嶋貫和男氏は1968年に採用され、
仕事と学業を両立して1974年に
北海道の名門 北海学園大学法学部2部を卒業。

優秀なノンキャリアゆえ、1977年から2005年まで
文科省人事課に配属されていました。
文科省での勤務のほとんどを人事課で過ごしたことから
天下りのあっせんには最適な人と文科省は考えたのでしょう。

彼は何も悪いことはしていません。
犠牲者なのです。