差別意識に凝り固まった公務員©2ch.net
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白人が黒人奴隷をさげすむかのように国民を見下す。
日本という国は、そんな公務員ばかり...。
嘆かわしいことです 169 :名無しさん@3周年 [] :2015/07/11(土) 10:39:41.02 ID:fJRaPieM
竹原信一 @takeharasinichi 2011-11-19 20:49:00
公務員は職業ではない。身分だ。憲法違反の身分制度。
違法な法律に基づき存在する違法集団。裁判官に至るまで
マフィアらしい行動をするのも当然である。
憲法を無視し続けるこの国家はもはや歯止めの効かない暴力集団である。
http://togetter.com/li/216678
皇族以外の身分制は日本国憲法の施行によって廃止されたのに
いまだに「身分」保証なんてやってる公務員
偉そうに法律をのたまうのなら
憲法違反するなやw 阿久根市民として、市政の問題点を指摘するビラまきから活動を始め、市議、市長として、
政治・行政・社会の「歪み」と向かい合ってきた前阿久根市長・竹原信一氏。
在野の士となった今でも「歪み」の根本原因への探究を続けており、そして今、
日本国家の仕組みへと目が向けられている。
竹原氏が新たに指摘している憲法と国家公務員法の矛盾。
それは、一般に「公務員」と言われている人々が、実のところ、
憲法が定める「公務員」ではないというものだ。 竹原信一氏(以下、竹原) 公務員が自分たちを公務員ではないことを知りません。
政治家もわかっていない、国民はもっとわかっていない。
自分たちはどのような国家の設計図で動いているのかを誰も知らない。
みなさんは憲法で動いていると思うわけですよ。学校で教わるから。
でも、憲法を否定する国家公務員法の存在に気づいていません。
実際のこの国の設計図は国家公務員法なんです。
憲法は飾り物として離れたところにある「理想」。
いつも解釈で変えなければならないのは、それで動いていないからです。 国家公務員法を第1条から変だと思ったのは、
憲法では「公務員は選挙で選ばれた人」となっているのに、どういうことなのかと。
普通の役人が入る余地はないんです。
「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」(憲法15条1項)、
「公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する」(同条3項)。
そして、「公務員は全体の奉仕者」(同条2項)となっているわけですが、
どこに役人が入る余地があるのでしょうか。 役人については、憲法73条に「官吏」と定義してあります。
役人は「官吏」、公務員というのはどうもこれは、新しい憲法での新しい概念なんですよね。
国民主権という世界での新しい概念として、国民の代表が全体の奉仕者として、実際の権力を振るう。
だからこそ、危険だからいつでもクビにできる権利を国民が握っている。
――選挙で選ばれる政治家が「公務員」にあたりますね。
竹原 そういうことです。憲法の前文に書いてあります。
国民は正当に選ばれた代表を通じて行動すると。それを受けての憲法15条なんです。 昔は、天皇陛下を飾り物にして実権を握ってたのは役人でした。
そして天皇陛下がいなくなれば、自分たちの権力を、
国 民 な ん か が 選 ん だ 代 表 に 任 せ ら れ る か
と考え、
「公務員」という概念を取りにいったわけです。
それが国家公務員法という形になっています。 いきなり第1条に、「国家公務員たる職員について」と書いてあります。
なんで国家公務員が職員になるのかと、ここからおかしいわけです。
それと証拠としてわかっているのは、第1条の2項です。
「この法律は、もっぱら日本国憲法第七十三条にいう官吏に関する事務を掌理する基準を定めるものである」と書いてあります。
第15条にある「公務員」に関する事務を掌理するとしなきゃいけないところではないですか。
――選挙で選ばれたわけではないので、そうすると間違いになりますね。
(つづく)
「日本病の源」だった国家公務員法(1)
http://www.data-max.co.jp/politics_and_society/2014/09/16840/0918_dm1718/ 前阿久根市長・竹原信一氏が指摘している憲法と国家公務員法の矛盾。
国家公務員法は、第1条で「国家公務員たる職員について」とする一方、同条2項で
「この法律は、もっぱら日本国憲法第七十三条にいう官吏に関する事務を掌理する基準を定めるものである」
としている。以下に憲法15条を引用する。
日本国憲法第15条
1 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
4 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。
――国家公務員法2項に「公務員」という言葉を使わなかったのは、
憲法が定めた「公務員」ではないことをわかっていたことになりますね。
竹原 それをやると露骨ですからごまかしている。2つも嘘がはまっているわけです。
しかも、国家公務員法は「事務を掌理する基準」を定めるとある。
基準なんですよ、これ(←国家公務員法)。法ではないんです、実質的に。
基準ということは、状況によって裁量ができるという話ですよね。
だから実質的には守らなくてもいいというところがあるわけです。 それから、3項に、「何人も、故意に、この法律又はこの法律に基づく命令に違反し、又は違反を企て若しくは共謀してはならない」
とあります。つまり、法律でさえないのに、基準に基づく命令、
役人が「この法に基づいて」と言ったら、これが法になるわけです。
もともと基準であったものが法にされる。役人の気分で法になってしまう。
これは何と言ったらいいか、「恐怖政治」ですね。「恐怖政治」を可能にする法律なんです。 4項には、
「この法律のある規定が、効力を失い、又はその適用が無効とされても、
この法律の他の規定又は他の関係における適用は、その影響を受けることがない」。
秩序もへったくれもないわけですよ。一旦言ったものは通せよ、という話です。
そして5項に、
「この法律の規定が、従前の法律又はこれに基く法令と矛盾し又はてい触する場合には、
この法律の規定が、優先する」
とあります。すなわち、
最上位法でございます、ということです。
つまり、これは職員による全体主義を強制する法律なんです。 憲法15条は、公務員の選定および罷免することは国民固有の権利としていますが、
国家公務員法は3条で人事院の設置を定め、これをできないようにしています。
「公務員」の名前を使っておきながら、憲法がおよばないようにしてあります。
これがこの国の形です。それを気づいていないわけです。
実際には、役人たちも自覚はないけれども、
実質的に役人全体の利益を確保する方にしか動けないようになっています。 国民のために働こうという人間は、困り者なので排除しようとしたり、
出世をさせなかったり、影響力を減じていく方向性があらゆる組織であるでしょ。
しかも、裁判所まで結託するわけですから。
あらゆることがここから派生していることがわかります。
たとえば、家庭裁判所では、裁判官が1人で年1,100件くらいを担当する。
とてもまともな裁判なんてできませんよね。つまり、ただの事務をする小役人状態です。
もし、裁判官がじっくり1つ1つの裁判に取り組んだら、
国家公務員法の問題までたどり着いてしまうわけですよね。
それをさせないようにしています。
おまけに、裁判官の人事についても法務省が握っていて、
国にたてつくような裁判官は続けさせない。 「強制労働所の囚人のようだ」と元裁判官の瀬木比呂志さんは仰っています。
まともな分を持っていれば、人の人生を破壊していくと精神が壊れていき、人格障害にも陥ります。
だから、戸塚ヨットスクールには裁判官の子どもたちが複数名いた、と。
国民の暮らしの状況も似たようなもんです。
なるべく、役人集団の覚えめでたくして得するように、そして、
他の人を踏み台にすることが人生の目的
それをばれないようにする。そういう精神社会にこの国はなっているわけです。
すべてのことがそこ(国家公務員法)から派生して作られているから。
公務員が自分たちの集団のために泥棒をするのは当たり前なんです。合法ですから。
(つづく)
「日本病の源」だった国家公務員法(2)
http://www.data-max.co.jp/politics_and_society/2014/09/16927/0919_dm1718/ 「官吏」(役人)を「公務員」とした国家公務員法に、
日本社会が抱える様々な問題の根源(国を動かすシステム)があると指摘する前阿久根市長の竹原信一氏。
そのシステムが、どのような事象を起こしているのかについて語る。
竹原 国家公務員法がつくられてから68年間、
一度も隠したわけでもないこの法律の真意を読み取ることができなかったということです。
でも、実は自民党の憲法改正案には、憲法の方を、この公務員法に合わせるという法案があります。
だから、この国を動かしている後ろの官僚の世界には闇が広がっていて、
彼らは着々とやってきているというわけです。
また、そういう人間でなければ、官僚の世界では出世しないんですね。 悪事を国民に対して働く、そして、そうした人間は、見かけ上、下がるように見せながら、
事務次官になり、勲章をもらって、その後の天下りもしっかりしたものになる。それは事実です。
それは戦後に始まったことではありません。
太平洋戦の時に、日本軍が宣戦布告なしに攻撃したことになっている。
そのおかげで、「日本は卑怯な国だ」ということにされましたが、
その時に宣戦布告を出していたのに届けないというヘマをやった外交官たちは、
ちゃんと事務次官になりました。勲章も受けて出世している。 この国にはシステムがあるんです。明治時代からあると聞いています。
そういうことがよくありますよね。
たとえば、中川昭一大臣の酔っ払い会見を仕組んだといわれ、
中川氏の隣にいた財務官僚・篠原尚之氏はIMFの副専務理事になりました。
また、会見で一緒にいた白川方明日銀総裁(当時)は、国際決済銀行の副議長になりました。
この仕組みは、国を超えているのです。
とてつもない陰謀というか、隠しようもない陰謀ですね。露骨に出ていますから。
あらゆる物事が、私たちの暮らし、教育、医療、福祉、すべてがそこから派生しています。 ――出産医療では、厚生労働省が推奨するやり方が、実は、
医者不足を解消するための簡略化されたもので、
乳幼児に危険な負担をかけていると指摘する産科の開業医の方もいらっしゃいます。
その方は、直接、厚労省にやり方を変えるよう直談判もしました。(記事参照)
竹原 国民を生かす気はないわけです。
ひたすら役人集団の利益に回るように加担すれば、その事業は上手くいくんです。
だから、何かを変えたいのであれば、役人と取り引きするしかないんです。
そして、国民は全体的に貧しくなる。その手伝いをすると、みなさんの事業はうまくいきます。
すごいでしょ。結局、役人たちの福祉を担わせられるわけです。 役人が国民に強制する福祉とは、実際には、
金をもっていない人たちが金を持っている人たちのお世話をすることを意味します。
役人が金を持っていても国民は金を持っていてはいけない。
相対的に国民の所得を減らし、常に、国民が国にすがりついていないといけない状態にする。
賢い人は、役人に利益を回すやり方で利権を得る。それが天下りですね。
いろんな問題を個別に叩いてもダメなんです。ど真ん中を最初からやらないと。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています