兵士たちは民衆を銃殺することなど出来ないので、互いに顔を見合わせていた。
指揮官は兵士たちに、もうすぐ日本軍が来るのだから、
民衆は日本軍に銃殺されたことにしたら良いのだと言って、一斉射撃を命じた。
あたりは血の海となり、兵士の足首まで血が溜まったと言う。
ここで約1千人の南京市民は、国民党の兵士たちから銃弾を浴びて死んで行った。
国民党の部隊が必死で逃げた後には死体の山が血の海の中に残され、それは日本軍の残虐行為として転嫁された。
外祖父は、こんな部隊に残りたくないので、撤退途中に九江で夜陰に紛れて脱走し、長江を渡り武漢で列車を乗り換え、南の小さな山村に逃げ込んだ。
外祖父の記憶では、他の部隊も同様のことをしてきたという。
全ての国民党による民衆大虐殺は、日本軍の残虐行為として転嫁されたのである。
外祖父は貧農の出身だが、国民党が貧乏人を虫けらのように扱うことに抵抗があつたという。
外祖父は、国民党の軍隊に残っていれば、出世したかもしれない。
また抗日戦争で戦死していれば、抗日戦闘英雄烈士との美名で呼ばれたかもしれない。
しかし、逃亡する道を選んだ。
そして裏切り者という悪名で呼ばれて、経歴を隠し通して逃げ回った。
その過去の真実を、外祖父は死ぬ前になって初めて語ったのである。
南京大虐殺は自分自身が犯した罪である。
外祖父は恥ずかしくてたまらなかっただろう。
私は反日・反米の青年であり、ネットによく論評を発表していた。
だが、そんな単純な反日・反米の青年たちは利用されているだけなのだ。
天国にいる外祖父よ、私を許して下さい」。