(国立)大阪大学不正入試事件
(大阪刑務所の刑務官が深く関与していた事件)
のことをぼくはかすかに記憶している。ぼくの父が、近畿地方の、ある県の県教育委員会の部長だったからだ。
あの事件でマスコミから集中攻撃を被った人物は、
当時、大阪府松原市立天美南小学校の校長だったI氏だ。
I氏の長男は大阪府立河南(かなん)高校卒だ。河南高校からは、東京大学、京都大学、大阪大学など、旧制帝国大学系の国立大学への進学はまず不可能だと、巷間、言われている。
I氏の長男は、事前に、大阪大学の入学試験の問題と模範解答とを示されていても、さっぱり理解できなかったのだろう。おそらく。
彼は、結局、大阪大学を受験したものの、不合格となり、私立の近畿大学(大阪府東大阪市)へ進学した。マスコミにより詳細に報道されたせいで、彼は、近畿大学在学中、自殺を図ったことがあり、死の寸前まで至った。
当時の近畿大学は、現在とは全く異なり、極めて入学しやすかった。