い共産党も存在意義を喪失した
今の中国共産党の一党独裁はもはや正当性のない不当なものなのだ
そして、正当性のない権力の腐敗は光速で逝っちゃうものなのだw 前川元次官による隠密貧困女子調査
口頭報告
「将来貧困女子になると見込まれる子は、
裸で芸ができなければだめだ!」
と教師に広がる秘密新指導要領に基づいた教育を実践した結果。
東京都教育委員会にまでは徹底されてなかった?
↓
東京都教育委員会は29日、教室で教え子の女児の服を脱がしビデオカメラで撮影したとして、区立小学校教諭の佐々木一幾被告(30)を懲戒免職にした。
都教委によると、佐々木被告は警視庁に逮捕され、強制わいせつなどの罪で公判中。
都教委と警視庁によると、佐々木被告は3月28日、勤務校で教え子の女児にズボンとパンツを引き下げさせ、ビデオカメラで撮影した。
股間をお盆で隠しただけの裸芸で人気のお笑い芸人「アキラ100%」のまねをさせたという。
配信 2017/6/29 17:34
共同通信
https://this.kiji.is/253076344271570424?c=39546741839462401 >> >>53
>>係長席と課長補佐席の間。
>>あるいは、政策課にも同様のものがあるだろう。
>> 確認中→言い訳のすり合わせ中でしょ。
>>ほかにも菅官房長官の案件もあるのだから、
>> 政権交代した方が良い。
菅官房長官案件のXデーはいつですか >>846
【宮城】<仙台中学生自殺>朝日新聞、母親に取材せず談話★2
http://a★sahi.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1493713527/
仙台・中2自殺 母話さぬ内容、遺族指摘…朝日が一部削除
http://egg.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1493696456/ Exotic Asian Atlanta
http://www.exoticasianatlanta.com/
Asian Escorts In Atlanta
http://www.dreamgirlsatlanta.com/asian-escorts.php#all
KOREAN PALACE
http://www.koreanpalace.us/
貧困調査歓迎ニダ
888888 アトランタに来たら、寄ってくニダ
<丶`∀´> 安くしとくニダよ
(┌斤Y斤) ウェーハハハハハッハ
/ / .| | ヽ
.└-レ─レ─ゝ >>906 都議選の結果次第で内閣改造至急実施
文科の幹部異動はそれからだろう。
今月下旬か来月初めでは? 天下りは文科省だけでなく今は注目されてない他の省庁もこっそりとやりたい放題。 >>891 日本・中国・朝鮮の3国間で、相手国に軍隊を常駐したのは日本だけというのが歴史的事実ですよ。
他人(自国民以外)が母屋を乗っ取った後、「どうだ綺麗にしてあげただろ立派にしてあげただろ」は通用しません。
あの頃の日本が、見返りを期待しない只のお人好しな国だった訳はありません。当然ですが(笑)
考えの浅い人間の共通点は、逆の立場で同じ事をされたら自分はどう思うか?
と、言う視点が完全に欠落していることです。
当時を日本が反省していると言う事は、同じことを二度と繰り返さにいと言う事です。
だからと言って、卑屈になることも、理不尽な要求に応える必要もありません。
グダグダ言うのはやめましょう。対処については、金銭以外、他に方法よ >>891 日本・中国・朝鮮の3国間で、相手国に軍隊を常駐したのは日本だけというのが歴史的事実ですよ。
他人(自国民以外)が母屋を乗っ取った後、「どうだ綺麗にしてあげただろ立派にしてあげただろ」は通用しません。
あの頃の日本が、見返りを期待しない只のお人好しな国だった訳はありません。当然ですが(笑)
考えの浅い人間の共通点は、逆の立場で同じ事をされたら自分はどう思うか?
と、言う視点が完全に欠落していることです。
当時を日本が反省していると言う事は、同じことを二度と繰り返さないと言う事です。
だからと言って、卑屈になることも、理不尽な要求に応える必要もありません。
グダグダ言うのはやめましょう。対処については、金銭以外、他に方法はいくらでもありますよ。 >考えの浅い人間の共通点は、逆の立場で同じ事をされたら自分はどう思うか?
と、言う視点が完全に欠落していることです。
自ら他国に併合をお願いした、なんて決定的条件を見逃すから、
鮮人は馬鹿にされるんだよ。少しは進歩しろよ。 君のような争い事を好む人は向こうにも大勢いる。
国が違うというだけで、人間としては同類だと気付くのが進歩だと思うがね。
少なくとも、恥ずかしい人間が目立ってどうするって話しだ。 >自ら他国に併合をお願いした、なんて決定的条件を見逃すから、
>鮮人は馬鹿にされるんだよ。少しは進歩しろよ。
根拠は?
「1945年への道」を参照してみてください。
特に、最近とみに大手を振って出回っている歴史修正・捏造を正すため、鍵となるテーマについては極力、当時の日本当局側の一次史料をエビデンスに使っています。 現代韓国人が知らない日本統治以前の奴隷社会
金完燮 SAPIO 03/02/26
死亡当時、すべての朝鮮人にとって呪いの対象だった閔妃が、今になって自主独立の
殉教者として華麗に復活した現象は、韓国人が直面しているアイデンティティーの混乱を
端的に示すものだ。
韓国人が朝鮮王朝を慕い、日本の統治を受けず朝鮮王朝が継続したならもっと今日良
くなっていると考えるのは、当時の朝鮮の実態についてきちんと分かっていないためだ。
特に子供と青少年は、きれいな道ときれいな家、整った身なり、上品な言葉遣いのテレビ
の歴史ドラマを観ながら、朝鮮もそれなりに立派な社会で、外勢の侵略がなかったならば
静かで平和な国家を保てたろうと錯覚する。
しかし日本が来る前の朝鮮は、あまりに未開で悲惨だったという事実を知らねばならない。
朝鮮は典型的な奴婢社会であった。全人口の30パーセント以上が奴婢であり、首都漢城
の場合は人口の70%以上にも及んだ。奴隷は物のように売買され、主人のために生涯
奉仕しなければならなかった。
平民や中人階級は奴婢に比べて若干自由があったが、貴族や官吏たちに略奪される
立場にあるのは同じだった。両班とも呼ばれる貴族たちは無為徒食しながら、下の階級に
対し無慈悲に権力をふるった。 ある学者はこのような朝鮮を、20%のヒルが残りの80%の血を吸う社会構造だと喩えた。
朝鮮は当時、世界中で最も未開で残酷な社会であり、このような社会が自力で改革を行
って近代化するということは到底考えられなかった。
だから、日本が朝鮮に進出しなかったら、朝鮮は文明の恩恵を受けられないまま世界
で一番遅れた地域として残ったことだろう。
したがって、今日韓国がある程度、民主主義の実現と経済開発に成功し、他の開発途上
国から羨望される水準に発展したことは、全面的に、朝鮮のために働いた日本人のお陰で
ある。
当時の朝鮮人はこのような事実を熟知していたために、独立以降も朝鮮王朝に対しては
何の郷愁も恋しさも持たなかった。だから今日朝鮮の王室を再建することによって自分たち
のアイデンティティーを獲得しようとする一部の韓国人の試みは、まったくもって間違ったこ
となのである。このような行動の背景には、韓国と日本を離間させることで利益を得ようとす
る集団の意図も存在しているのだろう。 ■統治と帝国主義時代■
清国はほとんど国家として、機能していたとはいえないしな。
腐った穴だらけの豆腐みたいなもんだし。
朝鮮は不凍港を求めて南下するロシアに取り込まれる寸前だったし。
大東亜戦争後に敗残兵である日本兵は、アジアの開放という使命を実行して、
中国やベトナムやインドネシアで戦後も義勇兵として戦って、
何千人も命を落としたのも事実であって、
アジアを始めアフリカまでオマケで独立した国が後を絶たなかった。
今現在、「約200カ国」あるわけだが、
大東亜戦争前に欧米列強の支配下になかった
自主独立国は日本・タイ・トルコの「3ヵ国」だけだったのも事実だし、
自虐的に侵略・侵略と連呼されるのは、たまらん気持ちは良くわかる。
「侵略」と、「割譲」と、「併合」の違いも理解するべきだし、
他国を統治するという点は一緒だが、
日本の場合は、植民地ではなく同化地にしたわけだから、
野蛮な「搾取や強奪」しか能の無い欧米と、一緒にしてほしくはないわな。
他国を統治する方法として
大航海時代にスペインやポルトガルがおこなった
「殺戮略奪型」 人を殺し強奪する
今現在も欧米が行っている
「愚民搾取型」 人を愚かにし搾取しやすくする
日本が行った
「賢民投資型」 人を育て社会基盤を造る
この違いも日本人なら理解すべきだと思うよ 2001.08.27 中央日報(韓国の新聞)
日韓併合論というのは、ずっと以前から日韓双方で議論されていたことだった。
日本側にも賛成派と反対派がいたし、同じように韓国側にも賛成派と反対派がいた。
日本側においては、陸奥宗光、曾禰荒助、竹越興三郎などは明確に反対していたし、
伊藤博文もかなり消極的だったことは有名だし、井上馨や原敬も伊藤と同じだったようだ。
一方、長州閥の桂太郎、山縣有朋、寺内正毅などは、併合推進派だった。
対する韓国側においても、賛成派と反対派は割れていた。
李容九や宋秉女Zなどが率いる文明開化派の最大政治組織「一進会」が強く併合を推進したし、
総理大臣の李完用を始めとする閣僚の約半数が「推進〜容認」派だった。
一方、それまで朝鮮民衆に塗炭の苦しみを与え、私利私欲を貪っていた皇帝高宗や両班や儒者たちは反対していた。
1909年に日本で併合が閣議決定したものの、併合の時期について、
曾禰荒助は「就任時伊藤、桂と三者会談にて、5、6年様子を見て」と合意していた。
ところが、その1年以内に韓国側のほうで大きな変化があった。
本音を隠したままの日本側に対し、まず合邦を打診したのは朝鮮側だった。
総理大臣の李完用(イ・ワンヨン)の側近である、新小説『血の涙』で知られる李人稙(イ・インジック) が密使として動いたのだ。 >>913
>…鮮人は馬鹿にされるんだよ。少しは進歩しろよ。
むちゃゆーな! また、一進会は1909年12月4日、「韓日合邦を要求する声明書」を作成し、上奏文と請願書をそれぞれ李完用総理、皇帝純宗、曾禰荒助統監に提出した。
しかし、日本側の併合反対派であった曾禰荒助統監は、この合邦案を時期尚早との理由で却下すると共に、新聞社、通信社に働きかけ、反対の論調をとらせた。
それでも、韓国側の併合推進派である一進会は上奏書を却下されてもまた提出し、これを繰り返すこと4回目に桂首相の指示により遂に受け取られた。
ただし、明治天皇の意向もあり、曾禰荒助の更迭はならず、従って併合の正式決定はならなかった。
その間韓国では次第に併合に賛成する者が増え、西北学会も賛成に転じ、大韓協会も賛成派と反対派に分裂する事となった。
1910年3月末に至るも曾禰に辞職の意思無く、このまま放置もままならないので、遂に寺内を後任に内定し、寺内を病気見舞いに行かせ、因果を含め辞表を出させることになった。
曾禰が辞表を出したのは5月30日で、直ちに後任には寺内が任命された。
寺内は、日本国内での意見調整、列強各国に併合についての合意を取り、7月15日ようやく東京を発ち、7月23日ソウル入りした。
ソウルに入ったものの寺内は黙ったまま何ら方針を示さず、半月余りたった。
8月16日、李完用首相は日本の水害見舞いと称し、趙農相を伴い、寺内の居る統監邸を訪れた。
ここで山県副統監を交えた会談3時間に及び、若干の修正にて日韓併合は合意に達した。
この結果にもとづき李完用首相は8月18日に閣議を開いたがまとまらず、8月21日李完用が皇帝に内奏し、皇帝の了承を取り付けた。
これにより1910年8月22日の御前会議で韓国は正式に日韓併合を決定したのである。 崔基鎬(チェ・ケイホ)
李氏朝鮮時代の歴史を正しく知れば知るほど、それがいかにおかしなことであるかが分かります。
では李氏朝鮮の実態はどうだったのか。またなぜ腐敗したのか。
1392年に開国した李氏朝鮮は、その成り立ちに問題があります。
明と高麗の戦いにおいて、高麗の重臣であった李成桂が、
明との戦いで遼東地方の奪回に出陣します。
ところが李成桂は密かに敵と通じて、威化島(鴨緑江下流の島)で軍を翻し、
逆にときの高麗王と上官の崔瑩(総理兼参謀総長)将軍を殺し、政権を簒奪したのです。
敵国であった明の力を得て打ち立てたその後の李氏朝鮮は、明のいいなりになって当然です。
貢物を要求されれば断ることができず、人妻であっても供出しなければなりません。
国民は奴隷民族化され、私有財産も没収されました。そして先制王権制度を変え、
朝鮮民族が古代から高麗にいたるまで連綿と持ち続けてきた国際的自尊心を放棄し、
明の属国として堕落が始まったのです。
このような環境の中で階級制度は固定化し、創意工夫の精神は圧殺され、
民衆は搾取と虐政を受けることになります。国王は名ばかりでなんら政策も施さず、
その政府には国家の予算案すら存在しないという無軌道ぶりでした。
いわば民衆は無政府状態に置かれていたのです。 1897年、李朝は国号を「大韓帝国」とあらため、年号を「光武」とし、王を皇帝と称し、
表面的には510余年ぶりに明・清の束縛を脱し、独立国家を形成したのですが、
清の保護下にある李朝の専横は変わるところがありませんでした。
それは近代化と自主独立の道を拒否しつづけることであり、列強が蠢くなか李朝の存在は、
東アジアの情勢に不穏な種を宿していたことになるのです。
1904(明治37)年、日清戦争に次いで日露戦争を控えた日本は、
こうした朝鮮の惨状を見かねて、目賀田種太郎(1853〜1926年)を財政顧問として派遣し、
日本からの財政支援をもとに、李朝をまともな国として立て直すという態勢がようやく緒につくことになります。
目賀田財政顧問と総監府は、朝鮮の歳入不足分を補填するために、
日本国民の税金から、大韓帝国政府に無利子、無期限の資金「立替え」を実施したほか、
直接支出で援助しました。
例えば1907年度、朝鮮の国家歳入は748万円しかなく、
必要な歳出は3000万円以上ありましたから、その差額は全額日本が負担しています。
1908年には、これがさらに増えて、合計3100万円という巨額の資金を日本は支出しています。
総監府時代の四年間に、日本政府が立て替えた朝鮮の歳入不足分は、
1428万円にものぼっています。そればかりではなく、
司法と警察分野などに日本政府が直接支出した金額は、立替金の数倍、
9000万円に達しています。
現在の朝鮮・韓国の歴史では、このような日本の特恵的支援には一言の言及もありません。
そして侵略だけを強調していますが、これがいかに偏狭な歴史観であるかということが分かると思います。
それら詳しい数字については本に書きましたが、日韓併合によって、搾取されたのは、
韓国・朝鮮国民ではなく、日本国民であった事実を認めるべきでしょう。 はいはいご苦労さん。
悪い事したらごめんなさいですよ。小さな子供でも解る理屈です。
そこで、相手の悪口を言えば言うほど恥ずかしさの上塗りにしかなりません。
残念ながら、誰のせいなのかは解りかねますが、君の愛国心は歪んでます。
頭と性格が悪いと道を間違えます。気をつけてください。 我が五千年の歴史はひと言でいって退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史であった。
いつの時代に辺境を超え他を支配したことがあり、どこに海外の文物を広く求めて民族社会の改革を試みたことがあり、統一天下の威勢でもって民族国家の威勢を誇示したことがあり、特有の産業と文化で独自の自主性を発揮したことがあっただろうか。
いつも強大国に押され、盲目的に外来文化に同化したり、原始的な産業のわくからただの一寸も出られなかった。
「われわれのもの」はハングルのほかにはっきりとしたものは何があるか。
我々はただ座してわらを編んでいただけではなかったか。
自らを弱者とみなし、他を強大国視する卑怯で事大的な思想、この宿弊、この悪い遺産を拒否し抜本せずには自主や発展は期待することは出来ないであろう。
以上のように我が民族史を考察してみると情けないというほかない。全体的に顧みるとただ唖然とするだけで真っ暗になるばかりである。
このあらゆる悪の倉庫のような我が歴史はむしろ燃やして然るべきである。
「朴正熙選集」−我々は今何をいかになすべきか−
朴正熙 韓国大統領 私は、十分に耕せそうな土地をほったらかしにしていながらも、飢えに苦しむ農民のさまが理解できなかった。
「どうしてそれらの土地を耕さないのか」ときいたところ、「耕せぱ耕すほど、両班に税を取られるだけのことだ」という返事があった。
「朝鮮の悲劇」 F.A .マッケンジー(カナダ人ジャーナリスト)この本は1908年(韓国併合の2年前)に出版 朝鮮の両斑は、いたるところで、まるで支配者か暴君のごとくふるまって
いる。大両斑は、金がなくなると、使者を送って商人や農民を捕らえさせる。
その者が手際よく、金を出せば釈放されるが、出さない場合は、両斑の家に
連行されて投獄され、食物も与えられず、両斑が要求する額を払うまでムチ
打たれる。両斑の中で最も正直な人たちも多かれ少なかれ自発的な借用の形
で自分の窃盗行為を偽装するが、それに欺かれる者はだれもいない。なぜなら
両斑たちが借用したものを返済したためしが、いまだかってないからである。
彼らが農民から田畑や家を買うときは、ほとんどの場合、支払いなしですませ
てしまう。しかも、この強盗行為を阻止できる守令は一人もいない。
1874年 『朝鮮教会史』 の 「朝鮮事情」部 マリ・ニコル・アントン・ダブリィ主教資料クロード・シャルル・ダレ著 両班こそが土地強奪の犯人
「日帝」による朝鮮半島の土地強奪は、「日帝七奪」のひとつとして数えられている。
よく言われる例は、日本人が小高い丘にのぼってあたりを見渡し、土地を指さして手当たりしだい良田を奪っていったという話だ。
しかし、これはおそらく両班時代の「土地強奪」から連想して日本人に罪をなすりつけたものであろう。
ダレ神父は「朝鮮事情」(1874年)のなかで両班の土地強奪の実態を次のように述べている。
『両班は世界中でもっとも強力にして傲慢な階級である。
彼らが強奪に近い形で農民から田畑や家を買うときは、ほとんどの場合、支払いなしですませてしまう。
しかも、この強盗行為を阻止できる守令(知事)は一人もいない』
戦後、日本人が韓半島で行ったといわれる土地強奪は、ほとんどがこの両班をモデルにしてでっちあげられた作り話である。
そもそも、日本とは法治国家である。この大前提を、戦後の韓国知識人はどうやら忘れているようだ。
・不毛の地を開拓した日本農民
李朝末期には土地の所有権はほとんど両班や地主の手にあり、字の読めない小作人はもともと土地など持っていなかった。
日本人は朝鮮の農民が一顧だにしなかった不毛の地を開墾し、僻地の干拓を行なっていたのだ。
交通不便な地に行く場合は、汽車から降りると家族全員で馬の背に乗り、荷物を牛車に載せて遠く離れた土地までえんえんと行く。
行った先に待っているのは、耐乏生活と厳しい農地開拓である。
この日本人の地道で真面目な努力によって、朝鮮半島は数千年来の農耕国家では考えられないほどの農業改革を経ることができたのである。
それもこれも、すべて日本人の手によって実現したことなのだ。
黄文雄(台湾人) 韓国農民の父・岩田平之助
(原始貧農・赤貧だった韓国の農業・農家を近代化したのはだれだったのか!)
日露戦争が終わって間もなくの明治三十九年春、岩田平之助は朝鮮に渡り
開墾事業に取り組んだ。(慶尚北道金泉)二三年後、彼は郷里和歌山からこの
地方の水田の条件に適合した品種の「早生神力」という種籾を持ってきて、自分
の農場に植えたばかりでなく、採種田を作り、その地方一帯の農場や農家に対して
まで広く普及させ、米の品種改良と増産に尽くした。農機具の改良や正条植(等間隔
に整然と苗を植えること)を教え、二毛作による増収もはかった。農民の生活の安定
と向上のために率先乗範すること、実に三十数年に及んだ。やがて「岩田公(アム
ジュンクォン)」と呼ばれ、「農民の父」敬慕されるようになった。
今でも金泉地方には「アムジュンノンメンダー(岩田さんが水田の草を取る)」と
いう言葉が残っている。木片を投げて競う子どもの遊びの中で、最高点になったとき
に喜びを表す時に使われる言葉で、岩田公が田の草を取る時の姿が蒲鉾の背中に似て
いるところから来たものだそうである。昭和五十年頃、長男の岩田健吾氏が彼地を
訪ねたところ、「岩田公の御曹司来る」として大歓迎を受けたという。
「日韓2000年の真実」名越二荒之助編著
(日本図書館協会選定図書) 日系第一の地主ともいうべき国策会社"東拓"(東洋拓殖株式会社)の所有耕地面積は、最大のときでも朝鮮の総耕地の4%にすぎなかった。
(中略)東拓は朝鮮農民から土地を購入して、これを日本からの農業移民に分譲することをその主たる業務として発足したのであるが、
日本移民の成績がかんばしくなかったこともあり、総督府は大正後半以降、同会社の土地買収を認めなくなった。
(中略)また、農民に対し貸付を行ない、その元利の返済がないことを理由に担保の土地を奪ったとして非難される東拓の金利は、
1933年には8%、1935年には6%と低下している。資本が不足している植民地では一般に金利が高いのが普通であって、
インドでは月に20%といった金利さえ存在したことを考えると、東拓の金利は借り手にとって著しく有利なものといえよう。
「韓国・朝鮮と日本人」若槻泰雄著 崔基鎬(チェ・ケイホ)
戦争が終わってマッカーサー司令部が日本人を引き揚げさせたときには、
向こうの人は別れを惜しんだものです。それが実情です。
ところが亡命していた者が海外から帰ってきて、
列強の餌食となっていた李朝末期の朝鮮とその住民を救うために、
当時の日本と併合させた賢臣(李完用など)の働きをなんら評価
することなく反逆者だと言って非難しました。
彼らは終戦から三年経った一九四八年、法律を作って裁判を起こし
処罰するということをやりました。しかし親日派というのは、その場で生きるために、
誰でも一緒に努力して仕事をしただけであって誰も処罰する人はいなかった。
ただ、堕落した民族を復活させる方策を論文に書いた李光洙とかはやられましたが、
それ以外にはいませんでした。だから親日派の裁判は、
歴史的に一応終わっているのです。だから今さら親日派といって非難する
のはおかしなことなのです。
でも、そうしないと自分たちのやっていることが正当化できない。
そういうことです。
というのは、例えば北朝鮮から逃げてきた人が、
日韓併合の時は経済は発展して私達は幸福だったというように、
現体制に対し批判の思いがある。
朝鮮戦争では金日成や馬賊みたいなソ連のスターリンらがやってきて、
みんな強盗された。それで数百万名が命を失い一千万離散家族となっている。
そうした不満の気持ちが国民にはあるのです。その批判をかわすために、
日本を悪く言って自分たちの立場を守ろうとする。
親切で人のいい日本人という印象を、
国民の意識から無くすために指導者は反日を煽るわけです。 日本人は恥を知る民族だったはずなのに、近頃はどうもだよね。 他国に難癖つけるために歴史を捏造して、恥じるところがない。←日本が? 朝鮮併合や、
日露戦争はなぜ起こったのかを知るには
これを教えるべき。
ポサドニック号事件
ロシア軍艦対馬占領事件は、幕末1861年にロシア帝国の軍艦が対馬芋崎を占拠し、
兵舎・工場・練兵場などを建設して半年余にわたって滞留した事件。
徳川の役人は、イギリスの介入を要請した
そのイギリスも対馬占領を本国政府に提案していた。 ★韓国の事情 『惨めな属国だった歴史を隠したい』
世界で知られるように、朝鮮はずっと中国の『属国』だった。
記録や物的証拠も国内外に数え切れないほど残っており、留学経験のある朝鮮人にも
自ら属国であったことを認めている者もいる。そもそも韓国の古い国旗にまで
「大清国属(清=中国)」と書いてあったのだから属国だったことは否定しようがない。
しかし韓国は国家レベルで「属国だった過去」を消し去りたかった。
古い国旗が発見された時も、韓国国内のニュースでは「大清国属」という
文字をカットして報道したほどである。
実はこの韓国の感情的問題は「反日」に密接な関係がある。
朝鮮というのは、中国の属国の中でも琉球(現在の沖縄)よりも低い地位だった。
・朝鮮国王は清の皇帝によって任命される。
・朝鮮国王は清の使節をソウル城門まで出迎えなければならない。
・朝鮮国王の地位は、清国の廷臣よりも下。
・朝鮮は清国に細かく定められた貢品を出す以外に、毎年、牛3000頭、
馬3000頭、各地の美女3000人を選り抜いて貢がなければならない。
朝鮮民族の歴史はあまりにも惨めすぎた。
つまり痛々しすぎて自分たちの過去を振り返るのが苦痛なのである。
それゆえ、独立した後に“民族意識を高めるための愛国教育”と称して、
『我が国は5000年間一度も他国に支配されたことの無い独立国である』
という“偽りの栄光の歴史”をあたかも真実のように国民に教え込むことにしたのである。
そこで韓国政府は、 まず、政府自ら作った教科書以外を教科書と認めないことにした。
そして「日本が朝鮮を独立させてやったこと」を隠蔽した。
具体的には日清講和条約(下関条約)の第一条の内容を削除したのである。
(第一条)清国は、朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、
独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する。 嫌韓本大好きで、典型的なヤカラになるって寸法だよなw 気をつけろよ。洗脳されやすい手合いは、戦闘になったら最前線弾除け人員ってことだぞw 中国国民党正規軍が日本人居留地を攻撃したから、
日本人居留地を防衛するために日本軍が中国に居た。
どうして中国に日本人居留地があったのか。
○ 侵略してきた中国清、とロシアとの防衛戦争に勝ったら朝鮮を中国清から引き剥がすことになり,
朝鮮をプレゼントされ、
ロシアの持っていた満州の鉄道をプレゼントされた。
× 侵略を繰り返してきた日本
日本が朝鮮半島を侵略したんなら、ハーグ密使事件の際に欧州
の列強は韓国の密使の話を聞いたはずだが、反対に追い返されている。
欧州の列強は日露戦争(第0次世界大戦)の原因がロシアの南
下と大韓帝國の無能(龍岩浦事件)にあることを知っていたから、誰も 相手にしなかったのである。 その上 また日英同盟に基づいて参戦を要請されて第一次大戦に参加したら,
ドイツの中国シナにもっていた領土をプレゼントされた。
満洲事変の遠因は中国シナによる協定違反の満鉄並行線の敷設。
そして満洲国は国際連盟への加盟が否決されただけ。
しかもリットン調査団の出鱈目な報告書による不当 な議決。
その結果日本は国際連盟を脱退したとはいえ、ソ連なんてフィンランド侵略の咎で 「 除名 」 。
それに京都議定書と一緒で、国際連盟にはアメリカはハナっから加盟してない。
満洲国を否定した国際連盟なんて、所詮その程度のシロモノ。
朝鮮併合や満洲建国は、国際法上の手続きをしっかりと踏んでて瑕疵はなかった。
ワシントン会議の九ヵ国条約でも、満洲は中華民国に帰属するかどうか当時の国際法上では分からかなかった
なお満洲事変後、平和が戻った大陸に於いて盧溝橋で最初に発砲し攻撃を仕掛けた
のはシナ共産特務。それが上海に飛び火し戦火が拡大したのは、シナ国民党正規軍
が日本人居留地を攻撃したから。
それも上海クリークをタングステンとバーター取引に指導したドイツ軍事顧問団(の指導で強固に防御陣地化した後で。
あの東京裁判でさえもこの時の居留地攻撃の事実が認められている。従ってシナ事
変のそのものは問われず、開戦責任について臭いものに蓋をするかのごとくスルー。
というのも、それを問えば、連合国側の中華民国の開戦責任がばれてしまうから。 検索クリック↓
「もはやヘイトスピーチ?嫌韓本トンデモ発言ランキング」 朝鮮国王の露館播遷以降、朝鮮はロシアの属国のごとくなってしまった。
露館播遷(1896年)
また、ロシアは北清事変で全満州を占領してしまった。、
北清事変(1900年)
ロシアが満州を押さえると、再び朝鮮半島に手を伸ばしてきた。ロシアは森林保護の名目で朝鮮北部の森林伐採権や鉱山開発権を獲得したりした。
そして、明治36(1903)年、満洲と朝鮮を分ける鴨緑江河口(黄海に接する)の港、
龍岩浦をロシアは手に入れて「ポート・ニコラス」という軍港に仕立て上げ、遼東半島沿岸や朝鮮の西海岸に圧力をかけた。また、それだけでは飽き足らず、
朝鮮海峡に面した港、対馬まで照準を定めた。これによって日本は風前の灯のごとき状況になってしまった。
このあたりから日露戦争への動きが顕在化するわけだが、当時の日本はロシアと戦争する力がなかったためノーとは言えなかった。
その日本が、開戦へ歩みだせた背景には日英同盟の存在があった。 ----
共産主義黒書の調査結果によると次の通り。
これらは戦争ではなく国内における粛清による死者であるが、
今世紀の共産主義犠牲者の数は世界全体で8500万から1億、
国別、地域別では、
中国 6500万、旧ソ連 2000万、北朝鮮 200万、
カンボジア 200万、アフガニスタン 150万、
ベトナム 100万、アフリカ 170万、東欧 100万、中南米 15万
中国における犠牲者数が桁外れに多い。周恩来は1957年6月、全国人民代表大会報告で、
1949年以来「反革命」の罪で逮捕された者のうち、16%(83万人)が処刑され、
42%が労働改造所(労改、強制収容所)に送られ、32%が監視下に置かれたと述べている。
また毛沢東は、1957年2月27日、「49年から54年までの間に80万人を処刑した」と述べた。
(ザ・ワールド・アルマナック1975年版)。
その後も56年の反右派闘争、65年から69年までの文革、79年の「北京の春」取り締まり、
87年胡耀邦失脚、89年天安門事件などで、多数の政治犯が出た。
日本人は、ナチスのガス室のことは知っていても、旧ソ連のルビヤンカやクラーグのこと、
中国の地主や反共反党分子の大量処刑、反体制派知識人のローカイ(労改、強制収容所)送り
のことなどは余り知らない
。共産体制のなかでこれまでいかに信じられないほど多数の人々が共産主義の妨げとなる
「害虫として駆除」(レーニン)されてきたか。
こうした認識が国民に少ないのは朝日新聞や日教組の洗脳によるものである。
そしてそうした過去の忌まわしい洗脳活動から国民の目をそらし、自らがオピニオンリーダー
として生き残るため、旧日本軍の残虐あばきに精を出し日本人の罪悪感を煽りたてることに
異様に熱中したのだ。
冷戦崩壊後にこれらの反日報道がますます過激になっていったのは偶然ではない。 第二次大戦後、中国(共産党王朝)は武力侵略により3つの独立国家を滅ぼした
・東トルキスタン
・チベット
・満州国
の三カ国
中国の言い分は、かつてはわが民族の領土だった、というものだが正直むちゃくちゃ
イタリアがヨーロッパ全部に戦線布告し、理由がかつてその場所はローマ帝国の領土だったと言うのと同じ
それに毛沢東は建国時の独立運動時にチベット等に対し、独立を支援してくればチベットの中華民国からの独立を認めると公式文書を発行している
しかし独立後、軍事的侵略を実行した
フィリピンが領有してきたミスチーフ環礁を占領を占領した時の口実は、昔、清国の船がそこを航行した事があるから・・というもの
昔、船が通った事があるからそこは自分の領土だからって・・・あきれるばかり
さらに満州も元々中国ではなかった
満州というと国家の中の行政区分の州のように聞こえるが、国際法に合致したれっきとした独立国家
なぜなら歴代の中国王朝はこの地域は中華文化圏とは認めず「封禁の地」もしくは「関外の地」と呼称し漢民族の土地としたことがない
そして清朝の衰えにより主権が不明確になった場所 そこに・・・たとえ日本の関与が深かったとしても・・・もともと満族の末裔が戻って新しく国を建設したのが満州国
日本の植民地とか言いがかりも甚だしい
あそこは満人の国で、間違っても漢人の国は無い! 1937年
7月25日、郎坊事件、日本軍が攻撃を受ける。
7月26日、広安門事件、日本軍が攻撃を受ける。
7月28日、日本軍が華北への攻撃を開始。
7月29日、通州事件。日本人居留民約260名が虐殺される。
8月9日、和平会談の予定だったが、海軍陸戦隊の大山中尉が惨殺される。
8月13日、蒋介石軍が包囲した上海の国際租界の日本人3万人居留区を攻撃開始
8月14日、支那軍が上海市街のホテルなどを爆撃。これを日本軍の仕業と世界中に宣伝。
8月23日、支那軍が上海のデパートを爆撃。これも日本軍の仕業と世界中に宣伝。
・10月5日、ルーズベルト大統領が「戦争伝染病を隔離せよ」と演説
11月2日、広田外相が正式にドイツ大使に仲介を依頼し、日本側の条件を提示。
11月6日、駐支ドイツ大使が日本の和平案を伝えるが、蒋介石はこれを蹴る。
12月10日、南京を包囲された支那軍が日本の降伏勧告を無視 南京陥落後、日本はまたもや和平を持ちかける。
●1938年
1月2日、ドイツ大使トラウトマンが日本の和平案の返事を聞くために蒋介石を訪問しようとしたが、蒋介石は会わず。
1月15日、日本の和平案を蒋介石が蹴る。
1月16日、日本政府が「国民政府(蒋介石)を相手とせず」と声明。
6月12日、蒋介石軍が黄河の堤防を決壊させる。 日本軍による救出活動も虚しく
住民60万人が罹災し12万人が行方不明。支那軍はこの黄河と揚子江の堤防決壊を日本軍の仕業と世界中に宣伝。
-- 南京戦
「捕虜ハセヌ方針」の解明
70年目の証言に拍手やまず 拓殖大学教授・藤岡信勝
2007
>京都第16師団の輜重(しちょう)獣医少尉・稲垣清氏は、
>中山門手前の上麒麟門で、軍服姿の800人の捕虜を監視した。
>インタビュアーの役目の私は、
>後方部隊の輜重隊に捕虜を委ねるのは大丈夫ですかと思わず尋ねた。
>稲垣氏は、輜重兵に収容所の警備を任せること自体、
>捕虜は逃げてもよいということだと苦笑した。
>実際、夜間の監視を少し手薄にしたら半数が翌朝逃げていたという。
>稲垣氏の所属はあの悪名高い中島今朝吾師団長の指揮下である。
>「捕虜ハセヌ方針」とはこれであったかと目からウロコが落ちる思いだった。
輜重兵(しちょうへい)
兵站業務は極めて重要であり、輜重兵とはこの兵站業務を専門として監督・管理をする兵科である。
水食料・武器弾薬・各種資材など様々な物資を第一線部隊に輸送して、同部隊の戦闘力を維持増進することが主任務であり、
貨物自動車(トラック)などの大型車両を保有するが、後方任務に限定されていたので武装は比較的軽装備である。 朝鮮戦争の真相は、
歴史の歪曲がされたまま、特に団塊世代以上では殆どの国民が
韓国情報機関のスパイ工作員らによって、「マインドコントロール」、「洗脳」されたままに
なっている。
1947年以降、ポツダム宣言を受けたサンフランシスコ講和条約草案(特に日本の小島嶼の
領有権に関する条項)過程で、韓国の李承晩政権は活発に米議会でのロビー活動を展開しながら、
米国政府に対しては(サンフランシスコ講和条約草案において)、再三に亘って執拗に対馬、
竹島を日本領から外すように要求していた。
ところが、米国国務省は、その韓国政府の要求を再三にわたって断固として拒絶していた。
ラスク書簡
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%AF%E6%9B%B8%E7%B0%A1
そうしていたところ1950年1月、李承晩は正月の年頭記者会見で、対馬、竹島の領土主張の
声明なし、「連合軍の一員(朝鮮進駐軍)」ということを自称し、朝鮮半島南部での
大演習を装って対馬、九州北部への侵攻計画を実行に移しはじめた。
それを察知したマッカーサーは激怒して李承晩政権に警告を発した。つまり、
「もし韓国が、国連軍による占領統治中の地域に軍事進駐するなら在韓米軍は朝鮮半島から
引き揚げる。」とである。李承晩は「北の脅威」を「同胞」として甘く見ていて、その警告を
無視して韓国軍主力を朝鮮半島南部に大移動を始めた。それを見て激怒したのはマッカーサー
だけではなかった。それまでの韓国政府(李承晩政権)の執拗な、対馬、竹島に関する要求を
知っていた国務省も激怒した。それでマッカーサーの警告を後押しする意味で、アチソン国務長官は
「朝鮮半島は米国の守備範囲でない。」旨の声明を出した。韓国軍主力の殆どが半島南部に移動して
いて38度線の韓国軍側防御が手薄になっていたことに加えて、米国国務省の「韓国は守備範囲でない。」
旨を聞いた北朝鮮政府とスターリンは小躍りして喜び、南侵策を決行することにした。
それが朝鮮戦争の真相だ。
現在、韓国と日本は北朝鮮との戦いに備えて同盟してるから
韓国の事は悪く言わないようにしているにすぎない。 「朝鮮開化史(恒屋益服著 博文館 明治34年)」
明から清に主人を替えた後の朝鮮人はじつにおとなしく、清の軍隊召集に馳せ参じ、2回
の羅禅(ロシア)遠征と明の征伐に従軍した。父として明を敬っていたはずなのに新しい父
を迎えた途端、明に対して残酷無情な態度を取った。3回にわたる明征伐では朝鮮軍は満州
人を驚嘆させるほど明人を虐殺した。満州八旗軍はかなり軍紀正しい軍隊であったが、盟友
のモンゴル八旗軍の朝鮮蹂躙には、かなり悩まされていた。しかし、朝鮮軍が満州人の軍門
に降り清軍に召集されると、今度は朝鮮軍が旧宗主国の明征伐を通して漢人への凄まじい虐
殺と略奪を行ったのだ。清の将軍である龍骨大が率いた、明征伐についての朝鮮兵行状の記
録には次のようなものがある。「韓兵ことに虐殺を極めたり。漢民号呼して曰く、天朝、
朝鮮において何の仇があろうか。その恩に背いて、ここに至るかと…」
明は300年近く朝鮮を保護し、李氏朝鮮は宗主国である明から国号を下賜された。しか
し、いざ明が弱勢になると、朝鮮はすぐさま清に乗り換えて逆に明を逆襲し、明人を
虐殺した。日韓合邦後、満州でもっとも暴れたのは朝鮮人である。万宝山事件は、朝鮮
人と中国人の水をめぐる争いから起こり、朝鮮半島における中国人虐殺にまで発展し
た。満州では、朝鮮人は「二鬼子」として中国人から恐れられ嫌われていた。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。